- 岡山藩宇喜多秀家が基礎を作り池田氏が治める
- 岡山藩とは 岡山藩とは、備前全体と備中の一部を領有した外様の大藩であり、岡山城を関係する城とした藩である。 藩名は岡山藩で、1603年から1871年まで続き、現在の岡山県にあたる地域を中心に治めた藩で
岡山城とは、岡山県岡山市北区にある安土桃山時代から近世にかけての城である。宇喜多直家が石山の城を本拠としたことに始まり、宇喜多秀家の時代に本丸を岡山へ移して本格的な近世城郭として整備された。慶長2年(1597)に天守が完成したとされ、黒い下見板張りの外観から「烏城」と呼ばれる。関ヶ原の戦い後は小早川秀秋、ついで池田氏が城主となり、岡山藩の政庁として機能した。現在は岡山城天守、月見櫓、石垣、内堀、旭川、後楽園をあわせて見学できる。
| 目的 | 宇喜多氏の本拠、岡山藩の政庁、旭川と城下町を活かした備前支配の中心 |
|---|---|
| 特長 | 烏城、黒い天守、宇喜多秀家、月見櫓、旭川、石垣、内堀、後楽園、令和の大改修 |
| 他の城との違い | ・黒い下見板張りの天守から「烏城」と呼ばれる ・旭川を城の背後に取り込み、天然の堀として利用した ・本丸の石垣には、宇喜多期・小早川期・池田期の改修の違いが見られる |
| 石垣 | 現存・復元整備 |
|---|---|
| 土塁 | 一部あり |
| 種類 | 野面積、打込接、切込接、石垣、天守台、内堀、平山城 |
| 石材 | 花崗岩など |
| 特長 | 岡山城の石垣は、宇喜多期・小早川期・池田期の改修が重なっている点が大きな特徴である。本段周辺には自然石をそのまま積む古い野面積、中の段などには小早川期以降の打込接、池田期の整った切込接が見られ、同じ本丸内で石垣技術の変化を確認できる。岡山市の資料では、岡山城本丸は「石垣築造技術史の博物館」と表現されている。天守だけでなく、時代ごとに異なる石垣を見比べることが岡山城の大きな見どころである。 |
| 別称 | 烏城、金烏城 |
|---|---|
| 所在地 | 岡山県岡山市 |
| 築城 | 1597年 |
| 築城者 | 宇喜多秀家 |
| 住所 | 岡山県岡山市北区丸の内2丁目3-1 |
| 電話番号 | 086-225-2096 |
| 開館時間 | 岡山城天守は9時~17時30分。最終入場は17時 |
| 休館日 | 年末(12月29日~12月31日)。荒天や点検などにより休館の場合あり |
| 入場料 | 大人500円、中学生以下無料。20名以上の団体は大人400円 |
| 備考 | 現在の天守は1966年に鉄筋コンクリート造で再建された建物で、史実上の天守を完全に復元したものではない。2022年11月3日に令和の大改修を終えてリニューアルオープンした。月見櫓は江戸時代の現存建造物で、国の重要文化財に指定されている。岡山城は日本100名城にも選定されている。 |
岡山城は、岡山県岡山市北区にあった平城です。関ヶ原の戦いで流罪となった宇喜多秀家で有名な宇喜多家が本拠地とし、江戸時代の初期は、やはり関ヶ原の戦いで西軍を裏切った小早川秀明が一時期領主を務めたこともありました。烏城(うじょう)金烏城(きんうじょう)という別名も持ちます。 そんな岡山城の歴史を紐解いていきましょう。
| 1570年 | 宇喜多直家が金光宗高を滅ぼし、石山の城を手に入れたとされる |
|---|---|
| 1573年 | 宇喜多直家が石山の城を改修し、本拠としたとされる |
| 1590年 | 宇喜多秀家が本丸を石山から岡山へ移し、岡山城の築城を始める |
| 1597年 | 岡山城天守が完成したとされる |
| 1600年 | 関ヶ原の戦いで宇喜多秀家が西軍として出陣し、敗れる |
| 1600年 | 小早川秀秋が岡山城主となる |
| 1601年 | 小早川秀秋が岡山城の改築を始める |
| 1602年 | 小早川秀秋が急死し、小早川家が断絶する |
| 1603年 | 池田忠継が岡山城主となる |
| 1620年代 | 池田忠雄の時代に月見櫓が建てられたとされる |
| 江戸時代 | 池田氏の居城として、岡山藩の政庁となる |
| 1687年 | 岡山後楽園の造営が始まる |
| 1700年 | 岡山後楽園がほぼ完成する |
| 1931年 | 岡山城天守が国宝に指定される |
| 1945年 | 岡山空襲により天守などが焼失する |
| 1966年 | 現在の再建天守が建てられる |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
| 2022年 | 令和の大改修を終え、岡山城天守がリニューアルオープンする |
岡山城と関連する人物記を読む
| 藩庁 | 岡山城 |
|---|---|
| 旧地域 | 備前国御野郡岡山 |
| 石高 | 31万5000石 |
| 譜代・外様 | 外様 |
| 主な藩主 | 宇喜多氏、小早川氏、池田氏 |
| 推定人口 | 35万人(明治元年) |
関ヶ原の戦いで寝返った小早川秀秋に代わって徳川家康の孫・池田忠継が入封。光政の代に全国に先駆けて藩校・岡山学校を開校。その子、綱政も偕楽園を造営するなど藩政の確立に努めた。9代茂正は将軍慶喜の弟。
岡山県岡山市にある岡山城は、五大老の一人・宇喜多直家とその息子の秀家が丘の上に築いた城です。岡山三名城の一つとしても知られており、黒い外観から「烏城(うじょう)」、金箔の瓦が使われたことから「金烏城(きんうじょう)」と呼ばれています。