小諸城長野県小諸市

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  • 城下町より低い場所に築かれた「穴城」
  • 苔むした野面積の石垣が残る城
  • 現在は小諸城址懐古園として整備

小諸城とは、長野県小諸市にある中世から近世にかけての城跡である。浅間山麓の地形と千曲川の段丘を活かして築かれ、城下町よりも低い位置に本丸を置くことから「穴城」と呼ばれる。戦国時代には武田氏の支配下で整備され、江戸時代には小諸藩の政庁として機能した。現在は小諸城址懐古園として整備され、三の門、石垣、空堀、天守台などが残る。島崎藤村ゆかりの地としても知られ、城跡と文学、桜・紅葉の景観をあわせて楽しめる。

小諸城の特長
目的 佐久地方支配の拠点、小諸藩の政庁、千曲川沿いの防衛拠点
特長 穴城、野面積の石垣、三の門、天守台、空堀、懐古園
他の城との違い ・城下町よりも低い場所に本丸がある「穴城」として知られる
・浅間山麓の傾斜地と千曲川の断崖を防御に活かしている
・現在は懐古園として整備され、城跡・記念館・動物園などを含む複合的な観光地となっている
小諸城の石垣・土塁
石垣 現存
土塁 一部現存
種類 野面積、石垣、土塁、空堀、曲輪、穴城
石材 浅間山系の火山石など
特長 小諸城には、自然石をほとんど加工せずに積み上げた野面積の石垣が残る。苔むした石垣と深い空堀が、懐古園らしい落ち着いた景観をつくっている。城は浅間山麓の傾斜地を利用し、本丸が城下町より低い位置にあるため「穴城」と呼ばれる。天守台や本丸周辺では石垣を見られる一方、空堀や土塁、千曲川方面の断崖も防御構造として重要である。
小諸城DATA
別称 酔月城、穴城、白鶴城
所在地 長野県小諸市
築城 戦国時代
築城者 武田氏、仙石秀久らにより整備
住所 長野県小諸市丁311
電話番号 0267-22-0296
開園時間 懐古園は9時~17時
休園日 11月30日まで無休。12月~3月第2週は毎週水曜日休園。年末年始(12月29日~1月3日)休園
入園料 共通券は高校生以上500円、小・中学生200円。散策券は高校生以上300円、小・中学生100円
備考 現在は小諸城址懐古園として整備されている。園内には三の門、天守台、石垣、空堀、懐古神社、徴古館、藤村記念館、小山敬三美術館、小諸義塾記念館、小諸市動物園などがある。日本100名城にも選定されており、日本100名城スタンプは懐古園事務所前に設置されている。
小諸城への交通アクセス
しなの鉄道及びJR小海線 小諸駅下車 徒歩5分。

HISTORY 小諸城について

小諸城の歴史
戦国時代 武田氏の支配下で、小諸周辺が佐久地方支配の拠点として整備される
1582年 武田氏滅亡後、小諸城は織田氏・徳川氏などの勢力下に入る
1590年 豊臣秀吉の小田原攻め後、仙石秀久が小諸城主となる
江戸時代初期 仙石秀久・忠政により、現在に残る近世城郭としての小諸城が整備される
江戸時代 小諸藩の政庁として機能し、仙石氏・松平氏・青山氏・牧野氏などが城主を務める
1871年 廃藩置県により小諸城が廃城となる
明治時代 小諸藩の元藩士らが城跡を買い戻し、保存に動く
1926年 本多静六の設計により、小諸城址懐古園として近代的な公園に整備される
2006年 日本100名城に選定される

小諸城を藩庁とする、小諸藩の歴史

永楽銭紋

仙石家の家紋「永楽銭紋」

小諸藩DATA
藩庁 小諸城
旧地域 信濃国佐久郡
石高 1万5000石
譜代・外様 譜代
主な藩主 武田氏、仙石氏、牧野氏
推定人口 3万人(明治元年)

小諸城、「懐古園」として知られる日本唯一級の「穴城」

長野県小諸市に残る小諸城は、全国でも珍しい「穴城」として知られる城です。一般的な城は城下町を見下ろす高所に築かれますが、小諸城は城下町よりも低い場所に本丸が置かれています。戦国時代には武田氏の信濃支配を支え、江戸時代には仙石氏や牧野氏の居城として発展しました。現在は懐古園として整備され、日本100名城に選ばれています。

