一心寺大阪府大阪市

秋の一心寺1 秋の一心寺2 秋の一心寺3 秋の一心寺4
  • 文治元年(1185)に法然上人が日想観を修した地を発祥とする浄土宗寺院
  • 納骨された遺骨で阿弥陀如来像を造立する「お骨佛の寺」として知られる寺院
  • 年中無休の常施餓鬼法要、大坂冬の陣の徳川家康本陣跡、現代的な山門で知られる天王寺の名刹

一心寺とは、大阪府大阪市天王寺区逢阪にある浄土宗の寺院である。山号は坂松山、院号は高岳院で、正式には坂松山高岳院一心寺という。寺の発祥は文治元年(1185)にさかのぼる。浄土宗を開いた法然上人が、四天王寺西門近くの草庵「荒陵の新別所」で、夕陽を観じて極楽浄土を思う日想観を修したことが始まりとされる。この草庵は法然上人の名にちなみ「源空庵」と呼ばれ、のちに一心寺へと改められた。慶長5年(1600)には徳川家康の第8男・仙千代の葬儀が一心寺で営まれ、家康との関係が深まった。慶長19年(1614)の大坂冬の陣では、家康の本陣が一心寺に置かれたと伝わる。江戸時代末期には、年中無休で施餓鬼法要を行う「おせがきの寺」として庶民の信仰を集めた。さらに明治20年(1887)、納骨された遺骨を粉末凝縮して阿弥陀如来像を造立する「お骨佛」が始まった。以来、お骨佛は10年ごとに造立され、先祖供養と仏像信仰が一体となった一心寺独自の信仰として親しまれている。大阪大空襲で堂宇の多くを失ったが、戦後に再建され、現在は納骨堂、お骨佛堂、本堂、現代的な山門と仁王像を備えた、天王寺を代表する庶民信仰の寺院となっている。

一心寺の特長
目的 阿弥陀如来への信仰、念仏信仰、法然上人ゆかりの霊場参拝、納骨、先祖供養、常施餓鬼法要、お骨佛への参拝、永代供養、故人供養、庶民信仰の継承、大坂の陣ゆかりの歴史継承
特長 一心寺、坂松山、高岳院、浄土宗、法然上人、源空庵、荒陵の新別所、日想観、四天王寺西門、徳川家康、仙千代、本誉存牟上人、大坂冬の陣、家康本陣、お骨佛、おせがき、常施餓鬼、納骨堂、お骨佛堂、山門、仁王像、三千佛堂、一心寺シアター倶楽、天王寺、逢坂、茶臼山、通天閣
他の寺院との違い ・法然上人が日想観を修した地を発祥とする、浄土宗ゆかりの寺院である
・納骨された遺骨で阿弥陀如来像を造立する「お骨佛」の信仰で全国的に知られている
・宗派を問わず納骨を受け入れ、庶民の先祖供養の寺として発展してきた
・江戸時代末期から年中無休で施餓鬼法要を行う「おせがきの寺」として親しまれている
・大坂冬の陣で徳川家康の本陣が置かれたと伝わり、天王寺・茶臼山周辺の大坂の陣史跡とも関わりが深い
一心寺DATA
別称 お骨佛の寺、おせがきの寺、源空庵
正式名称 坂松山高岳院一心寺
所在地 大阪府大阪市天王寺区
開基 文治元年(1185)。法然上人が荒陵の新別所で日想観を修したことを発祥とする
開山 法然上人
再興 慶長年間、本誉存牟上人により再興されたと伝わる
宗派 浄土宗
山号 坂松山
院号 高岳院
本尊 阿弥陀如来
札所 法然上人二十五霊場 第7番。大阪新四十八願所 第39番
主な関係者 法然上人、徳川家康、仙千代、本誉存牟上人、本多忠朝、真阿上人
主な建築 本堂、納骨堂、お骨佛堂、三千佛堂、山門、仁王像、一心寺シアター倶楽
主な見どころ お骨佛、納骨堂、本堂、山門と仁王像、三千佛堂、本多忠朝墓所、境内の墓碑・句碑、天王寺七坂周辺の町並み
文化財指定 一心寺文書は大阪府指定有形文化財。一心寺仏画群などは大阪市指定有形文化財。お骨佛の信仰習俗は大阪市指定無形民俗文化財
住所 大阪府大阪市天王寺区逢阪2丁目8-69
電話番号 06-6771-0444
開門時間 5時~18時
本堂・受付・休憩所 9時~16時
納骨受付 9時~16時。盆、彼岸などは時間が変更される場合あり
休館日 年中無休
拝観料 境内参拝無料
アクセス JR大阪環状線・Osaka Metro御堂筋線「天王寺駅」から徒歩圏内。Osaka Metro谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」から徒歩圏内。Osaka Metro堺筋線「恵美須町駅」からも徒歩圏内
備考 一心寺は、納骨された遺骨で阿弥陀如来像を造立する「お骨佛」で知られる寺院である。明治20年(1887)に最初のお骨佛が造立され、以後10年ごとに一体を造立するならわしが続いている。お骨佛は、遺骨による先祖供養と阿弥陀如来への礼拝が一体となった信仰で、多くの参拝者に親しまれている。大阪大空襲では堂宇の多くが焼失したが、戦後に再建された。現在の一心寺は、古い寺院信仰と現代的な建築表現が共存している点も特徴で、山門の仁王像は寺の象徴的な景観となっている。周辺には四天王寺、茶臼山、天王寺公園、安居神社、通天閣、新世界があり、天王寺・上町台地・大坂の陣ゆかりの散策とあわせて巡りやすい。
一心寺への交通アクセス
JR大阪環状線「天王寺」駅から徒歩約15分。

