三光神社大阪府大阪市

秋の三光神社1 秋の三光神社2 秋の三光神社3 秋の三光神社4
  • 大阪城東南の上町台地、真田山に鎮座する古社
  • 古くは姫山神社と称し、中風除の神として信仰される神社
  • 真田幸村像、真田の抜け穴、大阪七福神の寿老神で知られる真田丸ゆかりの社

三光神社とは、大阪府大阪市天王寺区玉造本町にある神社である。大阪城の東南、上町台地の一角にあたる真田山に鎮座し、古くは姫山神社と称した。現在は真田山の三光神社として知られ、御祭神は天照大神、月読尊、素戔鳴尊である。創立は反正天皇の御代と伝わり、創建以来、武内宿弥の末裔とされる武川氏が神職として奉仕してきたと伝えられる。三光神社は古来より中風除の神として知られ、毎年6月1日から7日間、中風除祈願大祭が行われる。境内には、長寿の神として祀られる武内宿弥社、角力の神である野見宿弥社、五穀をはじめ食物を司る主守稲荷社などの末社がある。大阪七福神の一つである寿老人も祀られ、富貴長寿の信仰を集めている。さらに三光神社は、大坂冬の陣で真田幸村が築いた出城「真田丸」の一部と考えられる場所にあり、境内には幸村が掘ったと伝わる「真田の抜け穴」と真田幸村像がある。真田幸村像は昭和62年(1987)に建立されたもので、台座には信州上田の真田家菩提寺から取り出した石が用いられている。心眼寺、真田丸顕彰碑、玉造稲荷神社、円珠庵とあわせて巡ると、大坂の陣と真田山周辺の歴史を理解しやすい。

三光神社の特長
目的 天照大神・月読尊・素戔鳴尊への信仰、中風除、厄除、病気平癒、家内安全、長寿祈願、富貴長寿、寿老人信仰、真田幸村ゆかりの歴史継承、真田丸跡とされる地域の顕彰
特長 三光神社、真田山、姫山神社、上町台地、天照大神、月読尊、素戔鳴尊、中風除、茅の輪くぐり、武内宿弥社、野見宿弥社、主守稲荷社、大阪七福神、寿老人、真田幸村、真田信繁、真田丸、真田の抜け穴、真田幸村像、真田石、宰相山公園、心眼寺、玉造、餌差町
他の神社との違い ・大阪城東南の丘陵、真田山に鎮座する神社で、古くは姫山神社と称した
・天照大神、月読尊、素戔鳴尊の三柱を祀り、社名の「三光」とも結びつけて語られる
・古来より中風除の神として知られ、毎年6月1日から7日間、中風除祈願大祭が行われる
・境内に大阪七福神の寿老人を祀り、富貴長寿の信仰を集めている
・真田丸跡とされる地域にあり、真田の抜け穴、真田幸村像を通じて大坂冬の陣の記憶を伝えている
三光神社DATA
別称 真田山三光神社、三光宮、姫山神社
正式名称 三光神社
所在地 大阪府大阪市天王寺区
創建 反正天皇の御代と伝わる。古くは姫山神社と称した
祭神 天照大神、月読尊、素戔鳴尊
御神徳 中風除、病気平癒、厄除、家内安全、長寿、富貴長寿
末社 仁徳天皇社、武内宿弥社、野見宿弥社、主守稲荷社
七福神 大阪七福神の寿老人を祀る
主な関係者 反正天皇、武内宿弥、武川氏、真田幸村、真田信繁、真田家、野見宿弥
主な見どころ 真田幸村像、真田の抜け穴、寿老人、武内宿弥社、野見宿弥社、主守稲荷社、境内の桜、宰相山公園周辺の真田丸ゆかりの地
文化財指定 国指定文化財等は確認できない。真田丸跡とされる地域に位置し、真田の抜け穴、真田幸村像を伝える史跡的神社として知られる
住所 大阪府大阪市天王寺区玉造本町14-90
電話番号 06-6761-0372
参拝時間 境内参拝自由。大阪観光局の案内では利用時間は9時~17時
社務所受付 平日9時~15時、土日祝9時~16時
休館日 年中無休。神事、行事、社務都合により変更の場合あり
拝観料 境内参拝無料
主な祭事 中風除祈願大祭、夏祭、真田祭り、年越し、初詣
アクセス Osaka Metro長堀鶴見緑地線「玉造駅」2番出口から徒歩約2分。JR大阪環状線「玉造駅」から徒歩約5分
備考 三光神社は、真田丸跡とされる地域に鎮座する神社である。境内には、真田幸村が大坂城へ通じる地下道として掘ったと伝わる「真田の抜け穴」がある。通常は鉄格子越しに見る形だが、真田祭りの際に開放される場合がある。真田幸村像は昭和62年(1987)5月5日に建立されたもので、台座には信州上田の真田家菩提寺・長谷寺から取り出した真田石が用いられている。三光神社は中風除の神社としても知られ、毎年6月1日から7日間、中風除祈願大祭が行われる。境内は桜の名所としても親しまれ、春には地域住民の憩いの場となる。周辺には心眼寺、真田丸顕彰碑、円珠庵、玉造稲荷神社があり、真田山・玉造エリアの歴史散策に組み込みやすい。
三光神社への交通アクセス
JR大阪環状線「玉造」駅から徒歩約5分。

