鉢形城埼玉県大里郡

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  • 長尾景春が築き、北条氏邦が整備した戦国時代の城
  • 荒川と深沢川に挟まれた天然の要害に築かれた平山城
  • 土塁・堀・石積土塁が残る関東有数の戦国城郭

鉢形城とは、埼玉県大里郡寄居町鉢形にある戦国時代の城跡である。荒川と深沢川に挟まれた台地上に築かれた平山城で、自然の崖や河川を防御に利用した天然の要害である。文明5年(1473)、または文明8年(1476)に長尾景春が築いたのが始まりとされ、その後、上杉氏や後北条氏の支配を経て、北条氏康の四男である北条氏邦が入城した。氏邦は鉢形城を大規模に改修し、北関東支配の重要拠点とした。天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めでは、前田利家、上杉景勝らの軍勢に包囲され、開城後に廃城となった。現在は鉢形城公園として整備され、本曲輪、二の曲輪、三の曲輪、諏訪曲輪、土塁、堀、石積土塁などを見ることができる。

鉢形城の特長
目的 北条氏邦の居城、後北条氏の北関東支配拠点、荒川・深沢川流域の監視、秩父・上野方面への交通掌握、武蔵北西部の軍事拠点
特長 長尾景春、北条氏邦、後北条氏、上杉氏、荒川、深沢川、天然の要害、平山城、本曲輪、二の曲輪、三の曲輪、諏訪曲輪、土塁、堀、石積土塁、馬出、国指定史跡、日本100名城
他の城との違い ・荒川と深沢川に挟まれた台地上に築かれ、自然地形を防御に取り込んだ城である
・北条氏邦が居城とし、後北条氏の北関東支配を支えた重要拠点である
・高石垣や天守で見せる城ではなく、土塁、堀、馬出、曲輪配置で守る戦国期の土の城である
・三の曲輪では、戦国時代の築城技術を伝える石積土塁や四脚門、池などが復元されている
鉢形城の石垣・土塁
石垣 一部現存。三の曲輪では発掘調査で確認された石積土塁が復元されている
土塁 現存。一部復元整備あり
種類 土塁、空堀、水堀、石積土塁、馬出、虎口、曲輪、平山城、崖上の城、天然の要害、戦国期城郭
石材 河原石など。三の曲輪の石積土塁では、川原石を用いた石積みが復元されている
特長 鉢形城は、石垣で城全体を固めた近世城郭ではなく、土塁と堀を主体とした戦国時代の城である。荒川右岸の崖上に本曲輪を置き、二の曲輪、三の曲輪、諏訪曲輪などを堀や土塁で区切る構造を持つ。寄居町の説明では、鉢形城跡では堀や土塁がよく残り、本曲輪や二の曲輪などの空間を現在でも確認できるとされる。特に三の曲輪では、発掘調査で石積土塁や庭園跡、門跡が確認され、現在は石積土塁、四脚門、池などが復元されている。鉢形城では、石垣だけでなく、荒川と深沢川の崖線、曲輪の連なり、土塁、堀、馬出を合わせて見るのが自然である。
鉢形城DATA
別称 鉢形城跡
所在地 埼玉県大里郡寄居町
築城 文明5年(1473)または文明8年(1476)に長尾景春が築いたとされる。日本城郭協会では文明8年(1476)、永禄年間(1558~1570)としている
築城者 長尾景春。大規模改修は北条氏邦
住所 埼玉県大里郡寄居町大字鉢形2496-2
電話番号 048-586-0315(鉢形城歴史館)
開館時間 城跡、鉢形城公園は見学自由。鉢形城歴史館は9時30分~16時30分、入館は16時まで
休館日 城跡、鉢形城公園は見学自由。鉢形城歴史館は月曜日、月曜日が祝日の場合は翌日、祝日の翌日、年末年始
入館料 城跡、鉢形城公園は無料。鉢形城歴史館は一般200円、学生等100円、70歳以上・小中学生以下・障害者手帳を持つ人は無料
備考 鉢形城は国指定史跡で、日本100名城の18番に選定されている。国指定史跡としての指定日は昭和7年(1932)4月19日である。鉢形城歴史館は、国指定史跡である鉢形城跡のガイダンス施設として平成16年(2004)10月17日に開館した。日本100名城スタンプは、鉢形城歴史館の駐車場正面入口の郵便ポストに設置されている。
鉢形城への交通アクセス
東武東上線「寄居」駅から徒歩約21分。

