- 川越藩大老・老中などを輩出した有力大名が治める
- 川越藩は、現在の埼玉県川越市にあった武蔵国一の大藩でした。豊臣秀吉によって徳川家康が関東に移封になった際、重臣の酒井重忠を川越城の藩主に据えて川越藩を開かせました。江戸時代を通して、大老や老中を務めた
川越城とは、埼玉県川越市にある中世から近世にかけての城跡である。扇谷上杉持朝の命により、太田道真・道灌父子が築いたとされ、戦国時代には関東の覇権をめぐる攻防の舞台となった。江戸時代には江戸の北の守りとして重要視され、幕府の重臣が城主を務めた。現在は川越城本丸御殿の一部が現存し、旧城内に残る中ノ門堀跡などが城の名残を伝えている。
| 目的 | 扇谷上杉氏の拠点、江戸北方の防衛、川越藩の政庁 |
|---|---|
| 特長 | 現存本丸御殿、土塁と堀、富士見櫓跡、中ノ門堀跡 |
| 他の城との違い | ・天守を持たず、富士見櫓が天守の代わりを担った ・現存する本丸御殿の一部が残る貴重な城である ・石垣ではなく、土塁と堀を中心に構成された関東らしい平城である |
| 石垣 | なし |
|---|---|
| 土塁 | 一部現存・復元 |
| 種類 | 土塁、堀、平城、曲輪、櫓台 |
| 石材 | 該当なし |
| 特長 | 川越城は石垣を主体とする城ではなく、土塁と堀を中心に構成された平城である。旧城内に残る中ノ門堀跡は、川越城に残る貴重な堀跡であり、遺構保護のため盛土を行ったうえで、構築当初の勾配が復元されている。城跡としては、本丸御殿だけでなく、富士見櫓跡の土塁や中ノ門堀跡をあわせて見ることで、川越城の防御構造を理解しやすい。 |
| 別称 | 初雁城、霧隠城 |
|---|---|
| 所在地 | 埼玉県川越市 |
| 築城 | 1457年 |
| 築城者 | 太田道真・太田道灌 |
| 住所 | 埼玉県川越市郭町2丁目13-1 |
| 電話番号 | 049-222-5399 |
| 開館時間 | 川越城本丸御殿は9時~17時。入館は16時30分まで |
| 休館日 | 月曜日。休日の場合は翌日。毎月第4金曜日、年末年始 |
| 入館料 | 一般100円、高校生・大学生50円、中学生以下無料 |
| 備考 | 現存する川越城本丸御殿は、嘉永元年(1848)に藩主・松平斉典が造営した本丸御殿の一部で、玄関・大広間・家老詰所が残る。中ノ門堀跡や富士見櫓跡も、川越城の遺構としてあわせて見学したい。 |
川越城は、埼玉県川越市に位置していた平城です。室町時代、長禄元年(1457年)に扇谷上杉氏の上杉持朝が太田道真、太田道灌父子に命じて築城させた城です。江戸時代に改築を重ね、現在も東日本で唯一本丸御殿が残る城として有名です。そんな川越城の歴史を紐解いていきましょう。
| 1457年 | 上杉持朝の命により、太田道真・太田道灌父子が川越城を築く |
|---|---|
| 1537年 | 北条氏綱が川越城を攻め、後北条氏の支配下に入る |
| 1546年 | 河越夜戦で後北条氏が両上杉氏・古河公方方に勝利する |
| 1590年 | 豊臣秀吉の小田原攻め後、徳川家康が関東へ入る |
| 1639年 | 松平信綱が川越藩主となり、川越城を大規模に拡張・整備する |
| 1848年 | 松平斉典により、現在残る川越城本丸御殿が造営される |
| 明治時代 | 川越城の多くの建物や堀が失われる |
| 1967年 | 川越城本丸御殿が埼玉県指定文化財となる |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
| 2008年 | 川越城中ノ門堀跡が整備公開される |
| 藩庁 | 川越城 |
|---|---|
| 旧地域 | 武蔵国入間郡 |
| 石高 | 8万石 |
| 譜代・外様 | 譜代 |
| 主な藩主 | 松平氏 |
| 推定人口 | 6万2000人(明治元年) |
徳川家康の関東入部に伴い家臣・酒井重忠が川越に封じられて立藩。歴代城主は幕府の要職を歴任。越前松平家は前橋から川越へ転封した後、前橋へ復帰。川越には松井松平家が入封し明治維新を迎える。
埼玉県川越市にある「川越城」は、本州で唯一江戸時代の本丸御殿が現存する城です。日本三大奇襲・日本三大夜戦のひとつである「河越夜戦」の舞台としても知られています。伝説にちなみ「霧隠城」「初雁城」の別名もありますよ。