和歌山城和歌山県和歌山市

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  • 徳川御三家・紀州徳川家の居城
  • 虎伏山に築かれた和歌山の象徴
  • 連立式天守と時代ごとに異なる石垣が見どころ

和歌山城とは、和歌山県和歌山市にある安土桃山時代から近世にかけての城跡である。豊臣秀吉が紀州を平定した後、弟の豊臣秀長に命じて虎伏山に築かせたことに始まる。関ヶ原の戦い後は浅野氏が入り、元和5年(1619)には徳川家康の十男・徳川頼宣が入城し、紀州徳川家の居城となった。紀州徳川家は尾張・水戸と並ぶ徳川御三家のひとつで、8代将軍徳川吉宗、14代将軍徳川家茂を輩出した。現在は和歌山城公園として整備され、再建天守、岡口門、石垣、堀、西之丸庭園などが城の姿を伝えている。

和歌山城の特長
目的 紀伊国支配の拠点、紀州徳川家の居城、和歌山藩の政庁、紀伊水道を望む軍事拠点
特長 徳川御三家、連立式天守、虎伏山、石垣、岡口門、西之丸庭園、紅葉渓庭園、御橋廊下
他の城との違い ・徳川御三家のひとつ、紀州徳川家の居城である
・虎伏山の地形を活かした平山城で、山上に連立式天守が建つ
・豊臣期、浅野期、徳川期の石垣を見比べられる点が大きな特徴である
和歌山城の石垣・土塁
石垣 現存
土塁 一部あり
種類 野面積、打込接、切込接、石垣、天守台、水堀、曲輪、平山城
石材 和泉砂岩、緑色片岩、花崗岩など
特長 和歌山城の石垣は、築城時期によって石材や積み方が異なる。豊臣秀長・桑山氏の時代には、虎伏山周辺で採れる緑色片岩を用いた野面積の石垣が築かれた。浅野氏の時代には砂岩を用いた石垣が加わり、紀州徳川家の時代には加工度の高い石材を用いた整った石垣も築かれた。城内を歩くと、荒々しい野面積から整った切込接まで、時代ごとの石垣技術の変化を確認できる。天守だけでなく、石垣そのものが和歌山城の大きな見どころである。
和歌山城DATA
別称 虎伏城、竹垣城
所在地 和歌山県和歌山市
築城 1585年
築城者 豊臣秀長、桑山重晴
住所 和歌山県和歌山市一番丁3
電話番号 073-422-8979
開館時間 和歌山城天守閣は9時~17時30分。入場は17時まで
休館日 12月29日~12月31日
入場料 大人410円、小人200円。小人は小・中学生
備考 現在の天守閣は1958年に鉄筋コンクリート造で再建された建物である。史実上の天守を完全に復元したものではない。和歌山城は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。西之丸庭園、紅葉渓庭園は入園無料で、利用時間は9時~17時、入園は16時45分まで。休みは12月29日~12月31日である。
和歌山城への交通アクセス
南海本線・紀勢本線「和歌山市」駅から徒歩約10分。

HISTORY 紀州徳川藩の居城であった和歌山城

和歌山城は、和歌山県和歌山市に位置する平城です。紀伊徳川家の居城としても有名であり、昭和20年(1945年)にアメリカ軍の空襲で焼失するまで、天守閣が存在していました。 現在は再建された天守閣や大手門、一之橋などを見学することができます。 そんな和歌山城の歴史を紐解いていきましょう。