HISTORY 鉢形城について

鉢形城の歴史
1473年 長尾景春が鉢形城を築いたとされる。国指定文化財等データベースでは文明5年の築城とされている
1476年 文明8年に長尾景春が築城したのが始まりとする説明もある
戦国時代前期 鉢形城は上杉氏に関わる城として使われ、武蔵北西部の重要拠点となる
戦国時代 後北条氏が武蔵へ勢力を広げる中で、鉢形城は後北条氏の支配下に入る
永禄年間 北条氏康の四男である北条氏邦が鉢形城に入り、居城としたとされる
戦国時代後期 北条氏邦により鉢形城の大規模な改修が行われ、土塁、堀、曲輪を備えた広大な城となる
戦国時代後期 鉢形城は後北条氏の北関東支配を支える拠点として、上野・秩父方面への軍事・交通の要地となる
1590年 豊臣秀吉の小田原攻めにより、鉢形城は前田利家、上杉景勝らの軍勢に包囲される
1590年 北条氏邦の家臣らが守る鉢形城は開城し、戦後に廃城となる
江戸時代 城としては使われなくなるが、荒川と深沢川に挟まれた台地上に土塁や堀、曲輪跡が残る
1932年 4月19日、鉢形城跡が国の史跡に指定される
平成期 発掘調査と保存整備が進められ、三の曲輪で石積土塁、庭園跡、門跡などが確認される
2004年 鉢形城公園の開園と同時に、鉢形城歴史館・寄居町埋蔵文化財センターが開館する
2006年 日本城郭協会により、鉢形城が日本100名城のひとつに選定される
現在 鉢形城公園として整備され、本曲輪、二の曲輪、三の曲輪、諏訪曲輪、土塁、堀、石積土塁を見学できる城跡となっている

鉢形城、北条氏邦の居城となった、北関東支配の拠点

埼玉県寄居町にある鉢形城は、戦国時代に北条氏康の四男・北条氏邦が居城とした平山城です。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原攻めでは、前田利家や上杉景勝らの大軍を相手に約1か月にわたって籠城したことでも知られています。平成18年(2006年)には「日本100名城」に選定されました。現在は堀や土塁に加えて復元された石積土塁や四脚門などを見ることができます。

