鬼ノ城岡山県総社市

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  • 大和朝廷が築いたとされる古代山城
  • 復元西門と版築土塁・石塁が残る日本100名城
  • 温羅伝説、桃太郎伝説の舞台としても知られる

鬼ノ城とは、岡山県総社市の鬼城山に築かれた古代山城である。歴史書に記録が残らないため、築城時期や築城者は不明だが、大和朝廷が西日本防衛のために築いた城と考えられている。標高約400メートルの鬼城山の8合目から9合目にかけて城壁がめぐり、その長さは約2.8キロメートルに及ぶ。城壁は版築土塁や石塁で構成され、西門、南門、東門、北門、水門、角楼、礎石建物跡などが確認されている。現在は復元された西門を中心に整備され、古代山城の姿を体感できる。

鬼ノ城の特長
目的 古代の防衛拠点、吉備地域の支配・監視、西日本防衛の山城
特長 古代山城、復元西門、版築土塁、石塁、角楼、水門、礎石建物跡、温羅伝説、日本100名城
他の城との違い ・中世や近世の城ではなく、古代に築かれた山城である
・歴史書に記録がなく、築城時期や築城者に謎が残る
・石垣・土塁・門・水門を備え、鬼城山全体を鉢巻状の城壁で囲んでいる
鬼ノ城の石垣・土塁
石垣 現存・復元整備
土塁 現存・復元整備
種類 版築土塁、石塁、列石、敷石、水門、角楼、古代山城
石材 自然石など
特長 鬼ノ城の城壁は、一段一列に並べた列石の上に土を少しずつ入れて突き固める版築土塁と、石垣状の石塁によって築かれている。城壁は約2.8キロメートルにわたり、地形に合わせて折れを持ちながら鬼城山を鉢巻状にめぐる。城内には4か所の城門、6か所の水門、角楼、礎石建物跡などが確認されている。西門周辺では、復元された城門、版築土塁、石塁、敷石、角楼跡をあわせて見ることができ、古代山城の防御構造を理解しやすい。
鬼ノ城DATA
別称 鬼城山、鬼ノ城跡
所在地 岡山県総社市
築城 7世紀後半頃と考えられる
築城者 不明。大和朝廷による築城と考えられる
住所 岡山県総社市黒尾・奥坂周辺
電話番号 0866-99-8566
開館時間 鬼ノ城跡は見学自由。鬼城山ビジターセンターは9時~17時。入館は16時30分まで
休館日 鬼ノ城跡はなし。鬼城山ビジターセンターは月曜日、年末年始(12月29日~1月3日)。月曜日が祝日の場合は開館し、その直後の平日を休館
入館料 無料
備考 鬼ノ城は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。鬼城山ビジターセンターでは、鬼ノ城全体や西門の模型、発掘調査・復元整備に関する展示を見ることができる。城壁に沿って全長約2.8キロメートルのウォーキングコースが整備されている。JR総社駅またはJR服部駅から車・タクシーでのアクセスが基本となる。
鬼ノ城への交通アクセス
JR「総社」駅よりタクシー約20分。

HISTORY 鬼ノ城について

鬼ノ城の歴史
古代 鬼城山に、版築土塁・石塁・城門・水門を備えた古代山城が築かれたと考えられる
7世紀後半頃 白村江の戦い後の国防体制強化と関連して、大和朝廷により築かれた可能性が指摘される
古代 城内に城門、水門、角楼、礎石建物などが整備され、吉備地域を見渡す防衛拠点として機能したと考えられる
中世以降 温羅伝説や桃太郎伝説と結びつき、鬼が住む山城として語られる
1978年 鬼ノ城の発掘調査が始まり、城壁や門、水門などの構造が次第に明らかになる
1986年 鬼城山が国の史跡に指定される
平成期 西門、版築土塁、角楼跡、敷石などの復元・整備が進む
2006年 日本100名城に選定される

鬼ノ城、桃太郎伝説の舞台と言われる吉備防衛の古代山城

岡山県総社市に残る鬼ノ城(きのじょう)は、大和朝廷によって築かれたとされる古代山城です。歴史書に記述がなく、遺構からしか確認できない謎の城で、温羅(うら)と吉備津彦命の伝説から「桃太郎伝説の舞台」とされることでも知られています。日本100名城のひとつで、現在は西門や土塁、石垣が復元されています。

