- 盛岡藩何度も飢饉に襲われた
- 盛岡を含む北奥羽は室町時代初期から南部氏によって支配されており、江戸時代も一度も国替えや移封が行われず、南部氏によって治められた珍しい地域です。盛岡は決して稲作に適した地域ではなく、江戸時代を通じて7
花巻城とは、岩手県花巻市にある中世から近世にかけての城跡である。もとは稗貫氏の居城・鳥谷ヶ崎城で、豊臣秀吉の奥州仕置後に南部氏の領有となり、花巻城として整備された。現在は本丸跡が鳥谷ヶ崎公園として整備され、西御門が復元されているほか、周辺には土塁や堀跡などが残る。
| 目的 | 稗貫氏の居城、南部氏の支城、花巻地域支配の拠点 |
|---|---|
| 特長 | 段丘上に築かれた城、復元西御門、土塁・堀跡・石垣が残る城跡 |
| 他の城との違い | ・稗貫氏の鳥谷ヶ崎城を前身とする ・南部氏の領有後に石垣や土塁、堀を備えた城へ改修された ・現在は本丸跡が公園となり、西御門が復元されている |
| 石垣 | 一部現存・復元 |
|---|---|
| 土塁 | 現存 |
| 種類 | 野面積、土塁、堀、曲輪、枡形 |
| 石材 | 不明 |
| 特長 | 花巻城は石垣だけで構成された城ではなく、土塁と堀を主体に、要所に石垣を用いた城である。発掘調査では、16世紀末から17世紀初頭に石垣の構築、土塁・掘割の強化など大幅な改修が行われたことが確認されている。本丸跡周辺には復元された西御門があり、公園周辺にも土塁や堀跡が残る。 |
| 別称 | 鳥谷ヶ崎城、鳥谷崎城 |
|---|---|
| 所在地 | 岩手県花巻市 |
| 築城 | 16世紀頃 |
| 築城者 | 稗貫氏 |
| 住所 | 岩手県花巻市城内 |
| 電話番号 | 0198-24-2111 |
| 開園時間 | 見学自由 |
| 休園日 | なし |
| 入園料 | 無料 |
| 備考 | 現在は本丸跡が鳥谷ヶ崎公園として整備されている。西御門が復元されているほか、公園周辺には土塁や堀跡が残る。花巻城の御城印は花巻市博物館で販売されている。 |
| 16世紀頃 | 稗貫氏の居城として鳥谷ヶ崎城が築かれる |
|---|---|
| 1590年 | 豊臣秀吉の奥州仕置により、稗貫氏が領地を没収される |
| 1591年 | 南部氏の領有となり、鳥谷ヶ崎城が花巻城として整備される |
| 16世紀末~17世紀初頭 | 石垣の構築、土塁・掘割の強化など、城の大幅な改修が行われる |
| 江戸時代 | 盛岡藩の花巻城代が置かれ、地域支配の拠点となる |
| 1870年 | 城内の不要建物などの払い下げが行われる |
| 1873年 | 城内建物・石垣・武具などが払い下げられ、花巻城が廃城となる |
| 1995年 | 本丸跡に西御門が復元される |
花巻城と関連する事件を読む
| 藩庁 | 盛岡城 |
|---|---|
| 旧地域 | 陸奥国北部 |
| 石高 | 20万石 |
| 譜代・外様 | 外様 |
| 主な藩主 | 南部氏 |
| 推定人口 | 12万人(明治元年) |
南部信直の長男・利直が立藩。かつては津軽も支配していたが、津軽為信(大浦為信)の離反により領土を失う。その後、幕末まで確執が続く。
岩手県花巻市にあった南部氏の「花巻城」。江戸時代は盛岡に次ぐ第二の都市として栄えた花巻の中心的存在でした。現在は本丸跡が鳥谷ヶ崎公園として整備されているほか、公園周辺に土塁や堀跡などが残されています。