和歌山城の歴史
1585年 豊臣秀吉が紀州を平定し、弟の豊臣秀長に命じて虎伏山に城を築かせる
1585年 桑山重晴が城代となり、和歌山城と城下町の整備を進める
1600年 関ヶ原の戦い後、浅野幸長が紀伊国へ入る
江戸時代初期 浅野氏により城郭と城下町の整備が進められる
1619年 徳川家康の十男・徳川頼宣が紀伊55万5千石を与えられ、和歌山城に入る
江戸時代 紀州徳川家の居城として、和歌山藩の政庁となる
江戸時代 紀州徳川家から8代将軍徳川吉宗、14代将軍徳川家茂が出る
1846年 落雷により天守などが焼失する
1850年 天守が再建される
1871年 廃藩置県により和歌山藩が廃止される
1931年 和歌山城天守などが国宝に指定される
1945年 和歌山大空襲により天守などが焼失する
1958年 現在の天守閣が鉄筋コンクリート造で再建される
2006年 日本100名城に選定される
江戸時代以前の和歌山城
和歌山の地は、15世紀頃より鉄砲傭兵・地侍集団である雑賀衆が治めていました。 天正13年(1585年)に豊臣秀吉が紀州討伐を開始し、弟の豊臣秀長が副将軍として参戦し、紀州を平定した後で紀伊・和泉の2ヶ国が報償として与えられます。 豊臣秀長は、秀吉の命によって現在の和歌山市の中心部に位置する標高48.9mの虎伏山に城を築きました。 築城の普請奉行を務めたのは、築城の名手として名高い藤堂高虎です。 また、城が完成した暁に、当時「若山」であった地名が「和歌山」と改名されました。 この豊臣秀長が築いた城が、和歌山城の前身です。
天正14年(1586年)、桑山重晴が3万石を与えられて城代になります。 重晴は本丸を中心に手直しを加え、慶長元年(1596年)に孫の桑山一晴に城代の座を譲りました。 慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いが起ると、桑山一晴は東軍に与し、幕府より改めて紀伊和歌山に2万石を与えられましたが、間もなく大和新庄藩に転封となります。その後、同じく東軍に属した浅野幸長が37万6千石を与えられ紀州藩主となり、和歌山城に入城しました。 浅野幸長もまた、下見板張りの天守を建てたり、現在の本丸・二の丸・西の丸に当たる場所に屋敷を造営したり、土塁を石垣に改修したりするなどしています。
このほか、城下町の整備にも着手し、現在の大手門を岡口門から一の橋の方面に移したあと、本町通りを大手筋として城下町を整備したりもしました。 元和5年(1619年)浅野氏は改易となった福島正則の代わりに、広島藩に加増転封され、紀伊和歌山には徳川家康の十男・頼宣が55万5千石で入城し、ここに徳川御三家の一つ、紀州徳川家が成立しました。
江戸時代の和歌山城
紀州和歌山に入城した徳川頼宣は、兄でもある2代将軍徳川秀忠より銀5千貫を受領し、これを元手に元和7年(1621年)より城の改修と城下町の拡張を開始しました。 その工事があまりにも大規模であったため、幕府から謀反の疑いがかけられるほどであったと記録に残っています。 江戸時代を通じて、和歌山城は火事に何度も見舞われました。
* 明暦元年(1655年)西の丸に隣接する家臣の屋敷より出火し、二の丸、西の丸が延焼
* 文化10年(1813年)西の丸大奥より出火し、西の丸御殿が全焼
* 弘化3年(1846年)天守曲輪への落雷が原因で、御殿を除く大小天守など本丸の主要建造物が全焼
記録に残っているだけで、3回も主要な建物が焼失しています。 なお、天守閣が焼失した際、和歌山城は徳川御三家、紀伊徳川家の居城ということで、特別に再建許可が下り、嘉永3年(1850年)、に大小天守等が再建されました。
明治時代以降の和歌山城
大政奉還が行われて明治政府が樹立すると、明治4年(1871年)に廃城令が出され、日本中の城が一斉に廃城になりました。 和歌山城も二の丸御殿が明治18年(1885年)大坂城へ移築されるなど、多くの建物が解体されたり壊されたりしています。 明治34年(1901年)に本丸・二の丸一帯が、和歌山公園として一般開放されました。 なお、この時点でも天守など11棟が現存しており、それらは昭和10年(1935年)に旧国宝保存法に基づいて、国宝に指定されました。
しかし、これらの建物はすべて昭和20年(1945年)に、アメリカ軍の空襲(和歌山大空襲)により、消失してしまいます。 戦後、昭和32年(1957年)岡口門とそれに続く土塀が国の重要文化財に指定され、翌昭和33年(1958年)には、東京工業大学名誉教授の藤岡通夫が指示をして、鉄筋コンクリートによって天守群が再建されました。
昭和58年(1983年)、明治42年(1909年)に老朽化し崩壊した大手門と一之橋が復元されます。
平成18年(2006年)には、二の丸と西の丸を結んでいたとされる御橋廊下の復元工事が始まり、日本城郭協会から日本100名城(62番)に認定されました。 現在の和歌山城は、敷地内に動物園や庭園、つつじ園などが整備されて、和歌山を代表する観光名所の一つになっています。

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紀州藩DATA
藩庁 和歌山城
旧地域 紀伊国
石高 55万5000石
譜代・外様 外様・親藩
主な藩主 浅野家、徳川家
推定人口 45万8826人(明治元年)

和歌山城、日本三大連立式天守

和歌山県和歌山市の和歌山城は豊臣秀吉の弟・秀長が築城した城で、姫路城や松山城とともに日本三大連立式天守に選ばれています。昭和に入って外観復元された白亜の連立式天守は威風堂々としており迫力満点です。

