- 岡藩一度も城主の移封がなかった
- 岡藩は、現在の大分県竹田市大字竹田市一帯を治めていた藩です。豊後国内では石高が最大の藩であり、豊臣秀吉の配下であった中川清秀の次男、中川秀成が初代藩主となり、明治維新まで一度も国替えがなかった珍しい藩
岡城とは、大分県竹田市大字竹田にある国指定史跡の城跡である。阿蘇山の火砕流でできた海抜325mの岩山上に築かれ、稲葉川と白滝川に挟まれた険しい地形を利用した山城である。南北朝時代以降、豊後国の有力国人である志賀氏の拠点となり、戦国時代には島津氏の豊後侵攻を退けた難攻不落の城として知られた。文禄3年(1594)に中川秀成が入城すると、岡城は土の山城から総石垣の近世城郭へと大きく改修された。現在も本丸、二の丸、三の丸、西の丸などに壮大な石垣が残り、瀧廉太郎の名曲「荒城の月」の着想の地としても知られている。
| 目的 | 豊後国直入郡の支配拠点、岡藩の政庁、山間交通の監視、防御拠点、城下町形成の中心 |
|---|---|
| 特長 | 志賀氏、中川秀成、中川氏、岡藩、総石垣、山城、阿蘇溶結凝灰岩、断崖絶壁、豊薩合戦、瀧廉太郎、荒城の月 |
| 他の城との違い | ・阿蘇山の火砕流でできた岩山上に築かれた、地形そのものを防御に使う山城である ・中世の志賀氏の山城を、中川氏が総石垣の近世城郭へ改修した ・建物は残っていないが、本丸・二の丸・三の丸・西の丸にかけて壮大な石垣群が残る ・瀧廉太郎の「荒城の月」の着想の地として、城郭史と文化史の両面から知られる |
| 石垣 | 現存 |
|---|---|
| 土塁 | 一部痕跡あり |
| 種類 | 野面積、打込接、切込接、算木積、石垣、山城、総石垣、断崖上の城 |
| 石材 | 阿蘇溶結凝灰岩 |
| 特長 | 岡城の石垣は、阿蘇山の火砕流が固まった溶結凝灰岩を用いて築かれている。中川秀成の入城後、中世以来の山城が総石垣の近世城郭へ改修され、本丸、二の丸、三の丸、西の丸などに高石垣が築かれた。特に本丸・二の丸・三の丸周辺では、断崖上に石垣が連続し、地形と石垣を一体化させた防御構造がよく分かる。岡城では天守や櫓などの建物よりも、山上に広がる曲輪群と石垣の規模、折れを伴う石垣配置、岩山の地形を利用した城づくりを見るのが自然である。 |
| 別称 | 臥牛城、豊後竹田城 |
|---|---|
| 所在地 | 大分県竹田市 |
| 築城 | 文治元年(1185)に緒方惟栄が源義経を迎えるために築いたという伝承がある。史跡としては南北朝時代以来の中世山城で、中川氏時代に近世城郭として整備された |
| 築城者 | 緒方惟栄、志賀氏、中川秀成 |
| 住所 | 大分県竹田市大字竹田2889 |
| 電話番号 | 0974-63-1541 |
| 開館時間 | 9時~17時 |
| 休館日 | 年末年始。公式観光案内では12月29日~1月3日、岡城跡公式サイトでは12月31日~1月3日と案内されているため、来城前に最新情報の確認が望ましい |
| 入館料 | 高校生以上300円、小・中学生150円 |
| 備考 | 岡城は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。現在、天守や櫓などの建物は残っていないが、阿蘇溶結凝灰岩を用いた壮大な石垣群が残る。源義経を迎えるために築かれたという築城伝説、志賀氏による中世山城、中川氏による近世城郭という複数の時代の性格を持つ城である。瀧廉太郎の「荒城の月」の着想の地としても知られ、城内には瀧廉太郎像がある。 |
岡城は、大分県竹田市大字竹田市にあった山城です。天神山の山頂に作られ、「臥牛城(がぎゅうじょう)」、「豊後竹田城(ぶんごたけたじょう)」といった別名をもち、難攻不落の堅城と呼ばれました。また、作曲家の滝廉太郎氏が城跡で名曲「荒城の月」の着想を得たことでも知られています。そんな数々の逸話が残る岡城の歴史を紐解いていきましょう。
| 1185年 | 緒方惟栄が源義経を迎えるために岡城を築いたという伝承が残る |
|---|---|
| 南北朝時代 | 岡城は南北朝時代以来の中世山城として営まれたとされる |
| 14世紀後半 | 豊後国の有力国人である志賀氏が直入郡へ進出し、岡城を拠点とする |
| 戦国時代 | 岡城は志賀氏の居城として整備され、豊後南西部の重要拠点となる |
| 1586年 | 島津氏が豊後へ侵攻する。志賀親次が岡城に籠もり、島津軍の攻撃を退ける |
| 1594年 | 中川秀成が岡城に入城する |
| 安土桃山時代 | 中川氏により、岡城は土の山城から総石垣の近世城郭へ大きく改修される |
| 江戸時代 | 岡城は岡藩7万石の中川氏の居城となり、藩政の中心として機能する |
| 江戸時代 | 本丸、二の丸、三の丸、西の丸などに御殿や櫓が置かれ、山上の城郭として整備される |
| 1871年 | 廃藩置県により岡藩が廃止され、岡城は城としての役割を終える |
| 明治時代 | 城郭建物の多くが失われるが、石垣や曲輪、門跡などの遺構が残る |
| 20世紀 | 瀧廉太郎の「荒城の月」の着想の地として広く知られるようになる |
| 現在 | 国指定史跡として保存され、日本100名城のひとつとして多くの人が訪れる城跡となっている |
岡城と関連する事件を読む
| 藩庁 | 岡城 |
|---|---|
| 旧地域 | 豊後国直入郡竹田 |
| 石高 | 7万石 |
| 譜代・外様 | 外様 |
| 主な藩主 | 中川家 |
| 推定人口 | 7万8000人(明治元年) |
大分県竹田市にある岡城(おかじょう)は、断崖絶壁に築かれた山城で「難攻不落の名城」として知られます。瀧廉太郎が名曲『荒城の月』の着想を得た場所としても有名で、現在は国史跡「岡城跡」として整備されています。日本百名城にも選ばれており、見事な石垣群で知られています。