- 諏訪藩神官の末裔が治める
- 諏訪藩は、諏訪高島城を居城にして信濃国諏訪郡周辺を領有した藩です。日根野高吉が諏訪高島城を築き、その後を諏訪神社の大祝の末裔である諏訪氏が明治まで治めました。そんな諏訪藩の歴史を紐解いていきましょう。
高島城とは、長野県諏訪市にある安土桃山時代から近世にかけての城跡である。1598年に豊臣秀吉の家臣・日根野高吉によって築かれ、完成当時は諏訪湖の湖水と湿地に囲まれた水辺の城であった。その姿から「諏訪の浮城」と呼ばれ、江戸時代には諏訪氏の居城として諏訪藩の政庁となった。現在は高島公園として整備され、復興天守、冠木門、角櫓、石垣、水堀などが城の面影を伝えている。
| 目的 | 諏訪支配の拠点、諏訪藩の政庁、湖畔の防御拠点 |
|---|---|
| 特長 | 諏訪の浮城、復興天守、水堀、石垣、連郭式の縄張り、杮葺き天守 |
| 他の城との違い | ・築城当時は諏訪湖と湿地に囲まれ、湖上に浮かぶように見えた ・本丸・二之丸・三之丸などが一直線に並ぶ連郭式の城である ・築城当初の天守や主要建物は瓦葺きではなく、杮葺きだったとされる |
| 石垣 | 現存・復元整備 |
|---|---|
| 種類 | 野面積、打込接、切込接など |
| 石材 | 安山岩など |
| 特長 | 高島城は、諏訪湖畔の軟弱な地盤に築かれた水辺の城で、本丸周辺に石垣と水堀が残る。築城当時は湖水と湿地に囲まれた城であり、石垣は水辺の城郭としての姿を伝える重要な遺構である。現在見られる天守台や本丸周辺の石垣は、復興天守や冠木門、角櫓とともに高島城らしい景観をつくっている。 |
| 別称 | 諏訪の浮城、浮城、島崎城 |
|---|---|
| 所在地 | 長野県諏訪市 |
| 築城 | 1598年 |
| 築城者 | 日根野高吉 |
| 住所 | 長野県諏訪市高島1丁目20-1 |
| 電話番号 | 0266-53-1173 |
| 開館時間 | 4月~9月は9時~17時30分。入館は17時まで。10月~3月は9時~16時30分。入館は16時まで |
| 休館日 | 11月第2木曜日、12月26日~12月31日。臨時休館あり |
| 入館料 | 大人310円、小・中学生150円 |
| 備考 | 現在の天守は1970年に復興された建物で、史実上の天守を正確に復原したものではない。内部は資料展示室と展望コーナーになっている。天守のある高島公園は桜の名所としても知られる。 |
高島城は、長野県諏訪市高島に築かれた平城です。築城時は諏訪湖に突き出した浮島に作られていたことから、「諏訪の浮城」ともよばれ、日本三大湖城の一つに数えられています。 当時としては最先端の技術を使って建てられた城は、続日本100名城(130番)にも選定されました。そんな高島城の歴史を紐解いていきましょう。
| 1591年 | 日根野高吉が諏訪の領主となり、高島城の築城を進める |
|---|---|
| 1598年 | 高島城が完成し、諏訪湖に浮かぶような姿から「諏訪の浮城」と呼ばれる |
| 1600年 | 日根野高吉が関ヶ原の戦い直前に死去する |
| 1601年 | 日根野吉明が下野国壬生へ移され、諏訪頼水が高島城に入る |
| 江戸時代 | 諏訪氏の居城として、諏訪藩の政庁となる |
| 1871年 | 廃藩置県により諏訪藩が廃止される |
| 1875年 | 高島城の天守などが取り壊される |
| 1970年 | 天守閣が復興される |
| 2017年 | 続日本100名城に選定される |
高島城と関連する事件を読む
| 藩庁 | 高島城 |
|---|---|
| 旧地域 | 信濃国諏訪郡高島 |
| 石高 | 3万石 |
| 譜代・外様 | 譜代 |
| 主な藩主 | 日根野氏、諏訪氏 |
1601年日根野氏が下野国壬生藩に転封、譜代大名の諏訪頼水が2万7千石で入封。再び諏訪氏が領主となり明治維新まで続く。
長野県諏訪市にあった高島城は、完成当時、周囲が湖水と湿地に囲まれていたことから「諏訪の浮城」とも称されており、日本三大湖城のひとつとされています。現在は復興天守や櫓、門、塀などが復元されています。