中尊寺岩手県西磐井郡

夏の中尊寺1 夏の中尊寺2 夏の中尊寺3 夏の中尊寺4 夏の中尊寺5 夏の中尊寺6 夏の中尊寺7 夏の中尊寺8 夏の中尊寺9 夏の中尊寺10
  • 奥州藤原氏初代・藤原清衡が大規模造営した平泉の中心寺院
  • 金色堂をはじめ、国宝・重要文化財を伝える平安仏教美術の宝庫
  • 世界文化遺産「平泉」の構成資産である特別史跡

中尊寺とは、岩手県西磐井郡平泉町平泉にある天台宗の寺院である。寺伝では嘉祥3年(850)、比叡山延暦寺の高僧・慈覚大師円仁によって開かれたとされる。その後、12世紀初めに奥州藤原氏初代・藤原清衡が大規模な堂塔造営を進め、平泉文化を象徴する寺院となった。清衡が中尊寺を造営した背景には、前九年合戦・後三年合戦で亡くなった人々の霊を敵味方なく慰め、みちのくに仏教による平和な理想社会を築こうとする願いがあった。天治元年(1124)に上棟された金色堂は、堂の内外に金箔を押した阿弥陀堂で、螺鈿、蒔絵、透かし彫りの金具など、平安時代後期の工芸技術が凝縮されている。現在の中尊寺は、金色堂、讃衡蔵、経蔵、旧覆堂などを見学できる寺院であり、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産として世界文化遺産に登録されている。

中尊寺の特長
目的 前九年合戦・後三年合戦で亡くなった霊の供養、敵味方を超えた鎮魂、みちのくにおける仏国土の建設、奥州藤原氏の精神的拠点、平泉文化の中心寺院
特長 中尊寺、関山、天台宗、慈覚大師円仁、藤原清衡、奥州藤原氏、平泉、金色堂、讃衡蔵、経蔵、旧覆堂、中尊寺経、螺鈿、蒔絵、金箔、阿弥陀堂、特別史跡、世界文化遺産
他の寺院との違い ・奥州藤原氏が平泉に築いた仏教都市構想の中心に位置する寺院である
・金色堂は、12世紀から残る平安時代後期の貴重な阿弥陀堂建築である
・寺院でありながら、奥州藤原氏の政治・文化・精神の拠点としての性格を持つ
・金色堂には奥州藤原氏四代の遺体や首級が安置され、霊廟としての役割も担っている
・単独の寺院として見るだけでなく、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山とあわせて、平泉の浄土思想を理解する構成資産である
中尊寺DATA
別称 関山中尊寺
所在地 岩手県西磐井郡平泉町
創建 嘉祥3年(850)と伝わる。12世紀初めに奥州藤原氏初代・藤原清衡が大規模な堂塔造営を行った
開山 慈覚大師円仁
主な造営者 藤原清衡
宗派 天台宗
住所 岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
電話番号 0191-46-2211
参拝時間 境内は通年開放。金色堂・讃衡蔵・経蔵・旧覆堂は、3月1日~11月3日が8時30分~17時、11月4日~2月末日が8時30分~16時30分。拝観券の発行は終了10分前まで
休館日 年中無休
拝観料 金色堂・讃衡蔵・経蔵・旧覆堂共通拝観券:大人1,000円、高校生700円、中学生500円、小学生300円
備考 中尊寺は特別史跡であり、世界文化遺産「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産である。金色堂は天治元年(1124)に上棟された国宝建造物で、堂内には藤原清衡、基衡、秀衡の遺体と、泰衡の首級が安置されている。境内には金色堂のほか、讃衡蔵、経蔵、旧覆堂、本堂、月見坂などがあり、平泉の歴史と浄土思想を体感できる。
中尊寺への交通アクセス
JR「平泉」駅からバス約4分。

HISTORY 中尊寺について

中尊寺の歴史
850年 嘉祥3年、慈覚大師円仁によって中尊寺が開かれたと伝わる
1083年 後三年合戦が始まり、のちの藤原清衡の生涯と平泉造営に大きな影響を与える
1086年 清原氏一族の抗争の中で、藤原清衡の妻子が殺害される
1087年 後三年合戦が終結し、藤原清衡が奥六郡を領有する
1095年頃 藤原清衡が平泉へ移ったと考えられる
1105年 長治2年、藤原清衡が中尊寺一山の造営に着手する
1117年頃 藤原清衡が中尊寺経として知られる一切経の写経事業を始めたとされる
1122年 保安3年、中尊寺経蔵が建立される
1124年 天治元年、藤原清衡により金色堂が上棟される
1126年 大治元年、「鎮護国家大伽藍一区」の落慶供養が行われる
1128年 藤原清衡が死去する。金色堂は清衡の墓堂としての性格を持つようになる
12世紀中頃 藤原基衡、藤原秀衡の時代を通じて、平泉は奥州藤原氏の政治・文化の中心として発展する
1187年 藤原秀衡が死去する
1189年 奥州合戦により奥州藤原氏が滅亡する。中尊寺は奥州藤原氏という大きな後ろ盾を失う
1213年 『吾妻鏡』によれば、北条政子の夢枕に藤原秀衡が現れたことをきっかけに、幕府が平泉寺院の修理を命じたとされる
1288年 正応元年、幕府によって金色堂が修理され、風雨から守るための覆堂が設けられる
1337年 建武4年、中尊寺で大きな火災が起こり、多くの堂塔が焼失する。金色堂や中尊寺経などは守り伝えられる
1343年 康永2年、旧鐘楼の梵鐘が鋳造される。銘文には建武4年の火災について刻まれる
1689年 元禄2年、松尾芭蕉が平泉を訪れ、金色堂を見て「五月雨の降り残してや光堂」の句を詠む
1897年 明治30年、金色堂が古社寺保存法に基づき特別保護建造物に指定される
1951年 昭和26年、金色堂が文化財保護法に基づき国宝に指定される
1962年 昭和37年、金色堂の大規模な保存修理工事、いわゆる昭和の大修理が始まる
1965年 昭和40年、金色堂を保護する現在の新覆堂が完成する
1968年 昭和43年、金色堂の昭和の大修理が完了する
1979年 昭和54年、中尊寺境内が特別史跡に指定される
2011年 6月29日、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」が世界文化遺産に登録され、中尊寺はその構成資産となる
2024年 金色堂建立900年を迎える
現在 金色堂、讃衡蔵、経蔵、旧覆堂などを通じて、奥州藤原氏の祈りと平泉文化を伝える寺院として公開されている