HISTORY 三光神社について

三光神社の歴史
古代 三光神社の鎮座地は、大阪城東南の丘陵、上町台地の真田山にあたる
反正天皇の御代 社伝では、仁徳天皇から三代後の反正天皇の御代に創立されたと伝わる
古代以降 創建以来、武内宿弥の末裔とされる武川氏が神職として奉仕してきたと伝わる
古代・中世 神社は古くは姫山神社と称し、大昔の姫の松原の遺称を伝える社とされた
中世 真田山周辺は、上町台地の高所として、大坂城南方を見通す重要な地形であった
1614年 慶長19年、大坂冬の陣が起こる。三光神社周辺は、真田幸村が築いた出城「真田丸」の一部と考えられる地域となる
1614年 真田幸村が大坂城へ通じる地下道を設けたという伝承が生まれ、のちに境内の「真田の抜け穴」として語られるようになる
江戸時代 三光神社は中風除の神として知られ、祈願の社として広く信仰を集める
江戸時代 6月1日を祈願の初日とする中風除の神事が行われ、7日間にわたる祈願が続けられるようになる
江戸時代 武内宿弥社は長寿の神として祀られ、寿老人信仰と結びついていく
江戸時代 加賀宰相の陣屋がこの付近にあったとされ、周辺は宰相山とも呼ばれるようになる
1859年 安政6年7月、野見宿弥社が天満砂原屋敷の相撲場に勧請されたと伝わる
明治時代前期 野見宿弥社は相撲場の移転に伴い、難波新地六番町へ移されたとされる
1886年 明治19年3月2日、野見宿弥社が三光神社境内へ移転される
近代 三光神社は中風除の神社、大阪七福神の寿老人を祀る神社として親しまれる
1945年 昭和20年6月1日、空襲により各社殿をはじめ建物一切と氏子地域が焼失する
戦後 復興は困難とされたが、氏子崇敬者の尽力により再建が進められる
戦後復興期 第一期に本殿、第二期に社務所、第三期に拝殿と正面大鳥居、第四期に各末社と北参道大鳥居が整えられる
1987年 昭和62年5月5日、境内に真田幸村像が建立される。台座には信州上田の真田家菩提寺から取り出した石が用いられた
現代 真田幸村像と真田の抜け穴により、大坂冬の陣、真田丸ゆかりの地として多くの参拝者が訪れるようになる
現代 11月の真田祭りでは、通常は鉄格子越しに見る真田の抜け穴が開放される場合がある
現在 三光神社は、中風除の神社、大阪七福神の寿老人を祀る神社、真田幸村と真田丸ゆかりの社として、多くの参拝者を迎えている