甲斐善光寺とは、山梨県甲府市善光寺にある浄土宗の寺院である。山号は定額山で、長野の善光寺と区別するため、甲斐善光寺、甲州善光寺、甲府善光寺とも呼ばれる。永禄元年(1558)、武田信玄が川中島の戦いの折、信濃善光寺が兵火で焼失することを恐れ、御本尊善光寺如来像をはじめとする仏像・寺宝・僧侶を甲府へ移したことに始まる。甲府東部の板垣の郷は、善光寺建立に関わる本田善光を葬送した地と伝えられ、信濃善光寺との深い縁を持つ場所であった。武田氏滅亡後、御本尊は織田氏、徳川氏、豊臣氏のもとを転々とし、慶長3年(1598)に信濃善光寺へ帰座したが、甲斐善光寺には前立仏が残り、現在の御本尊として信仰されている。現在の金堂と山門は宝暦4年(1754)の大火後に再建された江戸時代後期の建築で、国の重要文化財に指定されている。金堂は善光寺建築特有の撞木造で、日本一とされる鳴き龍や戒壇めぐりを体験できる、甲府を代表する寺院である。
| 目的 | 信濃善光寺の御本尊・寺宝の保護、善光寺如来への信仰、武田信玄による祈願、甲府における浄土宗寺院の拠点、江戸時代の徳川家位牌所、参拝者の極楽往生祈願 |
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| 特長 | 甲斐善光寺、甲州善光寺、甲府善光寺、定額山、浄土宗、武田信玄、川中島の戦い、信濃善光寺、善光寺如来、前立仏、一光三尊式阿弥陀如来像、本田善光、金堂、山門、撞木造、日本一の鳴き龍、戒壇めぐり、宝物館、鐘楼堂銅鐘、武田菱、葵の御紋、国指定重要文化財 |
| 他の寺院との違い | ・川中島の戦いを背景に、信濃善光寺の御本尊や寺宝を守るため、武田信玄によって甲府に建立された寺院である ・信濃善光寺と同じく善光寺如来への信仰を伝えるが、甲斐善光寺では信濃善光寺の前立仏であった仏像を現在の御本尊として祀っている ・金堂は善光寺建築に特有の撞木造で、東日本最大級の木造建築として知られる ・金堂天井には日本一とされる鳴き龍があり、手を打つと龍が鳴くように音が響く体験ができる ・武田信玄ゆかりの寺でありながら、江戸時代には徳川家の位牌所にもなり、武田家と徳川家の両方の歴史を感じられる |
| 別称 | 甲州善光寺、甲府善光寺、新善光寺 |
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| 正式名称 | 定額山善光寺 |
| 所在地 | 山梨県甲府市 |
| 創建 | 永禄元年(1558)。武田信玄が川中島の戦いの折、信濃善光寺の焼失を恐れ、御本尊善光寺如来像や諸仏寺宝を甲府へ奉遷したことに始まる |
| 開基 | 武田信玄 |
| 宗派 | 浄土宗 |
| 山号 | 定額山 |
| 本尊 | 善光寺如来。建久6年(1195)に信濃善光寺の前立仏として造立された一光三尊式阿弥陀如来像 |
| 主な建築 | 金堂、山門、鐘楼堂 |
| 主な見どころ | 金堂、山門、善光寺如来、日本一の鳴き龍、戒壇めぐり、宝物館、鐘楼堂銅鐘、武田信玄公像 |
| 文化財指定 | 金堂、山門は国指定重要文化財。御本尊善光寺如来、鐘楼堂銅鐘なども重要な文化財として伝わる |
| 住所 | 山梨県甲府市善光寺3-36-1 |
| 電話番号 | 055-233-7570 |
| 拝観受付時間 | 9時~16時30分。御開帳期間中は8時~17時 |
| 休館日 | 無休 |
| 拝観料 | 金堂・宝物館共通:大人500円、小学生250円。30名以上の団体は2割引 |
