内藤家の家紋「内藤藤」
延岡城とは、宮崎県延岡市東本小路にある江戸時代初期の城跡である。慶長8年(1603)、高橋元種によって築かれ、本丸・二の丸・三の丸からなる平山城として整備された。高橋氏の後は有馬氏、三浦氏、牧野氏と藩主が替わり、延享4年(1747)に内藤氏が入封すると、以後、明治維新まで内藤氏が延岡を治めた。現在は延岡城跡・城山公園として整備され、石垣、天守台跡、二の丸跡、北大手門、城山の鐘などが往時の姿を伝えている。
| 目的 | 延岡藩の政庁、日向国北部の支配拠点、五ヶ瀬川・大瀬川流域と城下町の防衛拠点 |
|---|---|
| 特長 | 高橋元種、内藤氏、千人殺しの石垣、天守台跡、二の丸、三の丸、北大手門、城山の鐘、ヤブツバキ、続日本100名城 |
| 他の城との違い | ・二の丸に高さ19メートルの「千人殺しの石垣」が残る ・宮崎県を代表する近世城郭であり、日向北部支配の中心となった ・現在は城山公園として、城跡・桜・ヤブツバキ・市街地展望を一体で楽しめる |
| 石垣 | 現存・復元整備 |
|---|---|
| 土塁 | 一部痕跡あり |
| 種類 | 野面積、打込接、石垣、天守台、櫓台、虎口、曲輪、平山城 |
| 石材 | 自然石、割石など |
| 特長 | 延岡城の最大の見どころは、二の丸に残る「千人殺しの石垣」である。本丸への侵入を防ぐために築かれた高石垣で、礎石を外すと石垣が崩れ落ち、大勢の敵を倒せるという伝承からこの名で呼ばれている。高さは19メートルあり、城山公園内でも特に迫力のある遺構である。天守台跡や曲輪周辺にも石垣が残り、建物は失われているが、石垣と地形によって延岡城が近世城郭であったことを確認できる。 |
| 別称 | 亀井城、縣城 |
|---|---|
| 所在地 | 宮崎県延岡市 |
| 築城 | 1603年 |
| 築城者 | 高橋元種 |
| 住所 | 宮崎県延岡市東本小路 |
| 開館時間 | 延岡城跡・城山公園は見学自由 |
| 休館日 | なし |
| 入館料 | 無料 |
| 備考 | 延岡城跡は延岡市指定史跡で、続日本100名城にも選定されている。続日本100名城スタンプは、二ノ丸広場管理事務所入口前に設置されている。城山公園には高さ19メートルの千人殺しの石垣、天守台跡、北大手門、城山の鐘がある。城山の鐘は1878年に今山八幡宮の鐘を移したもので、現在も延岡の街に時を知らせている。園内には108種、3,300本を超えるヤブツバキが自生し、日本三大ヤブツバキ群のひとつとして知られる。 |
| 1603年 | 高橋元種が延岡城を築く |
|---|---|
| 江戸時代初期 | 延岡城が本丸・二の丸・三の丸を備える近世城郭として整備される |
| 1613年 | 高橋氏が改易される |
| 1614年 | 有馬直純が延岡城主となる |
| 江戸時代前期 | 有馬氏の時代に城下町の整備が進む |
| 1692年 | 三浦明敬が延岡城主となる |
| 1712年 | 牧野成央が延岡城主となる |
| 1747年 | 内藤政樹が延岡藩主となり、以後、内藤氏が明治維新まで延岡を治める |
| 江戸時代 | 延岡城が延岡藩の政庁として機能し、城下町が発展する |
| 1870年 | 延岡城の建物が廃され、城としての役割を終える |
| 1878年 | 今山八幡宮の鐘が天守台跡に移され、城山の鐘として時を告げるようになる |
| 1993年 | 北大手門が復元される |
| 2017年 | 続日本100名城に選定される |
内藤家の家紋「内藤藤」
| 藩庁 | 延岡城 |
|---|---|
| 旧地域 | 日向国 |
| 石高 | 7万石 |
| 譜代・外様 | 譜代 |
| 主な藩主 | 内藤家 |
宮崎県延岡市にある延岡城は、高さ19mを誇る「千人殺しの石垣」と呼ばれる石垣で有名な平山城です。高橋元種によって築城された近世城郭で、現在は公園として整備されており、続日本100名城にも選ばれています。