月山富田城島根県安来市

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月山富田城DATA
別称 月山城、富田月山城
築城 1185年
住所 島根県安来市広瀬町富田
月山富田城への交通アクセス
JR安来駅よりバスで約25分、ショッピングセンター前下車、徒歩約20分。

HISTORY 月山富田城について

月山富田城と関連する人物記を読む

尼子詮久(尼子晴久)山陰の雄
室町時代後期、出雲の守護代から発展し山陰地方の有力大名にのし上がった大名がいました。尼子家です。尼子家は近江国の佐々木家、京極家から分れ出雲国へ移りました。この尼子家に一人の傑物が生まれます、尼子経久

月山富田城、毛利氏との攻防で知られる尼子氏の難攻不落の山城

島根県安来市にある月山富田城(がっさんとだじょう)は、標高190mの月山を中心に整備された、難攻不落の山城です。広さは約70万㎡、東京ドーム15個分で、中国地方最大級の規模を誇っており、戦国期には大内氏や毛利氏との激しい攻防戦の舞台にもなりました。現在は国の史跡に指定され、日本100名城にも選ばれています。

月山富田城
月山富田城の歴史
月山富田城の築城年代は定かではありませんが、平安時代末期に平景清が築城したとの伝承があります。鎌倉時代前半には出雲源氏の祖である佐々木義清が拠点を置き、その後に出雲源氏の富田氏、山名氏、京極氏などを経て、応永2年(1395年)から尼子氏が京極氏の守護代として城主となりました。その後、応仁元年(1467年)頃から尼子清定が城主となり、出雲守護代として勢力を拡大しました。
清定は息子の経久とともに文明16年(1484年)頃に一度守護代職を追われますが、やがて城を奪還し、月山富田城を本拠として山陰・山陽へ勢力を広げます。しかし、周防国の大内氏と対立したことで、月山富田城は大内氏の戦いの舞台になります。
天文11年(1542年)から天文12年(1543年)にかけて、大内義隆は毛利元就を引き入れ、月山富田城の攻略に乗り出しました。しかし、経久の跡を継いだ尼子晴久が籠城戦に勝利し、これを撃退します(第一次月山富田城の戦い)。
月山富田城は菅谷口、御子守口、塩谷口の3方面からしか攻めることができませんでした。たとえ下段が敵の手に落ちても、中段の山中御殿へ退くことができます。さらに御殿が落ちても、月山山頂へ登って防戦できる構造でした。登り道はジグザグに曲がる「七曲り」となっており、頂上には堀も設けられており、段階的な防御を備えた、難攻不落の城だったのです。
義隆は大敗北した結果、政治に対する意欲を失っていき、天文20年(1551年)には家臣の陶隆房(晴賢)の反乱により自害に追い込まれました。
一方の尼子氏は天文21年(1552年)、晴久が足利義輝から出雲・隠岐・伯耆・因幡・美作・備前・備中・備後の8か国の守護に任命されました。これにより、尼子氏は山陰の覇者と呼ばれるようになります。
大内氏の衰退により毛利氏が勢力を強めていくと、尼子氏と毛利氏の争いは激化していきます。永禄8年(1565年)、晴久の跡を継いだ尼子義久と毛利元就が第2次月山富田城の戦いで激突しました。毛利氏は城を包囲し、約2年にわたる籠城戦の末、永禄9年(1566年)11月に尼子氏は降伏、城を明け渡します。
その後、月山富田城は毛利氏の支配下に入り、山陰地方支配の拠点として繁栄します。特に天正19年(1591年)に吉川広家が城主になって以降は石垣や瓦葺の櫓などが整備されていきました。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後は広家に代わって堀尾吉晴と息子の忠氏が出雲に入封。一時月山富田城を居城としましたが、松江へ拠点を移すことを決め、慶長16年(1611年)頃に松江城を完成させました。これにより、元和元年(1615年)頃、月山富田城は廃城となりました。
城跡は昭和9年(1934年)に国の史跡に指定。平成に入って整備が進められ、平成18年(2006年)には日本100名城に選ばれました。平成26年(2014年)から令和2年(2020年)にかけて、発掘調査や城跡の整備などが行われています。
月山富田城の見どころ①山全体を使った曲輪群
月山富田城の最大の特徴は、山全体を利用した立体的な曲輪構造です。千畳平をはじめ、太鼓壇、奥書院平、花ノ壇などが段状に配置されており、城の立体構造を体感しながら散策できます。
中腹にある山中御殿平は尼子氏の居館があったとされる重要区画で、3方面の登城口が集まる地点です。防衛上重要な場所で、西側には高さ約7m、長さ約130mの巨大な土塁が確認できます。
山中御殿から山頂まで続く道は「七曲り」と呼ばれる急こう配の部分がある道。足元に気を付けながら登りましょう。実際には11カ所の曲りがあります。
七曲りを登りきると三の丸、その先に二の丸、本丸と続きます。本丸手前の大きな堀切は防備の強さを実感させられます。
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月山富田城の見どころ②本丸の眺望と神社
標高約190mの山頂にある本丸は、石垣に囲まれた平坦地となっています。本丸からは各曲輪の連なりが見学できるほか、中海や島根半島、由美浜半島まで一望できる絶景が広がります。
また、本丸には大国主命を祀る勝日高守神社があります。出雲国風土記にも登場する古社で、尼子時代は城内の守り神として信仰されていました。
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月山富田城の見どころ③堅固な石垣
月山富田城には、戦国末期から近世初頭にかけて整備された石垣が随所に残っています。千畳平には吉川広家時代に築かれた斜面の大規模な石垣があり、迫力満点です。出土品から櫓があったとも考えられています。
広々とした山中御殿は周囲を石垣に囲まれており、増築された跡が確認できるのが特徴。三の丸の段築石垣も見ごたえがあります。
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月山富田城の見どころ④安来市立歴史資料館
月山の麓、月山富田城の西の入り口に位置する「安来市立歴史資料館」は、月山富田城の歴史や歴代城主の歩みなどが紹介されています。月山富田城のジオラマ模型は一見の価値ありです。
月山富田城のおすすめ撮影スポット
撮影のおすすめは、本丸からのパノラマ風景と、七曲りの石段越しに見上げる曲輪群です。春は新緑、秋は紅葉に彩られ、季節ごとに異なる表情を見せてくれます。また、太鼓壇にある、尼子再興に尽力するも悲劇的な最期を遂げた山中幸盛の像「山中鹿之介祈月像」も見逃せないフォトスポットです。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。