- 江戸幕府最後の武家政権
- 江戸幕府は慶長8年(1603年)に徳川家康が征夷大将軍に任ぜられて江戸に開いた武家政権です。鎌倉時代から始まった武家政権の最後であり、徳川家が将軍職を世襲したことから徳川幕府ともいわれています。また、
大阪城とは、大阪府大阪市中央区にある安土桃山時代から近世にかけての城跡である。天正11年(1583)に豊臣秀吉が石山本願寺跡に築城を始め、天下統一の拠点として巨大な城郭と城下町を整えた。しかし慶長20年(1615)の大坂夏の陣で豊臣大坂城は落城し、その後、徳川幕府によって盛土で埋められた。現在地上に残る石垣や堀は、元和6年(1620)以降に徳川幕府が再築した大坂城の遺構である。現在の天守閣は昭和6年(1931)に建てられた復興天守で、内部は大阪城天守閣として公開されている。
| 目的 | 豊臣政権の本拠、徳川幕府の西国支配拠点、大坂城代による幕府直轄拠点 |
|---|---|
| 特長 | 復興天守、徳川期石垣、巨石、内堀、外堀、大手門、桜門、豊臣石垣館 |
| 他の城との違い | ・豊臣秀吉の大坂城と、徳川幕府が再築した大坂城が重なる城である ・現在地上で見られる石垣や堀は、主に徳川期再築の遺構である ・地下には豊臣期の石垣が残り、大阪城豊臣石垣館でその一部を見ることができる |
| 石垣 | 現存 |
|---|---|
| 土塁 | 一部あり |
| 種類 | 切込接、打込接、巨石石垣、算木積み、石垣、水堀、枡形、惣構 |
| 石材 | 花崗岩など。瀬戸内海の島々や西国各地から運ばれた石材 |
| 特長 | 大阪城の石垣は、徳川幕府が豊臣大坂城を埋めた上に再築した大坂城の遺構である。大手門や桜門周辺には巨石を用いた石垣があり、幕府の権威を示す意匠としても機能した。内堀に面した高石垣や、隅部の算木積み、加工度の高い切込接・打込接の石垣から、徳川期の高度な石垣技術を確認できる。一方、豊臣期の石垣は地上には見えず、地下に埋められている点が大阪城の大きな特徴である。 |
| 別称 | 大坂城、錦城、金城 |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府大阪市 |
| 築城 | 1583年。徳川期再築は1620年以降 |
| 築城者 | 豊臣秀吉。徳川期再築は徳川幕府 |
| 住所 | 大阪府大阪市中央区大阪城1-1 |
| 電話番号 | 06-6941-3044 |
| 開館時間 | 大阪城天守閣は9時~18時。入館は17時30分まで |
| 休館日 | 年末年始(12月28日~1月1日) |
| 入館料 | 大人1,200円、大学生・高校生600円、中学生以下無料。大阪城天守閣と大阪城豊臣石垣館に入館可能 |
| 備考 | 大阪城跡は国指定特別史跡で、日本100名城にも選定されている。現在の天守閣は1931年に建てられた鉄骨鉄筋コンクリート造の復興天守で、史実上の天守を完全に復原したものではない。2025年に大阪城豊臣石垣館が開館し、地下に残る豊臣期石垣を見学できる。 |
| 1496年 | 蓮如が大坂に坊舎を建て、のちに石山本願寺として発展する |
|---|---|
| 1580年 | 石山合戦の終結により、石山本願寺が退去する |
| 1583年 | 豊臣秀吉が石山本願寺跡で大坂城の築城を始める |
| 1585年 | 豊臣大坂城の天守が完成する |
| 1598年 | 豊臣秀吉が伏見城で死去する |
| 1614年 | 大坂冬の陣が起こる |
| 1615年 | 大坂夏の陣で豊臣大坂城が落城し、豊臣氏が滅亡する |
| 1620年 | 徳川幕府が大坂城の再築を始める |
| 1626年 | 徳川期大坂城の天守が完成する |
| 1665年 | 落雷により徳川期の天守が焼失し、以後再建されない |
| 1868年 | 戊辰戦争に際して城内の多くの建物が焼失する |
| 1931年 | 現在の大阪城天守閣が復興される |
| 1953年 | 大阪城跡が国の特別史跡に指定される |
| 1997年 | 大阪城天守閣の平成の大改修が完了する |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
| 2025年 | 大阪城豊臣石垣館が開館する |
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| 居城 | 江戸城 |
|---|---|
| 旧地域 | 江戸 |
| 石高 | 400万石 |
| 主な藩主 | 徳川家 |
大阪府大阪市中央区にある大阪城は、日本三名城に選ばれた大阪を代表する広大なお城です。大阪屈指の桜の名所でもある大阪城公園内に位置しており、園内には再建天守や江戸時代から残る櫓、石垣などが点在しています。広々とした公園内にはホールや複合施設、野球場などもあり、イベント時には多くの人々でにぎわうスポットです。