盛岡八幡宮とは、岩手県盛岡市八幡町にある神社である。延宝8年(1680)、第29代南部重信によって建立されたとされ、盛岡城下の信仰を支える総鎮守として崇敬を集めてきた。祭神は品陀和気命で、第15代応神天皇にあたり、農業、工業、商業、学問、衣食住など、人々の生活の根源を守る神として信仰されている。明治17年(1884)の盛岡大火や長年の風雪被害により社殿は再建を重ね、現在の社殿は平成9年(1997)12月に建て直されたものである。色鮮やかな彫刻を施した朱塗りの大社殿は、盛岡の街なかにありながら堂々とした存在感を見せる。毎年9月の盛岡八幡宮例大祭では、山車行事や神輿渡御、流鏑馬神事などが行われ、盛岡の歴史、信仰、町人文化を今に伝えている。
| 目的 | 盛岡城下の総鎮守、南部家ゆかりの信仰拠点、地域の生活守護、農業・工業・商業・学問・衣食住の守護、人生儀礼や祝い事の場 |
|---|---|
| 特長 | 盛岡八幡宮、南部重信、南部家、盛岡藩、盛岡城下、総鎮守、品陀和気命、応神天皇、八幡信仰、朱塗りの大社殿、盛岡八幡宮例大祭、盛岡山車、流鏑馬神事、チャグチャグ馬コ、初詣、どんと祭、裸参り、節分祭、火防祭 |
| 他の神社との違い | ・盛岡藩主・南部重信によって建立された、城下町盛岡を代表する神社である ・武家の守護神としての八幡信仰だけでなく、農業、商業、学問、衣食住など生活全般の守り神として崇敬されてきた ・朱塗りの大社殿が盛岡の街なかに建ち、都市の信仰拠点としての性格が強い ・盛岡八幡宮例大祭では、山車行事、神輿渡御、流鏑馬神事などが行われ、城下町文化を現在に伝えている ・神社単体だけでなく、盛岡城跡、鉈屋町、紺屋町、八幡町周辺の町並みとあわせて見ると、城下町盛岡の成り立ちを理解しやすい |
| 別称 | 盛岡八幡宮、八幡さま |
|---|---|
| 所在地 | 岩手県盛岡市 |
| 創建 | 延宝8年(1680)。第29代南部重信により建立された |
| 創建者 | 南部重信 |
| 祭神 | 品陀和気命(第15代応神天皇) |
| 住所 | 岩手県盛岡市八幡町13-1 |
| 電話番号 | 019-652-5211 |
| 受付時間 | 9時~17時 |
| 休館日 | なし |
| 拝観料 | 無料 |
| 備考 | 盛岡八幡宮は、盛岡の総鎮守として多くの参拝者を集める神社である。現在の社殿は平成9年(1997)12月に建て直されたもので、朱塗りの大社殿と鮮やかな彫刻が特徴である。毎年9月の盛岡八幡宮例大祭では、山車行事、神輿渡御、流鏑馬神事などが行われる。盛岡八幡宮の流鏑馬神事は盛岡市指定文化財であり、五穀豊穣、国家安泰、家内安全などを祈願する神事として伝えられている。 |
| 1680年 | 延宝8年、第29代南部重信により盛岡八幡宮が建立される |
|---|---|
| 1681年 | 延宝9年、盛岡八幡宮の造営に伴い、例祭の中心神事として流鏑馬神事が行われるようになる |
| 江戸時代 | 盛岡八幡宮は、盛岡城下の総鎮守として南部家や城下の人々から崇敬を集める |
| 1709年 | 宝永6年、盛岡の町づくりの完成を祝い、城下23町の町民が盛岡八幡宮に山車を奉納したとされる。これが盛岡八幡宮例大祭の山車行事の起源とされる |
| 江戸時代中期以降 | 例大祭では山車行事や流鏑馬神事が行われ、盛岡城下の信仰と町人文化を象徴する祭礼として発展する |
| 1873年 | 明治6年、盛岡八幡宮は県社となる |
| 1884年 | 明治17年、盛岡大火などの災害により社殿が被害を受ける |
| 明治時代以降 | 災害や風雪被害を受けながら、社殿の再建が繰り返される |
| 1907年頃 | 明治40年頃まで、盛岡八幡宮の流鏑馬神事が継続して行われる |
| 1950年 | 昭和25年、盛岡八幡宮の流鏑馬神事が復活する |
| 1997年 | 平成9年12月、現在の社殿が新八幡宮として建て直される |
| 現在 | 盛岡八幡宮は、盛岡の総鎮守、人生儀礼や祝い事の拠点、盛岡八幡宮例大祭の中心となる神社として多くの参拝者を集めている |