鬼ノ城
鬼ノ城の歴史
鬼ノ城は『日本書紀』などの歴史書に記録がなく、成り立ちはよくわかっていません。近年の発掘調査などからは、7世紀後半、天智天皇2年(663年)の白村江の戦い後の緊張状態のなかで築かれたと推察されています。
白村江の戦いで日本と百済の連合軍は唐・新羅連合軍に大敗し、倭国は唐による侵攻を強く警戒するようになりました。そこで九州から瀬戸内沿岸、畿内に至るまで、国土防衛のために城が築かれました。鬼ノ城はそうした城のひとつだと考えられています。
城は標高397mの鬼ノ城山の山上に築かれています。鉢を伏せたような形の山の8合目から9合目にかけて、約2.8kmにも及ぶ城壁が鉢巻のように広がっています。敷地は約30ヘクタールにも及ぶ、大規模な山城です。
鬼ノ城という名前は、中世以降に成立した温羅伝説に由来するとされています。伝説によれば、温羅という鬼神が備中国新山に鬼ノ城を構え、悪事を働いて人々を苦しめていました。このため朝廷が弓の名手である吉備津彦命を派遣。激しい戦いの末に温羅は討たれたといいます。なお、温羅は百済の王子だったともいわれています。
鬼ノ城は長らく「伝説の城」とされてきましたが、昭和46年(1971年)に山中で城の遺構の一部が発見され、昭和53年(1978年)に最初の発掘調査が行われ、古代山城であることが明らかになりました。このため昭和61年(1986年)に鬼ノ城は国の史跡に指定されています。平成に入ってからも発掘調査が続けられ、遺構から城の構造が徐々に明らかになってきており、城壁に加え角楼、水門、礎石建物群などが確認されています。平成6年度(1994年度)からは復元整備事業が行われ、西門、角楼、高石垣、北門、南門などが復元されました。
また、城壁には版築工法が使われており、土を突き固めながら築かれていたことも判明しています。こうした構造は九州の古代山城にも共通しており、鬼ノ城が国家的防衛網の一部だった可能性を裏付けています。
平成17年(2005年)総社市鬼城山ビジターセンターが整備され、翌平成18年(2006年)に日本100名城に選定されています。
鬼ノ城へのアクセス
鬼ノ城まではJR総社駅からタクシーで約20分、岡山自動車道岡山総社ICから鬼ノ城ビジターセンターまで約20分です。そこから約15分で西門に到着します。遊歩道が整備されており、ビジターセンターや入り口で「鬼ノ城ウォーキングマップ」を貰っておくと便利です。足場が悪い部分もあるので、しっかりとした靴を準備しておきましょう。
鬼ノ城の見どころ①復元された西門と角楼
鬼ノ城最大の見どころは復元された西門です。平成8年度(1996年度)の調査で発見されており、残存状態が良かったことから調査結果をもとに12本柱の堀立柱城門として復元されました。幅約12.3m、奥行き約8.3m、高さ約13mの規模で、山上にそびえる姿は迫力満点です。
また、西門周辺からは吉備平野を一望でき、夕焼けや朝焼けが美しい絶景スポットとしても知られています。
近くにある復元された角楼は日本で初めて発見されたもの。城壁に張り出すようにして作られており、背面からの攻撃に備えつつ、西門を守るための施設だったと推察されています。
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鬼ノ城の見どころ②城壁線と版築土塁
鬼ノ城では、約2.8キロメートルに及ぶ城壁線を歩くことができます。城壁は幅が約7m、高さ約6〜7mを誇り、高石垣を伴う部分もあります。地形に合わせて各所で屈折しているのが特徴です。
西門を抜けた場所からは復元された城壁を見ることができます。城壁は「版築土塁」と呼ばれる、土を盛って足や道具で固め、さらにその上に少量の土を盛り固めることを繰り返した強固なもの。古代の人々の力を実感できます。
また、「屏風折れ」と呼ばれる場所では、高石垣の大規模な石積みを見ることができます。山の斜面に沿って折れ曲がる姿が特徴的で、巨石が積みあがっている姿は古代技術の高さと山城らしい力強さを感じさせます。
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鬼ノ城の見どころ③敷石
鬼ノ城の城壁沿いには板状の石を敷き詰めた敷石の通路が残されています。幅1.5mの通路は、城壁が流水により壊れるのを防ぐために設置されたのではと推察されています。日本の古代山城では鬼ノ城しか見られない貴重な遺構です。
鬼ノ城の見どころ④鬼城山ビジターセンター
鬼ノ城散策の拠点となる施設が鬼城山ビジターセンター。ガイダンス施設の展示棟では鬼ノ城についてパネルや模型で学ぶことができます。なかでも鬼城山の地形模型は散策する前に確認しておきたいところです。
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鬼ノ城のフォトスポット
鬼ノ城で人気なのは、復元西門周辺です。青空を背景にそびえる古代建築は非常に写真映えします。西門付近からの眺めも美しいですよ。屏風折れの石垣は付近からの撮影はもちろん、第3水門と第4水門のあたりから遠くに臨むのもおすすめです。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。