鮫ヶ尾城新潟県妙高市

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  • 御館の乱で上杉景虎が最期を迎えた城
  • 斐太歴史の里に残る戦国時代の山城
  • 曲輪・堀切・土塁が残る続日本100名城

鮫ヶ尾城とは、新潟県妙高市にある戦国時代の山城跡である。斐太歴史の里の丘陵上に築かれ、上杉謙信の死後に起きた御館の乱では、上杉景虎が最後に立てこもった城として知られる。天正7年(1579)、上杉景勝に追い詰められた景虎は鮫ヶ尾城で自害し、城も廃城となった。現在は国指定史跡として整備され、本丸跡、曲輪、堀切、土塁、井戸跡などが残り、戦国越後の山城の姿を伝えている。

鮫ヶ尾城の特長
目的 上杉氏の軍事拠点、北国街道周辺の防御拠点、御館の乱における景虎方の拠点
特長 山城、御館の乱、上杉景虎終焉の地、本丸跡、曲輪、堀切、土塁、井戸跡
他の城との違い ・上杉景虎が御館の乱で最期を迎えた城である
・石垣や天守を見せる城ではなく、土塁・堀切・曲輪を中心とした土の城である
・斐太遺跡、観音平・天神堂古墳群とあわせて、斐太歴史の里の一部として見学できる
鮫ヶ尾城の石垣・土塁
石垣 なし
土塁 現存
種類 土塁、堀切、竪堀、曲輪、虎口、井戸跡、山城
石材 該当なし
特長 鮫ヶ尾城は石垣を主体とする城ではなく、丘陵地形を活かし、土塁・堀切・竪堀・曲輪によって構成された戦国時代の山城である。尾根上には本丸跡を中心に複数の曲輪が配置され、堀切によって防御線が設けられている。御館の乱で落城したとされる城であり、城跡からは焼けた米が出土するなど、落城時の緊迫を伝える遺物も確認されている。
鮫ヶ尾城DATA
別称 なし
所在地 新潟県妙高市
築城 16世紀
築城者 上杉氏、または長尾氏と考えられる
住所 新潟県妙高市大字宮内・籠町・雪森
電話番号 0255-72-0697
開館時間 鮫ヶ尾城跡は見学自由。斐太歴史の里総合案内所は開館期間・時間を事前確認
休館日 鮫ヶ尾城跡はなし。斐太歴史の里総合案内所は冬季休館等あり
入館料 無料
備考 鮫ヶ尾城跡は国指定史跡で、続日本100名城にも選定されている。続日本100名城スタンプは、令和8年度は斐太歴史の里総合案内所に設置されている。斐太歴史の里には鮫ヶ尾城跡のほか、斐太遺跡、観音平・天神堂古墳群などがある。
鮫ヶ尾城への交通アクセス
えちごトキめき鉄道「上越妙高」駅から車で約11分。

HISTORY 鮫ヶ尾城について

鮫ヶ尾城の歴史
16世紀 鮫ヶ尾城が築かれたとされる
戦国時代 上杉氏、または長尾氏の山城として、北国街道周辺の防御拠点となる
1578年 上杉謙信が死去し、上杉景勝と上杉景虎による御館の乱が起こる
1579年 劣勢となった上杉景虎が鮫ヶ尾城へ逃れる
1579年 上杉景勝に追い詰められた上杉景虎が鮫ヶ尾城で自害する
1579年 鮫ヶ尾城が落城し、廃城となる
2008年 鮫ヶ尾城跡が国の史跡に指定される
2017年 続日本100名城に選定される

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