和歌山城
和歌山城の歴史
和歌山城は天正13年(1585年)、紀州征伐により紀伊国(現和歌山県・三重県南西部)を治めた豊臣秀吉が、弟の豊臣秀長に命じて紀ノ川左岸の岡山(虎伏山)に築城させたのが始まりです。その後秀長は郡山城に移り、代わって家臣の桑山重晴が城代を務めました。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後は浅野幸長が37万6000石で入城。この時連立式天守を建てるとともに、本丸・二之丸・西の丸に屋敷を造営し、城下町を整備しました。
元和5年(1619年)、浅野幸長は広島藩に加増転封され、代わって徳川家康の10男・徳川頼宣が55万5千石で入城し、御三家の紀州徳川家が成立しました。頼宣は元和7年(1621年)から城の大改修と城下町の拡張を始めますが、大規模すぎて幕府から謀反の疑いをかけられるほどでした。
その後、和歌山城は明治まで紀州徳川家の居城として残りました。明治時代には廃城令により多くの建物が解体・移築されましたが天守は残り、昭和10年(1935年)に天守を含む11棟が国宝に指定されています。しかし、第二次世界大戦の和歌山大空襲などで国宝は全て焼失。現在も残る岡口門はそれに続く土塀とともに国の重要文化財となっており、往時をしのばせる見どころです。
天守群は昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリートで再建され、昭和48年(1973年)には二の丸庭園、昭和57年(1982年)に大手門、平成18年(2006年)には御橋廊下が復元されています。
和歌山城の見どころ①連立式天守
和歌山城の一番の見どころは再建された連立式天守です。元は浅野幸長が建てたもので、大天守から多門、天守二之御門、二之御門櫓、多門、乾櫓、多門、御台所、小天守と続いていました。
ところが弘化3年(1846年)に落雷により焼失。当時天守の再建は許可されていませんでしたが、御三家ということで特別に許可が下り、嘉永3年(1850年)にほぼ元のまま再建されました。現在の天守はこの再建天守を古写真や図などを元に復元したものです。唐破風に青海波紋、千鳥破風と華麗な装飾がされており、鯱に桃瓦、葵が刻まれた鬼瓦も見どころですよ。
内部は展示施設になっており、小天守から入ってぐるっと一周して見学できます。大天守は2つの櫓の向こうに和歌山の街並み、紀ノ川の河口が眺められるビュースポットです。
なお、和歌山城関連の展示は敷地内の「わかやま歴史館」にもあるので、こちらも忘れず立ち寄りましょう。
和歌山城の見どころ1 和歌山城の見どころ2 和歌山城の見どころ3
和歌山城の見どころ②多種多様な石垣
和歌山城には築城当時の石垣をはじめ、時代ごとにさまざまな石垣が残されています。最も古いのが豊臣時代の緑泥片岩による野面積みの天守台の石垣。ほかにも浅野時代の砂岩の打ち込みハギ、紀州徳川家時代の花崗班岩の切り込みハギが随所で見学できます。南の丸と砂の丸を区切る石垣は野面積みの石垣に打ち込みハギの石垣が後で取り付けられており、石垣の変遷が分かりますよ。
さらに石垣にある多種多様の刻印にも注目。新裏坂下には浅野時代の打ち込みハギの石垣がありますが、なんとここだけで約800個の刻印があり、〇や×から鳥の羽のようなデザインまで多種多様なものを見ることができます。ちなみに和歌山城全体では約170種類2100個以上の刻印が残っているそうです。
和歌山城の見どころ4 和歌山城の見どころ5 和歌山城の見どころ6
和歌山城の見どころ③西之丸庭園と御橋廊下
西之丸には江戸初期の池泉回遊式の大名庭園「西之丸庭園」が再整備されています。徳川頼宣の時代に小堀遠州流が造園したという通説がありますが、浅野時代に家老の上田宗箇が作庭したという説が有力なのだとか。国の名勝に指定されており、紅葉が美しいことから「紅葉渓庭園」とも呼ばれています。
なかには松下幸之助の寄付による数寄屋造りの茶室「紅松庵」があり、お抹茶と季節のお菓子で一休みできますよ。
西の丸庭園を楽しんだ後は廊下橋「御橋廊下」を渡って二の丸へ。西の丸は藩主の趣味の場、二の丸は居館や藩の政庁や大奥のある生活の場でした。その二か所をつなぐ御橋廊下は紀州徳川時代に作られ、城主や奥女中などが行き来するために使いました。風雨をしのぎ、姿が見えないようにするため屋根と壁が設けてあります。
両岸に高低差があるため約11度の角度で斜めになった、全国的に珍しい橋は平成18年(2006年)に復元されたもの。無料で渡ることができますよ。
和歌山城の見どころ7 和歌山城の見どころ8 和歌山城の見どころ9
和歌山城のフォトスポット
和歌山城公園は桜の名所。写真を撮るなら春の桜シーズンが一押しです。天守閣前から桜と天守を間近に撮影したり、本丸御殿跡から奥行きのある写真を撮影したりと、さまざまなスポットから映える写真が撮影できます。
また、和歌山城では2024年11月から夜のライトアップ「和歌山城~光の回廊〜」を実施中。四季を通じてさまざまなライトアップが楽しめます。
和歌山城の見どころ10 和歌山城の見どころ11 和歌山城の見どころ12
栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。