- 備中松山藩5つの家が治めた小藩
- 備中松山藩は、備中(現在の岡山県)の一部を治めた小さな外様藩です。備中松山城を藩庁に持っていましたが、城が山の上だったので藩政は御根小屋と呼ばれる麓の建物で行われました。小藩ですが治める家が5つも代わ
備中松山城とは、岡山県高梁市にある中世から近世にかけての山城である。標高約480メートルの臥牛山に築かれ、現在一般に備中松山城と呼ばれるのは、小松山山頂部を中心とする近世城郭である。現存12天守のひとつであり、天守が現存する唯一の山城として知られる。城内には天守、二重櫓、土塀の一部が現存し、石垣と岩盤を組み合わせた山城ならではの景観を見せる。秋から冬の早朝には雲海に包まれることがあり、「天空の山城」としても人気が高い。
| 目的 | 備中国支配の拠点、高梁川流域の交通監視、備中松山藩の政庁、山上の防御拠点 |
|---|---|
| 特長 | 現存天守、重要文化財、二重櫓、土塀、石垣、岩盤、雲海、日本三大山城、臥牛山 |
| 他の城との違い | ・現存12天守の中で、山城の形態をとる唯一の城である ・小規模ながら、山上に天守・二重櫓・土塀が現存している ・臥牛山全域には中世城郭、小松山山頂部には近世城郭の特徴が残り、時代の異なる山城構造をあわせて見学できる |
| 石垣 | 現存 |
|---|---|
| 土塁 | 一部現存 |
| 種類 | 野面積、打込接、石垣、土塁、堀切、曲輪、岩盤、山城 |
| 石材 | 自然石、割石など |
| 特長 | 備中松山城の石垣は、山上の自然地形と岩盤を巧みに利用して築かれている。本丸周辺では、岩盤の上に石垣を積み、その上に天守や二重櫓、土塀を載せる山城らしい構造を見ることができる。大手門跡周辺には高い石垣と土塀が迫る迫力ある景観があり、登城路を進むほど防御性の高さを体感できる。臥牛山全域には中世城郭の曲輪や堀切も残るため、石垣を備えた近世城郭と、土の山城の両方を見られる点が大きな特徴である。 |
| 別称 | 高梁城 |
|---|---|
| 所在地 | 岡山県高梁市 |
| 築城 | 1240年頃と伝わる。近世城郭としては江戸時代に整備 |
| 築城者 | 秋庭重信と伝わる |
| 住所 | 岡山県高梁市内山下1 |
| 電話番号 | 0866-21-0461 |
| 開城時間 | 4月~9月は9時~17時30分、10月~3月は9時~16時30分。最終入城は閉城30分前まで |
| 休城日 | 12月29日~1月3日 |
| 入城料 | 大人500円、小中学生200円 |
| 備考 | 備中松山城は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。天守、二重櫓、土塀の一部は重要文化財である。登城整理バス運行時は、城見橋公園駐車場からふいご峠までバスを利用し、ふいご峠から天守までは徒歩約20分。登城整理料は大人500円、小中学生200円である。雲海は9月下旬から4月上旬、とくに10月・11月の早朝に発生しやすい。 |
備中松山城は、岡山県高梁市内山下に位置する山城です。重要文化財に指定されており、天守が現存する現存12天守のうち「唯一の山城」です。臥牛山山頂(標高487m)から南稜線にかけて遺構が残っており、雲海に浮かぶ様が幻想的だと国内だけでなく国外まででも有名です。そんな備中松山城の歴史を紐解いていきましょう。
| 1240年頃 | 有漢郷の地頭となった秋庭重信が、臥牛山の大松山に砦を築いたことが始まりと伝わる |
|---|---|
| 中世 | 備中の国人勢力により、臥牛山の峰々に曲輪や堀切を備えた山城として発展する |
| 戦国時代 | 備中の要衝として、毛利氏・宇喜多氏などの勢力争いに関わる |
| 1574年 | 備中兵乱が起こり、臥牛山全域を利用した大規模な山城として機能する |
| 江戸時代前期 | 小松山山頂部を中心に、近世城郭としての整備が進む |
| 1683年 | 水谷勝宗の時代に大改修が行われ、現在残る天守などが整備されたとされる |
| 江戸時代 | 備中松山藩の政庁として機能し、歴代藩主が城を管理する |
| 1744年 | 板倉勝澄が備中松山藩主となり、以後、板倉氏が明治維新まで城を治める |
| 明治時代 | 廃城により多くの建物が失われるが、山上の天守・二重櫓・土塀の一部は残る |
| 1941年 | 天守・二重櫓・土塀の一部が国宝、現在の重要文化財に指定される |
| 1956年 | 備中松山城跡が国の史跡に指定される |
| 1997年 | 本丸南御門、東御門、腕木御門、路地門、五の平櫓、六の平櫓、土塀などが復元される |
| 2003年 | 天守の保存修理が行われる |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
備中松山城と関連する人物記を読む
| 藩庁 | 備中松山城 |
|---|---|
| 旧地域 | 備前国 |
| 石高 | 5万石 |
| 譜代・外様 | 譜代 |
| 主な藩主 | 三村氏、池田氏、水谷氏、板倉氏 |
| 推定人口 | 2万6000人(明治元年) |
毛利家の所領であった松山へは、小堀正次や池田長幸、水谷勝隆、安藤重博、石川総慶、板倉勝澄などが入封。
岡山県高梁市にある備中松山城は現存12天守のうち唯一の山城です。雲海のなかに城が浮かぶさまは「天空の城」と呼ばれ、多くの人々を魅了しています。また、山城で天守が残っているのは全国でも備中松山城だけです。