- 新発田藩新田開発に力をそそいだ
- 新発田藩は、現在の新潟県新発田市を中心に下越地方の一部まで治めた藩です。元々は上杉氏に仕える新発田氏の所領でしたが、天正9年(1581年)に新発田重家が乱を起こし、上杉景勝に滅ぼされました。その後、溝
新発田城とは、新潟県新発田市にある江戸時代の平城である。慶長3年(1598)に新発田へ入封した溝口秀勝が築城を始め、約50年の歳月をかけて3代宣直の時代に完成した。新発田藩溝口氏の居城として幕末まで機能し、本丸・二の丸・三の丸を堀と石垣で囲む城であった。現在は表門と旧二の丸隅櫓が現存し、三階櫓と辰巳櫓が復元されている。特に三階櫓は、屋根に三匹の鯱を配する全国的にも珍しい櫓として知られる。
| 目的 | 新発田藩の政庁、溝口氏の居城、阿賀北地域支配の拠点 |
|---|---|
| 特長 | 平城、三階櫓、三匹の鯱、表門、旧二の丸隅櫓、辰巳櫓、海鼠壁 |
| 他の城との違い | ・天守の代わりに三階櫓が置かれていた ・三階櫓の屋根に三匹の鯱を配する珍しい構造を持つ ・本丸跡の一部は現在も陸上自衛隊新発田駐屯地内にあり、三階櫓内部は公開されていない |
| 石垣 | 現存・復元整備 |
|---|---|
| 種類 | 切込接、布積み、石垣、水堀、平城 |
| 石材 | 不明 |
| 特長 | 新発田城は、新発田川の水を引き込んだ堀と石垣で守られた平城である。石垣には、加工した石を隙間なく積む切込接が見られ、整った横目地を持つ美しい石垣が城の景観をつくっている。現存する表門や旧二の丸隅櫓、復元された辰巳櫓・三階櫓とともに、白壁と海鼠壁、石垣、水堀が調和した近世城郭らしい姿を伝えている。 |
| 別称 | 菖蒲城、あやめ城、舟形城 |
|---|---|
| 所在地 | 新潟県新発田市 |
| 築城 | 1598年 |
| 築城者 | 溝口秀勝 |
| 住所 | 新潟県新発田市大手町6丁目 |
| 電話番号 | 0254-22-9534 |
| 公開期間 | 4月~11月。12月~3月下旬は冬期閉鎖 |
| 公開時間 | 9時~17時。11月のみ16時30分まで |
| 休館日 | 公開期間中はなし。冬期閉鎖期間を除く |
| 入場料 | 無料 |
| 備考 | 新発田城表門と旧二の丸隅櫓は国指定重要文化財である。三階櫓と辰巳櫓は2004年に復元された。三階櫓は陸上自衛隊新発田駐屯地内にあるため内部は公開されていない。新発田城は日本100名城にも選定されている。 |
新発田城は新潟県新発田市に存在した平城です。城が完全な形になったのが承応3年(1654年)と遅かったため、天守閣の代わりに三階櫓がしつらえられています。現在は敷地の一部が自衛隊駐屯地になっていますが、新潟県唯一の建築がある城跡として日本100名城の1つにも数えられています。 そんな、新発田城の歴史を紐解いていきましょう。
| 戦国時代 | 新発田氏歴代の居城があった場所とされる |
|---|---|
| 1598年 | 溝口秀勝が加賀大聖寺から新発田へ入封し、新発田城の築城を始める |
| 江戸時代前期 | 溝口氏3代宣直の時代に、約50年をかけて新発田城が完成する |
| 江戸時代 | 新発田藩溝口氏の居城として、幕末まで藩政の中心となる |
| 1668年 | 火災により城内の多くの建物が焼失する |
| 江戸時代 | 大火や老朽化により、城内の建物が数度にわたり修復・再建される |
| 1873年 | 廃城令により城の多くの建物が失われる |
| 1957年 | 表門と旧二の丸隅櫓が国の重要文化財に指定される |
| 2004年 | 三階櫓と辰巳櫓が復元される |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
| 藩庁 | 新発田城 |
|---|---|
| 旧地域 | 越後国蒲原郡新発田 |
| 石高 | 10万石 |
| 譜代・外様 | 外様 |
| 主な藩主 | 新発田氏、溝口氏 |
| 推定人口 | 19万人(明治元年) |
溝口秀勝が所領を安堵。以降溝口家が12代続く。尊王開国論を唱えた10代溝口直諒が「報国説」を著す。
新潟県新発田市にある新発田城は、新潟県内で唯一現存建築が残る城で、春は桜の名所として知られています。周囲の湿地に菖蒲が咲いていたことから「菖蒲城」、本丸が舟のような形をしていることから「舟形城」とも呼ばれました。城跡の大部分は陸上自衛隊の駐屯地となっており、現在は城の一部が見学できます。日本100名城にも選ばれました。