躑躅ヶ崎館とは、山梨県甲府市にある武田氏の館跡である。永正16年(1519)に武田信虎が築き、信虎・信玄・勝頼の武田氏3代が居住し、甲斐支配の政務を行った。館の周囲には堀や土塁がめぐらされ、背後には詰城として要害山城を備えるなど、単なる居館ではなく、政治・軍事の中心となる城館であった。現在は武田神社が鎮座し、武田氏館跡として国の史跡に指定されている。
| 目的 | 武田氏の本拠、甲斐支配の政庁、戦国大名館 |
|---|---|
| 特長 | 武田氏3代の居館、土塁、堀、西曲輪、味噌曲輪、武田神社、要害山城との連携 |
| 他の城との違い | ・天守や高石垣を持つ近世城郭ではなく、守護館を核とした城館である ・信虎・信玄・勝頼の武田氏3代が約60年にわたり本拠とした ・背後の要害山城を詰城とし、館と山城を組み合わせた防御体制を持っていた |
| 石垣 | 一部あり |
|---|---|
| 土塁 | 現存 |
| 種類 | 土塁、堀、曲輪、虎口、天守台石垣、戦国大名館 |
| 石材 | 不明 |
| 特長 | 躑躅ヶ崎館は石垣を主体とする城ではなく、土塁と堀をめぐらせた戦国大名の館である。現在の武田神社境内周辺には、館を囲んだ水堀や土塁が残り、武田氏の本拠だった面影を伝えている。一方で、天守台の高石垣などは武田氏の時代ではなく、武田氏滅亡後に織田・徳川・豊臣系の支配者によって甲斐統治拠点として再利用された時期の遺構と考えられる。武田氏の館としては、石垣よりも土塁・堀・曲輪構成を中心に見るのが自然である。 |
| 別称 | 武田氏館、武田氏館跡、武田館 |
|---|---|
| 所在地 | 山梨県甲府市 |
| 築城 | 1519年 |
| 築城者 | 武田信虎 |
| 住所 | 山梨県甲府市古府中町2611 |
| 電話番号 | 055-252-2609 |
| 開館時間 | 武田神社境内は拝観自由。各受付は8時30分~17時。宝物殿は9時30分~16時 |
| 休館日 | 武田神社境内はなし。宝物殿は水曜日 |
| 入館料 | 武田神社境内は無料。宝物殿は大人500円、小人250円 |
| 備考 | 躑躅ヶ崎館跡は国指定史跡「武田氏館跡」で、現在は武田神社が鎮座する。館跡の西側には武田信玄の嫡男・武田義信の館として築かれた西曲輪があり、周辺には味噌曲輪、御隠居曲輪などの関連遺構も残る。日本100名城にも選定されている。 |
| 1519年 | 武田信虎が躑躅ヶ崎に館を築き、甲斐府中を定める |
|---|---|
| 1521年 | 今川軍の侵攻に備え、詰城として要害山城が整備される |
| 1541年 | 武田信玄が父・信虎を追放し、武田氏の当主となる |
| 戦国時代 | 武田信玄が躑躅ヶ崎館を本拠として、甲斐・信濃を中心に勢力を広げる |
| 1573年 | 武田信玄が死去し、武田勝頼が家督を継ぐ |
| 1581年 | 武田勝頼が新府城へ本拠を移し、躑躅ヶ崎館は本拠としての役割を終える |
| 1582年 | 武田氏が滅亡し、躑躅ヶ崎館は織田・徳川勢により甲斐統治の拠点として再利用される |
| 豊臣政権期 | 天守台の高石垣など、武田氏時代とは異なる城郭施設が整備されたと考えられる |
| 1919年 | 館跡に武田神社が創建される |
| 1938年 | 武田氏館跡が国の史跡に指定される |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
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