- 津山藩森蘭丸の弟が立藩
- 津山藩とは 津山藩とは、岡山県東北部に位置する美作国の大半を統治していた藩である。 藩名は津山藩で、1603年から1871年まで続いた藩である。 江戸時代以前の津山周辺は、関ヶ原の戦いで東軍勝利のきっ
津山城とは、岡山県津山市にある江戸時代初期の城跡である。慶長9年(1604)に森忠政が築城を始め、元和2年(1616)に完成した。鶴山と呼ばれる丘陵に本丸・二の丸・三の丸を階段状に配置し、山全体を高石垣で固めた大規模な平山城である。江戸時代には森氏、のち松平氏の居城として津山藩の政庁となった。明治6年(1873)の廃城で建物はすべて取り壊されたが、現在も壮大な石垣が残り、平成17年(2005)には備中櫓が復元された。現在は鶴山公園として整備され、桜の名所としても親しまれている。
| 目的 | 美作国支配の拠点、津山藩の政庁、城下町形成の中心 |
|---|---|
| 特長 | 森忠政、平山城、高石垣、一二三段、備中櫓、鶴山公園、桜の名所、日本三大平山城 |
| 他の城との違い | ・本丸・二の丸・三の丸を階段状に重ねる「一二三段」の縄張りを持つ ・天守や櫓は現存しないが、城内各所に高石垣が良好に残る ・城内にはかつて60を超える櫓があったとされ、石垣の規模から往時の威容を感じられる |
| 石垣 | 現存 |
|---|---|
| 土塁 | 一部あり |
| 種類 | 野面積、打込接、石垣、高石垣、天守台、曲輪、平山城 |
| 石材 | 自然石、割石など |
| 特長 | 津山城の最大の見どころは、鶴山全体を段状に取り巻く壮大な石垣である。本丸・二の丸・三の丸が階段状に重なり、地上から約45メートルに及ぶ石垣群が城の威容を伝えている。石垣は自然石を用いた野面積や、割石を用いた打込接を中心とし、曲輪の隅部や虎口周辺では防御性を意識した構造が見られる。現在、天守は残らないが、天守台、備中櫓周辺、本丸・二の丸・三の丸の高石垣を歩くことで、津山城が美作国を代表する大規模近世城郭であったことを体感できる。 |
| 別称 | 鶴山城 |
|---|---|
| 所在地 | 岡山県津山市 |
| 築城 | 1604年 |
| 築城者 | 森忠政 |
| 住所 | 岡山県津山市山下135 |
| 電話番号 | 0868-22-4572 |
| 開園時間 | 4月~9月は8時40分~19時、10月~3月は8時40分~17時。津山さくらまつり期間中は7時30分~22時 |
| 休園日 | 12月29日~12月31日 |
| 入園料 | 16歳以上300円。備中櫓の入館は無料 |
| 備考 | 津山城跡は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。現在は鶴山公園として整備され、復元された備中櫓、天守台、本丸・二の丸・三の丸の石垣を見学できる。鶴山公園は「日本さくら名所100選」にも選ばれており、春には津山さくらまつりが開催される。 |
津山城は、岡山県津山市 に築かれた平城です。日本三大平山城の 1つに数えられ、築城当時は外郭を含めれば、広島城の76棟、姫路城61棟をしのぐ77棟の櫓 があり、明治時代に撮影された写真にも、その様子が写っています。現在は、城跡が「日本桜の名所100選」に選出され、桜の季節には多くの観光客が訪れます。 そんな津山城の歴史を紐解いていきましょう。
| 1603年 | 森忠政が美作国18万6,500石で入封する |
|---|---|
| 1604年 | 森忠政が鶴山で津山城の築城を始める |
| 1616年 | 約12年の歳月をかけて津山城が完成する |
| 江戸時代前期 | 森氏が津山藩主として城と城下町を整備する |
| 1697年 | 森氏が改易される |
| 1698年 | 松平宣富が津山藩主となり、以後、松平氏が明治維新まで津山を治める |
| 江戸時代 | 津山城が津山藩の政庁として機能し、美作国の中心となる |
| 1873年 | 廃城令により、津山城の建物がすべて取り壊される |
| 1900年 | 城跡が鶴山公園として整備される |
| 1963年 | 津山城跡が国の史跡に指定される |
| 2005年 | 城内最大規模の櫓である備中櫓が復元される |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
津山城と関連する人物記を読む
| 藩庁 | 津山城 |
|---|---|
| 旧地域 | 美作国苫田郡津山 |
| 石高 | 18万6500石 |
| 譜代・外様 | 外様、親藩 |
| 主な藩主 | 森家、松平(越前)家 |