- 盛岡藩何度も飢饉に襲われた
- 盛岡を含む北奥羽は室町時代初期から南部氏によって支配されており、江戸時代も一度も国替えや移封が行われず、南部氏によって治められた珍しい地域です。盛岡は決して稲作に適した地域ではなく、江戸時代を通じて7
盛岡城とは、岩手県盛岡市にある江戸時代初期に築かれた近世城郭である。南部氏の居城として北上川と中津川の合流点付近の丘陵上に築かれ、現在は盛岡城跡公園として整備されている。城内と周辺で産出した花崗岩を用いた石垣が大きな特長で、東北地方を代表する石垣の城として知られる。
| 目的 | 南部氏の居城、盛岡藩の政庁、領国支配の拠点 |
|---|---|
| 特長 | 花崗岩の総石垣、平山城、本丸・二ノ丸・三ノ丸などの曲輪構成 |
| 他の城との違い | ・東北地方では珍しい本格的な総石垣の城である ・城内と周辺で産出した花崗岩を用いて石垣が築かれている ・天守は残らないが、石垣が城の威容を現在に伝えている |
| 石垣 | 現存 |
|---|---|
| 種類 | 野面積、乱積、布積など |
| 石材 | 花崗岩 |
| 特長 | 盛岡城の石垣は、城内とその周辺で産出した花崗岩によって築かれている。石垣は築かれた時期や場所によって積み方が異なり、自然石をそのまま積む野面積、大小の割石を組み合わせる乱積、方形に整えた石を横目地をそろえて積む布積などが見られる。現在も石垣の保存修理事業が継続して行われている。 |
| 別称 | 不来方城 |
|---|---|
| 所在地 | 岩手県盛岡市 |
| 築城 | 1598年頃 |
| 築城者 | 南部信直 |
| 住所 | 岩手県盛岡市内丸1-37 |
| 電話番号 | 019-681-0722 |
| 開園時間 | 見学自由 |
| 休園日 | なし |
| 入園料 | 無料 |
| 備考 | 現在は盛岡城跡公園として整備されている。園内に天守は残らないが、本丸・二ノ丸・三ノ丸・淡路丸などの曲輪と花崗岩の石垣が残る。隣接するもりおか歴史文化館では、盛岡藩や南部家に関する展示を見学できる。 |
盛岡城は、岩手県盛岡市にあった平城です。室町時代より北奥羽全域を支配してきた南部氏の居城であり、江戸時代は盛岡藩の藩庁でもありました。盛岡城は明治時代に廃城令が出された後、天守閣をはじめとした建物はほぼ取り壊され、現在は花崗岩でできた石垣だけが残っています。 そんな盛岡城の歴史を紐解いていきましょう。
| 1598年頃 | 南部信直により盛岡城の築城が始まる |
|---|---|
| 1633年 | 盛岡城が完成したとされる |
| 江戸時代 | 南部氏の居城、盛岡藩の政庁として機能する |
| 1871年 | 廃藩置県により盛岡藩が廃止される |
| 1874年 | 城内の建物が取り壊される |
| 1906年 | 岩手公園として整備され、開園する |
| 1937年 | 盛岡城跡が国の史跡に指定される |
| 1984年 | 石垣の保存修理事業が始まる |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
盛岡城と関連する事件を読む
| 藩庁 | 盛岡城 |
|---|---|
| 旧地域 | 陸奥国北部 |
| 石高 | 20万石 |
| 譜代・外様 | 外様 |
| 主な藩主 | 南部氏 |
| 推定人口 | 12万人(明治元年) |
南部信直の長男・利直が立藩。かつては津軽も支配していたが、津軽為信(大浦為信)の離反により領土を失う。その後、幕末まで確執が続く。
岩手県盛岡市の「盛岡城」は、盛岡藩南部氏の居城として知られる平山城です。東北地方では珍しい総石垣の城で、現在まで残る鋼色に輝く美しい石垣は多くの人々から愛され続けています。平成18年(2006年)には100名城にも選ばれました。