長岡城新潟県長岡市

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  • 長岡藩牧野氏の居城
  • 現在の長岡駅周辺にあった平城
  • 北越戦争で激戦の舞台となった城

長岡城とは、新潟県長岡市にあった江戸時代の城である。堀直竒による築城をもとに、牧野忠成が整備を継承し、以後、長岡藩牧野氏の居城として幕末まで機能した。戊辰戦争の北越戦争では、河井継之助率いる長岡藩が新政府軍と激しく戦い、長岡城は落城と奪還を経て、再び落城した。現在は長岡駅周辺が本丸跡、アオーレ長岡付近が二の丸跡にあたり、アオーレ長岡隣に長岡城跡の碑が建つ。

長岡城の特長
目的 長岡藩の政庁、牧野氏の居城、越後中部の支配拠点
特長 苧引形兜城、平城、長岡藩牧野氏の城、北越戦争の舞台
他の城との違い ・現在の長岡駅周辺に本丸があった都市型の平城である
・戊辰戦争の北越戦争で、落城と奪還を経験した城である
・城郭遺構はほとんど残らず、城跡碑や周辺施設から城の位置をたどる城跡である
長岡城の石垣・土塁
石垣 現存遺構なし
土塁 現存遺構なし
種類 平城、堀、土塁、城下町
石材 該当なし
特長 長岡城は石垣を主体とする城ではなく、堀や土塁を備えた平城であったと考えられる。現在の本丸跡は長岡駅周辺、二の丸跡はアオーレ長岡周辺にあたり、市街地化により城郭遺構はほとんど残っていない。城跡としては、石垣や天守ではなく、長岡駅周辺に残る城跡碑と、北越戦争の舞台となった歴史を中心に理解するのが自然である。
長岡城DATA
別称 苧引形兜城
所在地 新潟県長岡市
築城 1618年頃
築城者 堀直竒、牧野忠成
住所 新潟県長岡市大手通1丁目周辺
電話番号 0258-39-2221
開館時間 長岡城跡は見学自由。河井継之助記念館は10時~17時。入館は16時30分まで
休館日 長岡城跡はなし。河井継之助記念館は火曜日。祝日の場合は翌平日。年末年始(12月29日~1月3日)
入館料 長岡城跡は無料。河井継之助記念館は大人200円、高校・大学生150円、小・中学生100円
備考 現在、長岡城の城郭遺構はほとんど残っていない。長岡駅付近が本丸跡、アオーレ長岡付近が二の丸跡で、アオーレ長岡隣に長岡城跡の碑がある。北越戦争や河井継之助について知る場合は、河井継之助記念館とあわせて見学するとよい。
長岡城への交通アクセス
JR信越本線「長岡駅」からバス約15分。

HISTORY 長岡城について

長岡城の歴史
1618年 堀直竒による長岡城築城をもとに、牧野忠成が整備を継承する
江戸時代 長岡藩牧野氏の居城として、藩政の中心となる
幕末 河井継之助が長岡藩の上席家老となり、藩政改革と軍制改革を進める
1868年 戊辰戦争の北越戦争で、長岡藩が新政府軍と交戦する
1868年 新政府軍の攻撃により長岡城が落城する
1868年 河井継之助ら長岡藩兵が奇襲により長岡城を一時奪還する
1868年 新政府軍の再攻撃により長岡城が再び落城し、長岡藩兵は会津方面へ退く
明治時代 城跡は市街地化し、城郭遺構の多くが失われる
現在 長岡駅付近が本丸跡、アオーレ長岡付近が二の丸跡となり、長岡城跡の碑が建つ

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長岡城を藩庁とする、長岡藩の歴史

三つ柏

牧野家の家紋「三つ柏」

長岡藩DATA
藩庁 長岡城
旧地域 越後国
石高 7万4000石
譜代・外様 譜代
主な藩主 牧野氏
推定人口 12万人(明治元年)

大阪冬夏の陣で奮戦した牧野忠成が加増移封されて立藩。依頼、13代忠毅の代まで牧野家が藩主を務める。幕末には、河井継之助が藩政改革を断行。戊辰戦争では新政府軍と激闘を展開したものの、無念の最期を遂げた。