小諸城
小諸城の歴史
小諸城の起源は平安時代から鎌倉時代に築かれた、木曽義仲の武将である小室太郎光兼の館(宇頭坂城)だと伝わっています。当時の小諸は中山道と北国街道が交わる交通の要衝であり、千曲川を利用した物流の拠点でもありました。そのため古くから城館が築かれていたと推察されます。
やがて南北朝時代に小室氏が衰退すると、大井氏が小諸佐久地方を支配。戦国時代に入ると大井宗家は滅亡し、大井氏の一部は小諸に逃れ、中沢川のほとりに小諸城の前身である鍋蓋城を築城しました。
天文23年(1554年)、武田信玄の侵攻により、鍋蓋城は武田氏の支配下となりました。信玄は鍋蓋城を東信濃支配の重要拠点と位置付け、城を取り込む形で新たな縄張りを施し、城郭を整備しました。これが小諸城の原型とされています。
築城にかかわった人物ははっきりとはしませんが、山本勘助や馬場信房がかかわったと言われています。その後、城代として小山田昌行が置かれました。小諸城最大の特徴である「穴城」の構造も、この時代に形成されたとみられています。
天正10年(1582年)に武田氏が滅亡すると滝川一益が城を領有しますが、本能寺の変で織田信長がこの世を去ると後北条氏等を経て徳川家康の支配下に入ります。天正18年(1590年)の小田原征伐後、豊臣秀吉は戦後の論功行賞で仙石秀久を小諸5万石に封じました。
秀久は城の大改修と城下町を整備しており、三之門や大手門の原型、石垣などはこの時代に整備されたものと考えられています。
関ヶ原の戦い後も仙石氏は小諸藩主として存続します。元和8年(1622年)、仙石氏が上田へ移封されると、代わって徳川家光の弟の松平忠長が領有。その後、青山氏や酒井氏などが入り、元禄15年(1702年)に牧野康重が1万5000石で入封し、以降は明治時代まで約170年間にわたり、牧野氏が同地を治めました。
明治維新後の廃城令により、多くの城が破却される中、小諸城は比較的良好に保存されました。明治13年(1880年)、旧城址は小諸藩旧士族に払い渡され、本丸跡に懐古神社が建立され、「懐古園」と名付けられました。大正15年(1926年)には自然景観を生かした公園としました。現在園内には遊園地や美術館、博物館などが建っています。平成18年(2006年)には日本100名城に選定されました。
小諸城の見どころ①大手門と三の門
小諸城を代表する遺構が大手門です。慶長17年(1612年)に仙石秀久によって築かれたとされる2層建ての楼門で、国の重要文化財に指定されています。明治期には民間に払い下げられて転用されましたが、平成に入って小諸城に寄贈され、平成の大改修・復元整理により現在の地に戻りました。
二層入母屋造の楼門の2階は居館形式になっています。現在は特別資料が展示されており、土日を中心に入場可能です。懐古園とはしなの鉄道の線路を挟んだ真向かいにあります。
懐古園の入口に建つ三之門も重要文化財で、慶長期から元和期(1596年〜1624年)に建てられました。洪水で流されたのち、明和2〜3年(1765年〜66年)に再建され、現在に至ります。
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小諸城の見どころ②石垣
小諸城の見どころの一つが石垣で、門をはじめさまざまな場所に野面積みの石垣が残っています。なお、再建された三の門の石垣は切り込みハギです。
本丸を囲む石垣は高さ約6mで迫力満点。天守台石垣は特に大きな石を活用していたようで、当時は金箔の瓦を葺いた3層の天守がそびえていましたが、寛永6年(1629)頃に天守が焼失した後は再建されませんでした。
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小諸城の見どころ③穴城構造
小諸城最大の特徴は「穴城」です。通常の城は城下町より高い位置に本丸がありますが、小諸城は千曲川による浸食地形を利用して築かれており、城下町から城内へ向かうと下っていく構造になっています。三の門をくぐると二の丸を経て本丸に至りますが、上りではなく下りの道となっているあたりからもよくわかります。城へ入るのに下っていくという不思議な感覚を味わいながら散策しましょう。
小諸城の見どころ④懐古園
懐古園は城跡全体を利用した公園で、園内には「小諸なる古城のほとり」で知られる島崎藤村の小諸市立藤村記念館、動物園、郷土博物館などがあり、城だけでなく文学や地域文化も楽しめます。
桜の名所としても知られ、「日本さくら名所100選」にも選ばれています。
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小諸城のおすすめフォトスポット
小諸城最大の撮影スポットは大手門と三之門です。重厚な門と石垣の組み合わせは非常に美しく、小諸城を象徴する風景となっています。春は桜、秋は紅葉、冬には雪景色が楽しめ、四季を通じて撮影を楽しめる城跡です。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。