盛岡城岩手県盛岡市

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盛岡城DATA
別称 不来方城
築城 1598年
住所 岩手県盛岡市内丸1-1-37

盛岡城は日本100名城の一つ。国の史跡に指定。

盛岡城への交通アクセス
JR・IGRいわて銀河鉄道「盛岡」駅からバス約5分。

HISTORY 花崗岩の石垣だけが現在も残る「盛岡城」

盛岡城は、岩手県盛岡市にあった平城です。室町時代より北奥羽全域を支配してきた南部氏の居城であり、江戸時代は盛岡藩の藩庁でもありました。盛岡城は明治時代に廃城令が出された後、天守閣をはじめとした建物はほぼ取り壊され、現在は花崗岩でできた石垣だけが残っています。 そんな盛岡城の歴史を紐解いていきましょう。

盛岡城の築城
盛岡城の築城がはじまったのは、文禄元年(1592年)のことです。陸奥国北部は南北朝時代より南部氏が支配下に置いていましたが、天正18年(1582年)天下統一を果たした豊臣秀吉により、当時の当主である南部信直が所領を安堵されています。 所領を安堵された当時、南部氏は九戸に本拠地を構えていましたが、そこでは領地の支配を行うには北部過ぎるとのアドバイスを受け、不来方の地に新しい城を築くことを決意し、築城に踏み切りました。 なお、盛岡城は別名「不来方城」ともいわれていますが、不来方城は盛岡城の前身であり、別の城郭という説があります。
慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いが起こった際、南部氏は東軍についたため、引き続き所領を安堵されました。 盛岡城は何度か改築を経て慶長年間(1615年)までに、総石垣の城として完成しました。 この時代、東北地方の城は土塁が主だったため、花崗岩の総石垣の城はとても珍しいものでした。 なお、盛岡城が完成した当時の当主であった南部利直は地名を「盛り上がり栄える岡」という意味を込めて、不来方から「盛岡」へと改名しました。 なお、南部利直が三の丸を整地した際に見つかった烏帽子岩(宝大石)は現在も三の丸跡に鎮座し、櫻山神社(旧・淡路丸大明神)の社宝として信仰を集めています。 また、盛岡城築城に併せて中津川以北の湿地帯を埋め立てて城下町を整備しています。
なお、築城の際に旧居城地から移した青銅製の「擬宝珠」は、現在も盛岡三橋の1つ「上之橋」に取り付けられており、現在も国の重要文化財に指定されています。
江戸時代の盛岡城
盛岡城が正式に完成したのは、寛永10年(1633年)のことです。しかし、翌年失火により本丸を消失、一時期、福岡城(九戸城)が南部氏の居城になりましたが、寛永12年(1635年)には修復が終了し、再び盛岡城が南部氏の居城になり、以後明治維新まで盛岡藩の藩庁として機能しました。
明治以降の盛岡城
明治4年(1871年)廃城令によって盛岡城は廃城になります。城郭の建物は当初保存される予定でしたが、老朽化が著しいためにほぼ全てが取り壊しとなり、城跡の用地は陸軍に払い下げられた分以外は、旧藩主の南部家の所有となりました。 明治39年(1906年)、南部家より岩手県に城跡の用地が貸し出され「岩手公園」として、市民に公開されます。 昭和9年(1934年)南部家より盛岡市が貸与されていた用地を買取り、昭和12年(1937年)に国の史跡に指定されました。 昭和63年(1989年)に日本の都市公園100選に選定され、平成18年(2006年)には日本能代100選にも選定されます。 なお、このときに愛称が「盛岡城跡公園」となりましたが、今でも「岩手公園」のほうが知名度が高く、両方の名称が使われています。
現在の岩手公園は、盛岡城の石垣のほか、日影門外時鐘、桜林、梅林、多目的広場などさまざまな施設があります。 盛岡市民の憩いの場であると同時にさまざまなイベントが開催されており、盛岡市の観光名所の1つにもなっています。 現存している石垣は、野面積・乱積・布積と複数の積み方を見ることができ、現在も修復作業が進んでいます。

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盛岡城を藩庁とする、盛岡藩の歴史

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盛岡藩DATA
藩庁 盛岡城
旧地域 陸奥国北部
石高 20万石
譜代・外様 外様
主な藩主 南部氏
推定人口 12万人(明治元年)

南部信直の長男・利直が立藩。かつては津軽も支配していたが、津軽為信(大浦為信)の離反により領土を失う。その後、幕末まで確執が続く。

盛岡城、美しい石垣で知られる城

岩手県盛岡市の「盛岡城」は、盛岡藩南部氏の居城として知られる平山城です。東北地方では珍しい総石垣の城で、現在まで残る鋼色に輝く美しい石垣は多くの人々から愛され続けています。平成18年(2006年)には100名城にも選ばれました。

