角牟礼城跡大分県玖珠郡

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  • 春
  • 夏
  • 秋
  • 冬
  • 玖珠郡衆の拠点から石垣の近世城郭へ変化した山城
  • 島津氏の侵攻を退けた天然の要害
  • 高さ約7m・全長約100mの石垣が残る国指定史跡

角牟礼城跡とは、大分県玖珠郡玖珠町森にある中世から近世初頭の城跡である。玖珠盆地北端にそびえる標高577mの角埋山に築かれ、南側を除く三方を急峻な崖に囲まれた天然の要害である。築城時期は明確ではなく、久寿年間(1154~1156)に源為朝が築いたという伝承があるが、史料上では文明7年(1475)にその存在が確認できる。戦国時代には玖珠郡衆のひとりである森氏の居城とされ、大友氏の支配下で地域の拠点城郭として整備された。天正15年(1587)の島津氏による侵攻では玖珠郡衆が籠城して城を守り抜いた。文禄3年(1594)に毛利高政が入ると石垣を用いた近世城郭へ改修され、現在も本丸、二の丸、三の丸、石垣、虎口、曲輪、竪堀などが残っている。

角牟礼城跡の特長
目的 玖珠郡支配の拠点、玖珠盆地から豊前方面へ向かう交通路の監視、大友氏領への侵入を防ぐ軍事拠点、豊臣政権下における玖珠・日田支配の拠点
特長 森氏、玖珠郡衆、大友氏、毛利高政、豊薩戦、角埋山、天然の要害、山城、石垣、土塁、曲輪、畝状竪堀、外桝形、櫓門、穴太積、登り石垣、続日本100名城
他の城との違い ・中世の土づくりの山城と、近世初頭の石垣城郭の特徴を同じ城内で確認できる
・三方を数m~30mの断崖に囲まれ、自然の岩壁そのものを防御に利用している
・毛利高政による改修では城全体を完全に石垣で囲わず、断崖を天然の石垣として利用したと考えられている
・二の丸南側には高さ約7m、全長約100mに及ぶ大規模な石垣が残る
角牟礼城跡の石垣・土塁
石垣 現存。一部修復整備あり
土塁 現存
種類 野面積、穴太積、石垣、土塁、切岸、帯曲輪、畝状竪堀、外桝形、虎口、登り石垣、山城
石材 角埋山周辺の自然石を用いた石垣
特長 角牟礼城跡の石垣は、文禄3年(1594)に入った毛利高政による近世城郭化を伝える遺構である。本丸北側、二の丸、三の丸などに石垣が築かれ、なかでも二の丸南虎口の石垣は最大高約7m、全長約100mに及ぶ。文化遺産オンラインでは搦手門地区の石垣を穴太積とし、自然石を主体とした石積みが残る。二の丸南側と西側には外桝形の虎口が設けられ、それぞれから同規模の櫓門跡が確認されている。三の丸は全体を石垣で囲み、斜面には二の丸へ向かう登り石垣も築かれていた。角牟礼城跡では、中世の切岸・曲輪・畝状竪堀と、毛利氏時代の石垣・虎口を比較することで、土の城から石垣の城への変化を見ることができる。
角牟礼城跡DATA
別称 角埋城
所在地 大分県玖珠郡玖珠町
築城 築城時期は不明。久寿年間(1154~1156)に源為朝が築いたという伝承があるが定かではなく、史料上の初見は文明7年(1475)。戦国時代に森氏ら玖珠郡衆が利用し、文禄3年(1594)に毛利高政が近世城郭へ改修した
築城者 不明。源為朝築城の伝承あり。戦国期は森氏ら玖珠郡衆、近世城郭への改修は毛利高政
住所 大分県玖珠郡玖珠町大字森
電話番号 0973-72-7151(玖珠町教育委員会 社会教育課)
開館時間 城跡は見学自由。豊後森藩資料館は9時~16時30分
休館日 城跡は見学自由。豊後森藩資料館は月曜日、月曜日が休日の場合はその翌日以後の最初の休日でない日、12月28日~1月4日
入館料 城跡は無料。豊後森藩資料館は町外一般100円、高校生以下または18歳未満無料
備考 角牟礼城跡は平成17年(2005)3月2日に国の史跡に指定され、続日本100名城の192番に選定されている。続日本100名城スタンプは豊後森藩資料館とくすまちメルサンホールに設置されている。慶長6年(1601)に来島氏が玖珠へ入ると、山麓に森陣屋を築き、角埋山は御留山として管理されたため、角牟礼城は城として使用されなくなった。
角牟礼城跡への交通アクセス
JR久大本線「豊後森」駅からバス約6分、徒歩約41分

HISTORY 角牟礼城跡について

角牟礼城跡の歴史
久寿年間 源為朝が角牟礼城を築いたという伝承が残るが、史実としては確認されていない
1475年 「志賀文書」に角牟礼城が現れ、史料上で城の存在が確認できる
戦国時代 玖珠郡衆のひとりである森氏の居城とされ、大友氏の支配下で玖珠地方の拠点城郭として利用される
戦国時代 大友氏の指導のもと改修が行われ、二の丸西曲輪や南側斜面の畝状竪堀群などが整備されたと考えられる
1587年 豊薩戦で島津氏が豊後へ侵攻するが、玖珠郡衆が角牟礼城に籠城して城を守る
1593年 大友氏が改易され、玖珠を含む豊後国の一部が豊臣秀吉の蔵入地となる
1594年 豊臣秀吉の家臣である毛利高政が玖珠へ入り、角牟礼城を支配拠点とする
安土桃山時代 毛利高政が本丸・二の丸・三の丸などに石垣や虎口、櫓門を整備し、角牟礼城を近世城郭へ改修する
1600年 関ヶ原の戦い後、毛利高政が佐伯へ転封される
1601年 来島氏が玖珠へ入り、角埋山南麓に森陣屋を築く。角牟礼城は城として使用されなくなる
江戸時代 角埋山は森藩久留島氏の御留山として管理され、城郭遺構が残される
1992年 搦手門地区で野面積み石垣の存在が確認され、城跡の価値が改めて注目される
1993年以降 玖珠町教育委員会による発掘調査が進み、本丸櫓跡、虎口、門跡、礎石建物、石垣などが確認される
2005年 3月2日、角牟礼城跡が国の史跡に指定される
2017年 日本城郭協会により、角牟礼城が続日本100名城のひとつに選定される