HISTORY 一心寺について

一心寺の歴史
1185年 文治元年、法然上人が四天王寺西門近くの草庵「荒陵の新別所」で日想観を修したと伝わる。これが一心寺の発祥とされる
鎌倉時代初期 草庵は法然上人の本名・源空にちなみ、「源空庵」と呼ばれるようになる
中世 源空庵は法然上人ゆかりの旧跡として伝えられ、四天王寺西門周辺の念仏信仰の場となる
1596年頃 慶長年間、三河国出身の僧・本誉存牟上人が、法然上人ゆかりの地で念仏修行を行い、寺を再興したと伝わる
1600年 慶長5年、徳川家康の第8男・仙千代が夭折し、一心寺で葬儀が営まれる。導師は本誉存牟上人が務めた
1600年以後 仙千代の葬儀を契機に、一心寺は徳川家康との関係を深める
1614年 慶長19年、大坂冬の陣で徳川家康の本陣が一心寺に置かれる
1615年 慶長20年、大坂夏の陣が起こる。天王寺、茶臼山周辺は激戦地となる
江戸時代前期 一心寺は、徳川家との関係を背景に寺勢を整え、念仏信仰の寺として存続する
江戸時代 一心寺は檀家を持たない寺として、広く庶民の参詣と供養を受け入れる寺となる
江戸時代後期 一心寺は一時衰微するが、真阿上人らにより復興が進められる
1856年 安政3年、年中無休で施餓鬼法要を営む常施餓鬼法要が始まる
江戸時代末期 一心寺は「おせがきの寺」として賑わい、納骨に訪れる人々も増えていく
1887年 明治20年、納骨された遺骨で阿弥陀如来像を造立する最初のお骨佛が開眼される
明治時代 お骨佛の信仰が広がり、一心寺は「お骨佛の寺」として知られるようになる
以後 一心寺では、10年ごとに納骨された遺骨をひとまとめにして、お骨佛を造立するならわしが続けられる
昭和時代前期 一心寺は納骨、施餓鬼、先祖供養の寺として、多くの庶民の信仰を集める
1945年 昭和20年、大阪大空襲により堂宇の多くが焼失する。戦前に造立されたお骨佛も大きな被害を受ける
戦後 焼け残ったお骨佛の遺灰と戦後に納骨された遺骨をもとに、新たなお骨佛が造立され、信仰が受け継がれる
昭和時代後期 本堂、納骨堂、境内施設が整えられ、戦後の一心寺は再び多くの参拝者を迎える寺となる
平成時代 現代的な山門や仁王像、三千佛堂、一心寺シアター倶楽などが整備され、伝統的な寺院信仰と現代建築が共存する境内となる
2005年 お骨佛の信仰習俗が大阪市指定無形民俗文化財に指定される
2011年 法然上人八百年大遠忌を迎え、法然上人ゆかりの寺としての由緒が改めて注目される
2021年 令和3年、納骨の受け入れについて小骨壺のみとする制限が始まる
現代 一心寺は、宗派を問わず納骨と先祖供養を受け入れる寺として、多くの参拝者が訪れる
現在 一心寺は、法然上人ゆかりの浄土宗寺院、お骨佛の寺、おせがきの寺、大坂冬の陣で徳川家康本陣が置かれた寺として、天王寺を代表する信仰の場となっている