熊野速玉大社とは、和歌山県新宮市新宮にある神社である。熊野本宮大社、熊野那智大社とともに熊野三山を構成し、全国に広がる熊野信仰の中心的な神社の一つである。主祭神は熊野速玉大神、熊野夫須美大神で、ほか十二柱の神々を祀り、新宮十二社大権現として崇敬された。社伝では、熊野の神々はまず神倉山のゴトビキ岩に降臨し、その後、景行天皇58年に現在地へ遷されたと伝わる。神倉神社の「旧宮」に対し、現在の社地は「新宮」と呼ばれ、これが新宮市の地名の由来にもなった。熊野速玉大社は、古くから「根本熊野大権現」と称され、神仏習合のもとで熊野権現信仰を広めた。平安時代以降、上皇・貴族・武士・庶民による熊野詣が盛んになり、「蟻の熊野詣」と呼ばれるほど多くの参詣者を集めた。境内には、平重盛が手植えしたと伝わる国指定天然記念物のナギの大樹があり、熊野詣の道中安全や縁結びの信仰とも結びついてきた。また、室町時代に奉納された国宝・古神宝類は、神々のための装束や調度を伝える貴重な文化財である。平成16年(2004)には「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として世界文化遺産に登録され、現在も熊野信仰と新宮の歴史を象徴する神社として多くの参拝者を迎えている。
| 目的 | 熊野速玉大神・熊野夫須美大神への信仰、熊野権現信仰、現世利益、過去世救済、来世加護、厄除、家内安全、交通安全、海上安全、縁結び、熊野詣の参拝、神倉神社・ゴトビキ岩と結びつく原始信仰の継承、世界文化遺産としての信仰景観の保存 |
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| 特長 | 熊野速玉大社、新宮、熊野三山、根本熊野大権現、新宮十二社大権現、熊野速玉大神、熊野夫須美大神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、神倉神社、ゴトビキ岩、旧宮、新宮、熊野詣、熊野御幸、蟻の熊野詣、熊野権現、熊野牛王宝印、ナギの大樹、平重盛、国宝古神宝類、熊野神宝館、御船祭、紀伊山地の霊場と参詣道、世界文化遺産 |
| 他の神社との違い | ・熊野三山の一社であり、神倉山の元宮信仰と現在地の新宮信仰が重なっている ・熊野本宮大社、熊野那智大社とともに、熊野詣の目的地として全国的な信仰を集めた ・神仏習合の時代には、熊野速玉大神を薬師如来、熊野夫須美大神を千手観音として拝む熊野権現信仰が広がった ・国宝古神宝類を伝え、中世の神々への奉納品、装束、調度の豊かさを知ることができる ・境内のナギの大樹は国指定天然記念物で、熊野信仰における御神木として大切にされてきた |
| 神代 | 熊野の神々が、神倉山のゴトビキ岩に最初に降臨したと伝わる |
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| 伝承時代 | 神倉山は熊野三山の元宮として信仰され、自然崇拝、磐座信仰の聖地となる |
| 景行天皇58年 | 熊野の神々が神倉山から現在の社地へ遷されたと伝わる。神倉神社の旧宮に対して、現在地は新宮と呼ばれるようになる |
| 古代 | 熊野速玉大神、熊野夫須美大神を中心に、熊野の神々が祀られる |
| 奈良時代 | 熊野速玉大社は熊野の霊験あらたかな神社として朝廷からも重視される |
| 孝謙天皇の御代 | 日本第一大霊験所、根本熊野大権現の勅額を賜ったと伝わる |
| 奈良時代末期 | 神仏習合の進展により、熊野の神々は仏が仮に神の姿で現れた権現として信仰されるようになる |
| 平安時代初期 | 熊野速玉大神は薬師如来、熊野夫須美大神は千手観音、家津美御子大神は阿弥陀如来と結びつけて信仰されるようになる |
| 907年 | 延喜7年、宇多上皇の熊野御幸をはじめ、上皇や貴族による熊野参詣が盛んになっていく |
| 平安時代後期 | 熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社を巡る熊野詣が広がり、熊野三山信仰が確立していく |
| 11世紀~12世紀 | 白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇らによる熊野御幸が繰り返され、熊野信仰は皇室・貴族社会に大きく広がる |
| 1159年 | 平治元年、社殿落成を記念して平重盛がナギを植えたと伝わる。現在の御神木のナギは国指定天然記念物である |
| 鎌倉時代 | 熊野信仰は武士にも広がり、源平の武将や鎌倉幕府関係者からも崇敬される |
| 鎌倉時代 | 熊野参詣道が整備され、王子社をたどりながら熊野三山へ向かう参詣が定着する |
| 中世 | 山伏や熊野比丘尼の活動により、熊野権現信仰は全国へ広がっていく |
| 中世 | 熊野詣は皇室・公卿・武士中心の参詣から、次第に庶民信仰へと広がる |
| 室町時代 | 熊野三山への参詣者が増え、「蟻の熊野詣」と形容されるほど熊野街道が賑わう |
| 1390年 | 明徳元年、天皇、上皇、将軍足利義満らを中心に、熊野速玉大社へ多数の神宝が奉納される。これらは後に国宝古神宝類として伝えられる |
| 戦国時代 | 戦乱の時代にも、熊野速玉大社は熊野三山の一社として信仰を保つ |
| 近世 | 江戸時代には西国巡礼や伊勢参宮と結びつき、熊野速玉大社にも多くの庶民が参詣する |
| 江戸時代 | 熊野牛王宝印は起請文や護符として重視され、熊野信仰を象徴するものとなる |
| 明治時代 | 神仏分離により、熊野権現信仰の神仏習合的なあり方が整理され、神社としての制度が整えられる |
| 近代 | 熊野速玉大社は、熊野三山の一社、熊野神社の総本宮の一つとして崇敬を集め続ける |
| 1940年 | 昭和15年、境内のナギの大樹が国の天然記念物に指定される |
| 1955年 | 昭和30年、熊野速玉大社の古神宝類が国宝に指定される |
| 2004年 | 平成16年、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界文化遺産に登録され、熊野速玉大社も構成資産となる |
| 現代 | 熊野神宝館では、国宝古神宝類をはじめとする熊野速玉大社の文化財を伝えている |
| 現在 | 熊野速玉大社は、熊野三山の一社、神倉山の元宮信仰を受け継ぐ新宮の神社、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として、多くの参拝者を迎えている |