| 備考 | 甲斐善光寺は、武田信玄が信濃善光寺の御本尊と寺宝を甲府へ移したことに始まる寺院である。武田氏滅亡後、秘仏である御本尊は織田氏、徳川氏、豊臣氏のもとを経て、慶長3年(1598)に信濃善光寺へ帰座した。一方、信濃善光寺の前立仏として造立された一光三尊式阿弥陀如来像は甲斐善光寺に残り、現在の御本尊として祀られている。宝暦4年(1754)の大火により伽藍は焼失したが、江戸時代後期に金堂と山門が再建された。金堂は善光寺建築特有の撞木造で、内陣天井には巨大な龍が描かれ、手を打つと音が反響する「鳴き龍」として知られる。金堂下では戒壇めぐりを体験でき、宝物館では甲斐善光寺に伝わる寺宝を拝観できる。JR身延線善光寺駅から徒歩で訪れやすく、甲府城、武田神社、東光寺、酒折宮とあわせて巡ると、甲府における武田氏ゆかりの寺社を理解しやすい。 |
| 1195年 | 建久6年、尾張の僧・定尊により、信濃善光寺の秘仏本尊の前立仏として、現在の甲斐善光寺御本尊となる善光寺如来像が造立されたとされる |
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| 1553年 | 天文22年、武田信玄と上杉謙信による川中島の戦いが始まる。以後、信濃善光寺周辺も戦乱の影響を受ける |
| 1558年 | 永禄元年、武田信玄が信濃善光寺の焼失を恐れ、御本尊善光寺如来像をはじめ、仏像、寺宝、僧侶を甲府へ奉遷する |
| 1558年 | 甲府東部の板垣の郷に善光寺が建立され、甲斐善光寺の歴史が始まる |
| 戦国時代 | 甲斐善光寺は、武田信玄の保護を受け、信濃善光寺の仏像・寺宝を守る寺院として整えられる |
| 1573年 | 武田信玄が死去する。甲斐善光寺は武田家ゆかりの寺院として存続する |
| 1582年 | 天正10年、武田氏が滅亡する。甲斐善光寺は大きな後ろ盾を失い、御本尊は織田氏、徳川氏、豊臣氏のもとを転々とする |
| 1590年 | 徳川家康が関東へ移り、甲斐国も徳川氏の支配下に入る。甲斐善光寺は徳川家とも関わりを持つようになる |
| 1598年 | 慶長3年、秘仏である御本尊が信濃善光寺へ帰座する。甲斐善光寺には前立仏が残り、以後この仏像が御本尊として祀られる |
| 江戸時代前期 | 甲斐善光寺は浄土宗の大寺院として整備され、甲州における善光寺信仰の中心となる |
| 江戸時代 | 本坊三院十五庵を有する大寺院として栄え、浄土宗甲州触頭を務める |
| 江戸時代 | 徳川家位牌所となり、武田家ゆかりの寺であると同時に、徳川家とも結びつく寺院となる |
| 1659年 | 万治2年、山門が建立される |
| 1754年 | 宝暦4年、付近の民家からの出火により伽藍が類焼し、金堂や山門などが焼失する |
| 1767年 | 明和4年、山門が上棟される。宝暦の大火後、再建事業が進められる |
| 1785年 | 天明5年、金堂が上棟される |
| 1796年 | 寛政8年、現在の金堂と山門が完成する。金堂は善光寺建築特有の撞木造で整えられる |
| 明治時代 | 近代の制度変化を経ながら、甲斐善光寺は甲府を代表する浄土宗寺院として信仰を保つ |
| 1891年 | 明治24年、山門の屋根が桟瓦葺に改められる |
| 1955年 | 昭和30年6月22日、金堂と山門が国の重要文化財に指定される |
| 1957年 | 昭和32年、金堂の解体修理が始まる |
| 1959年 | 昭和34年、台風により山門が倒壊する |
| 1960年 | 昭和35年、山門の復旧工事が始まる |
| 1962年 | 昭和37年、金堂と山門の修理が竣工する。保存上の理由から屋根は銅板葺へ変更される |
| 1997年 | 平成9年、80年ぶりとなる御開帳が行われる |
| 2004年 | 平成16年、金堂の保存修理が行われる |
| 2022年 | 令和4年、御開帳が行われ、甲斐善光寺の善光寺如来を拝する多くの参拝者が訪れる |
| 2025年 | 令和7年、金堂と山門の重要文化財指定から70年を迎える |
| 現在 | 甲斐善光寺は、武田信玄ゆかりの寺院、善光寺如来を祀る浄土宗寺院、金堂・山門・鳴き龍・戒壇めぐりで知られる甲府の名所として多くの参拝者を集めている |