月山富田城とは、島根県安来市広瀬町にある中世から近世初頭にかけての山城跡である。出雲守護代から戦国大名へ成長した尼子氏の本拠として知られ、山陰地方の政治・軍事の中心となった。標高約190メートルの月山を中心に、山頂部の本丸・二ノ丸・三ノ丸、中腹の山中御殿、尾根上に広がる多数の曲輪を組み合わせた巨大な複郭式山城である。尼子氏滅亡後は毛利氏、吉川氏、堀尾氏が城主となり、主要部には石垣も築かれた。現在は国指定史跡として整備され、山城遺構と尼子氏の歴史をたどることができる。
| 目的 | 尼子氏の本拠、出雲国支配の拠点、山陰地方の政治・軍事中心、飯梨川流域の交通支配 |
|---|---|
| 特長 | 尼子氏、山中御殿、七曲り、本丸、二ノ丸、三ノ丸、曲輪群、堀切、土塁、石垣、飯梨川、日本100名城 |
| 他の城との違い | ・戦国大名尼子氏が長く本拠とした山陰屈指の巨大山城である ・月山山頂部、中腹の山中御殿、山麓の居館部を組み合わせた重層的な防御構造を持つ ・近世城郭の天守や櫓を見せる城ではなく、山全体に広がる曲輪・堀切・土塁・石垣を歩いて体感する城である |
| 石垣 | 一部現存 |
|---|---|
| 土塁 | 現存 |
| 種類 | 石垣、土塁、堀切、竪堀、曲輪、虎口、山中御殿、複郭式山城 |
| 石材 | 自然石など |
| 特長 | 月山富田城は、石垣を主体とする近世城郭ではなく、月山の地形を利用して多数の曲輪を連ねた中世山城である。山頂部には本丸・二ノ丸・三ノ丸が置かれ、中腹には山中御殿があり、菅谷口・御子守口・塩谷口など限られた登城口を押さえる構造だった。吉川氏の時代以降には主要部に石垣が築かれ、瓦葺きの櫓や土塀も建てられたとされる。城跡としては、山中御殿から七曲りを経て山頂部へ向かう導線の中で、土塁・堀切・曲輪・石垣を総合的に見るのが月山富田城の本質である。 |
| 別称 | 富田城、月山城 |
|---|---|
| 所在地 | 島根県安来市 |
| 築城 | 中世 |
| 築城者 | 佐々木義清、または出雲守護・守護代勢力による築城と伝わる |
| 住所 | 島根県安来市広瀬町富田周辺 |
| 電話番号 | 0854-32-2767 |
| 開館時間 | 月山富田城跡は見学自由。安来市立歴史資料館は9時30分~17時 |
| 休館日 | 月山富田城跡はなし。安来市立歴史資料館は火曜日、祝日の場合は翌日、年末年始 |
| 入館料 | 月山富田城跡は無料。安来市立歴史資料館は一般300円、大学生150円、高校生以下無料 |
| 備考 | 月山富田城跡は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。安来市立歴史資料館は城跡の麓、御子守口付近にあり、日本100名城スタンプも設置されている。資料館休館日にはスタンプが玄関前に出される。城跡は山城のため、歩きやすい靴での登城が望ましい。 |
| 中世 | 出雲国の守護・守護代勢力により、月山を中心とする山城が整備されたと考えられる |
|---|---|
| 1395年 | 京極氏の守護代として尼子持久が出雲へ入り、富田城に関わる |
| 1486年 | 尼子経久が守護代として富田城を拠点とし、のちに戦国大名として自立する |
| 戦国時代前期 | 尼子氏が富田城を本拠に、出雲・伯耆・因幡・石見・隠岐など山陰地方へ勢力を広げる |
| 1540年 | 尼子晴久が安芸の吉田郡山城を攻めるが、毛利元就に敗れる |
| 1565年 | 毛利元就が月山富田城を包囲し、長期籠城戦が始まる |
| 1566年 | 尼子義久が毛利氏に降伏し、月山富田城が開城する |
| 尼子氏滅亡後 | 毛利氏、吉川氏が城主となり、出雲支配の拠点として使われる |
| 安土桃山時代 | 吉川氏の時代以降、主要部に石垣が築かれ、瓦葺きの櫓や土塀を備える城へ改修される |
| 1600年 | 関ヶ原の戦い後、堀尾吉晴が出雲・隠岐に入り、月山富田城を居城とする |
| 1611年 | 堀尾氏が松江城へ本拠を移し、月山富田城は廃城となる |
| 1934年 | 富田城跡が国の史跡に指定される |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
| 2018年 | 日本遺産「出雲國たたら風土記」の構成文化財に選定される |
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島根県安来市にある月山富田城(がっさんとだじょう)は、標高190mの月山を中心に整備された、難攻不落の山城です。広さは約70万㎡、東京ドーム15個分で、中国地方最大級の規模を誇っており、戦国期には大内氏や毛利氏との激しい攻防戦の舞台にもなりました。現在は国の史跡に指定され、日本100名城にも選ばれています。