盛岡城
盛岡城の歴史
盛岡城は初代盛岡藩藩主の南部信直が慶長2年(1597年)から築城を開始した、連格式の平山城です。南部氏は天正18年(1590年)の豊臣秀吉の奥州仕置の際、閉伊郡、岩手郡、鹿角郡、紫波郡、ならびに糠部郡の所領を安堵され、同地の支配者となりました。
翌年三戸城(現青森県三戸町)から久戸城(岩手県二戸市福岡)に本拠地を移しましたが、浅野長政などから「久戸では北すぎるのでは」との助言を得、現在の地に新たな拠点を築城することを決めました。この際、もともとあった南部氏の家臣・福士氏が建てた「不来方城」の堀を埋め、平坦地を広げて城を築きました。
城は大きく本丸、二の丸、三の丸等の内曲輪と、北側にある南部一族や重臣たちの屋敷がある外曲輪に分かれていました。さらに武士や町人たちの住む遠曲輪が配置されていました。
築城工事は長きにわたって続けられ、元和年間(1615年〜1624年)には三の丸などが石垣になっています。大まかに完成した寛永10年(1633年)に3代藩主の南部重直が入城。これ以降、盛岡城は歴代藩主の居城となりました。
なお、本丸は落雷で焼失したため、延宝2年(1674年)から再建がスタート。その後も本丸を中心として城を拡張し続けています。
明治維新後は兵部省(のちの陸軍省)の管轄下に置かれましたが、明治7年(1874年)にほとんどの建物が壊されました。その後、同地は南部氏に払い下げられましたが、岩手県が南部氏から借りる形で跡地を「岩手公園」として整備して開園します。その後盛岡市が公園を南部氏から買収。公園は平成18年(2006年)に日本の歴史公園100選に選定されました。
盛岡城の見どころ①石垣
盛岡城の一番の見どころといえば石垣です。石は近隣産の花崗岩で、城内を整備する際に土の中に埋まっていたものを活用しました。このため「双子石」と呼ばれる、1つの石を2つに割ったものが近くに積まれている、といったケースが見受けられます。分かりやすいものが三の丸東部にあるのでぜひ探してみましょう。また、使うはずだったものが切り出されずそのまま放置されている「残念石」も見られます。
城の石垣は場所により乱積や布積、算木積などさまざまな積み方がされています。乱積については野面積のものと打ち込みハギのものをそれぞれ見ることができます。
本丸東側には盛岡城が築城された当時の、最も古い野面積みの石垣が残っています。また、本丸西壁出隅にはここでしか見られない「三角錐の角石」があるので見逃さないようにしましょう。
二の丸西側では高さ最大14mにも及ぶ打ち込みハギ布積みの石垣があり、迫力満点です。また、二の丸には「はばき石垣」と呼ばれる、寛延元年(1747年)に設置された石垣の崩壊を防ぐための応急処置的な石垣が残されています。
はばき石垣の近くには、丸い石の周りを小さな栗石で補強している場所があります。「笑い積み」と呼ばれる積み方で、大きな石が口を笑ったように見える、ユーモラスな石垣です。
なお、石垣は経年劣化などがあるため、継続的に解体作業が実施されているところ。直近では三の丸の石垣が2021年から2024年まで7.5億円かけて修復されました。
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盛岡城の見どころ②彦御蔵
盛岡城に残る唯一の藩政時代の建築物が「彦御蔵」です。寛延2年(1749年)に建てられた道具用の蔵で、天保7年(1836年)に火事で焼失し、翌年再建されました。元は現在の場所より100mほど西にありましたが、道路の拡張工事の関係で移設されました。
建物は木造2階建ての土蔵造りで、内部の中央部分に仕切りを設けてあり、1階と2階を合わせて4つの区画に仕切られています。切妻造りの瓦葺の屋根に漆喰塗りの真っ白な壁が美しいですよ。
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盛岡城の見どころ③もりおか歴史文化館
岩手公園内にある「もりおか歴史文化館」は歴史好きなら訪れたいスポット。もとは岩手県立図書館だった建物を改装して平成23年(2011年)にオープンしました。注目すべきは2階の盛岡藩の歴史や南部氏ゆかりの武具や衣装、書画などの宝を展示した歴史文化ゾーン。盛岡城の再現模型もあり、有料ですが見ごたえがある展示ですよ。
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盛岡城の撮影スポット
二の丸と本丸を結ぶ渡雲橋周辺は盛岡城のおすすめ撮影スポット。美しい石垣と赤い渡雲橋のコントラストが美しいですよ。また、春には桜、秋には紅葉が見ごろを迎えます。公園内には約250本の桜があり、特に淡路丸や腰曲輪などでは石垣とのコラボが幻想的な光景を生み出します。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。