温泉寺長野県下高井郡

春の温泉寺1 春の温泉寺2 春の温泉寺3 春の温泉寺4 春の温泉寺5
  • 嘉元3年(1305)に虎関師錬国師が草庵を結んだことに始まると伝わる寺院
  • 武田信玄の寄進により再興・整備された渋温泉ゆかりの曹洞宗寺院
  • 温泉街の奥に位置し、渋温泉の歴史と信仰を伝える古刹

温泉寺とは、長野県下高井郡山ノ内町平穏にある曹洞宗の寺院である。正式には横湯山温泉寺といい、湯田中渋温泉郷のうち、渋温泉の温泉街の奥に位置している。寺伝では嘉元3年(1305)、京都の禅僧・虎関師錬国師が諸国巡行の途中でこの地を訪れ、草庵を結び、人々に温泉の効能を教えたことに始まるとされる。その後、一時荒廃したが、戦国時代に武田信玄の寄進を受けて伽藍が整えられ、曹洞宗の寺院として再興された。渋温泉は、武田軍の将兵が傷を癒やした温泉地とも伝えられ、温泉寺には信玄ゆかりの寄進状や軍配が寺宝として残るとされる。江戸時代には近隣の寺院を束ねるほど隆盛し、渋温泉の信仰と歴史を支える寺院となった。現在も山門、本堂、鐘楼などが残り、石畳の温泉街、九湯めぐり、湯治文化とあわせて訪れたい寺院である。

温泉寺の特長
目的 渋温泉における信仰の拠点、温泉の効能を伝える寺院、武田信玄ゆかりの祈願所、曹洞宗寺院としての供養と祈り、温泉街の歴史を伝える場所
特長 温泉寺、横湯山温泉寺、渋温泉、湯田中渋温泉郷、曹洞宗、虎関師錬国師、草庵、温泉の効能、武田信玄、信玄公寄進状、軍配、貞祥寺末寺、山門、本堂、鐘楼、経堂、信玄釜風呂、九湯めぐり、石畳の温泉街
他の寺院との違い ・温泉地の歴史と深く結びつき、温泉の効能を人々に伝えたという由緒を持つ寺院である
・武田信玄の寄進により再興・整備されたと伝わり、渋温泉と武田氏の関係を感じられる
・山門や本堂だけでなく、石畳の渋温泉街と一体で見ることで、湯治場の信仰空間として理解しやすい
・信濃の寺院でありながら、戦国期の武田氏、温泉療養、曹洞宗寺院の歴史が重なる
・渋温泉の九湯めぐり、湯田中温泉、地獄谷野猿公苑とあわせて巡ると、山ノ内町の温泉文化を立体的に感じられる
温泉寺DATA
別称 横湯山温泉寺
所在地 長野県下高井郡山ノ内町
創建 嘉元3年(1305)と伝わる。京都の禅僧・虎関師錬国師が諸国巡行の途中で渋温泉を訪れ、草庵を結んだことに始まるとされる
開山 虎関師錬国師
再興・整備 戦国時代、武田信玄の寄進により伽藍が整えられたと伝わる
宗派 曹洞宗
山号 横湯山
本尊 釈迦如来
主な関係者 虎関師錬国師、武田信玄
主な見どころ 山門、本堂、鐘楼、経堂、武田信玄ゆかりの寺宝、渋温泉の温泉街
住所 長野県下高井郡山ノ内町平穏2032
電話番号 0269-33-2220
参拝時間 境内参拝自由。本堂内の拝観はお盆、彼岸、年末年始などを除き通常不可とされるため、事前確認が望ましい
休館日 境内参拝はなし。本堂内拝観や寺務対応は要確認
拝観料 境内無料
備考 温泉寺は、湯田中渋温泉郷の渋温泉エリアにある曹洞宗寺院である。渋温泉公式では、武田信玄ゆかりの寺として紹介され、信玄公直筆の寄進状や軍配が寺宝として残るとされる。長野県公式観光サイトでは、横湯山と号し、佐久郡前山村の曹洞宗貞祥寺の末寺であり、武田信玄より寄進を受けたことで有名とされている。温泉街の奥に位置するため、渋温泉の石畳の町並み、九湯めぐり、湯田中温泉、安代温泉、地獄谷野猿公苑とあわせて訪れやすい。なお、所在地としては湯田中温泉そのものではなく、湯田中渋温泉郷の渋温泉にある寺院として扱うと正確である。
温泉寺への交通アクセス
長野電鉄長野線「湯田中」駅からバス約4分、徒歩約5分。

HISTORY 温泉寺について

温泉寺の歴史
1305年 嘉元3年、京都の禅僧・虎関師錬国師が諸国巡行の途中で渋温泉を訪れ、草庵を結んだことが温泉寺の始まりと伝わる
鎌倉時代末期 虎関師錬国師が人々に温泉の効能を教えたとされ、温泉と寺院信仰が結びつく
南北朝時代~室町時代 温泉寺は、渋温泉の信仰を支える寺院として存続する
戦国時代 信濃国北部は武田氏、上杉氏などの勢力争いの舞台となり、渋温泉周辺も戦国期の動きと関わる地域となる
1550年代 一時荒廃していた温泉寺が再興されたと伝わる
1564年 永禄7年、武田信玄が温泉寺の伽藍を整えさせたと伝わる
戦国時代後期 渋温泉は、川中島をはじめとする信濃の合戦で傷ついた武田軍の将兵が療養した温泉地とも伝えられる
戦国時代後期 温泉寺には、武田信玄ゆかりの寄進状や軍配が寺宝として伝えられるようになる
江戸時代前期 温泉寺は曹洞宗寺院として寺勢を保ち、近隣寺院との関係を深める
寛永年間 温泉寺は近隣十ヶ寺を束ねる寺院として隆盛したと伝わる
江戸時代 渋温泉は湯治場として発展し、温泉寺は温泉街の信仰拠点として参詣者を集める
江戸時代 温泉街と寺院が一体となり、湯治、信仰、旅が結びついた渋温泉の町並みが形づくられていく
明治時代 近代の制度変化を経ながら、温泉寺は渋温泉に残る曹洞宗寺院として存続する
昭和時代 渋温泉が温泉観光地として知られるようになり、温泉寺も武田信玄ゆかりの寺院として紹介されるようになる
平成以降 渋温泉の石畳の町並み、九湯めぐり、温泉情緒とともに、温泉寺は散策スポットとして親しまれる
現在 温泉寺は、武田信玄ゆかりの曹洞宗寺院として、渋温泉の歴史と信仰を伝える寺院となっている