鉢形城
鉢形城の歴史
鉢形城は文明8年(1476年)、関東管領・山内上杉氏の家臣、長尾景春によって築かれたと伝わっています。長尾景春は主家である山内上杉氏に対して反乱を起こし、その拠点のひとつとして鉢形城を利用したとされています。
鉢形城が築かれた場所は、荒川と深沢川が合流する付近の台地です。北側には荒川の断崖、東側には深沢川の深い谷があり、自然の地形そのものが巨大な堀の役割を果たしていました。
加えて鉢形城周辺は、上野国や信濃国方面へ通じる交通の要衝でもありました。軍事・交通の両面から重要な場所だったのです。
長尾景春の乱が終息した後は、山内上杉氏が鉢形城を支配しました。戦国時代になると小田原を本拠とする北条氏が北関東へ進出。天文15年(1546年)、北条氏康が河越夜戦で上杉氏を打ち破り、武蔵国の覇権を確立。鉢形城もその勢力下に入ることになります。
永禄7年(1564年)、北条氏康の四男・北条氏邦は鉢形周辺を支配していた藤田康邦に入婿し、鉢形城に入城。この際城を大規模改修しています。城の城域は荒川と深沢川に囲まれた場所を中心に広がり、本曲輪、二の曲輪、三の曲輪、笹曲輪、外曲輪などを配置。曲輪の間には堀や土塁を築き、巨大な城郭へと発展させました。
氏邦は北条氏の北関東進出を担った武将でもあり、鉢形城は北関東支配の拠点として重要な役割を果たしました。同時に、甲斐・信濃方面からの侵攻に備える重要な城でもありました。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉は天下統一の総仕上げとして北条氏の討伐を開始しました。「小田原攻め」です。秀吉自身は大軍で小田原城を包囲する一方、北条氏の支城を攻略するため各地に別働隊を派遣しました。
鉢形城には前田利家や上杉景勝、真田昌幸ら「北国軍」が迫りました。北国軍は松井田城など北条方の城を次々と攻略し、鉢形城を包囲します。
一説によれば豊臣方の軍勢は5万人以上。一方、鉢形城には城主の北条氏邦以下約3500人が籠城していたとされています。
氏邦は堅固な鉢形城を頼りに抵抗し、約1か月にわたって籠城を続けました。しかし周辺の支城が次々と攻略され、豊臣軍による包囲が続くなか、氏邦は開城を決断します。
天正18年(1590年)6月14日、氏邦は城兵の助命を条件として鉢形城を開城。その後、城は破却されました。7月には小田原城も開城し、戦国大名としての北条氏は滅亡しました。
昭和7年(1932年)には、戦国時代を代表する城郭跡として国の史跡に指定されました。平成9年度(1997年度)から平成13年度(2001年度)にかけては二の曲輪、三の曲輪、笹曲輪などの発掘調査が実施され、その成果をもとに堀や土塁、馬出などの復元整備が進められました。
平成16年(2004年)には城跡一帯が鉢形城公園として開園。平成18年(2006年)には「日本100名城」にも選定されています。
鉢形城の見どころ①三の曲輪の四脚門と石積土塁
鉢形城で特に整備が進んでいるのが三の曲輪です。発掘調査の成果をもとに四脚門、土塀、池などが復元され、戦国時代の鉢形城の姿が分かりやすく再現されています。
なかでも注目したいのが石積土塁です。土塁の表面に川原石を階段状に積み上げて補強したもので、数ヶ所に階段を設け、緊急時に駆け上がれるようにしています。
鉢形城の見どころ1 鉢形城の見どころ2 鉢形城の見どころ3
鉢形城の見どころ②障子堀と馬出
もうひとつ注目したいのが、北条氏の城づくりを象徴する堀や馬出です。鉢形城には本曲輪や二の曲輪、三の曲輪などがあり、それぞれが堀や土塁によって区切られていました。
二の曲輪と三の曲輪の間にあるのが障子堀です。北条氏の城でよく見られる防御施設で、堀底を「畝」で複雑に区切り、堀に侵入した敵兵の移動を妨げる効果があったと考えられています。ワッフルのような形がどことなくユーモラスです。
さらに、城内には虎口を守るための小さな曲輪「馬出」が複数設けられていました。二の曲輪と三の曲輪の間にもあり、発掘調査により門跡や石積土塁が見つかっています。この馬出は、伝承では「金蔵跡」とされています。
鉢形城の見どころ4 鉢形城の見どころ5 鉢形城の見どころ6
鉢形城の見どころ③鉢形城歴史館
鉢形城公園内にある「鉢形城歴史館」では、鉢形城の歴史や戦いの経緯などについて、AR・VRなどのデジタル技術を活用しながら学ぶことが可能です。館内にある城の復元模型は、城跡見学の前に見ておきたいところ。観光アプリ「風雲Yotte GO!謎解き寄居町~鉢形城攻防戦~」を活用すれば、鉢形城攻防戦を再現した360°CGコンテンツが鑑賞できるほか、館内のVRゴーグルで戦国時代の鉢形城を疑似体験できます。
鉢形城の見どころ7 鉢形城の見どころ8 鉢形城の見どころ9
鉢形城のフォトスポット
鉢形城のおすすめフォトスポットは、復元された石積土塁と四脚門がある三の曲輪です。土塁と門を一緒に収めれば、戦国時代の鉢形城をイメージできる城郭らしい写真が撮影できます。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。