山吹城跡島根県大田市

夏の山吹城跡1 夏の山吹城跡2 夏の山吹城跡3 夏の山吹城跡4
  • 石見銀山を守る要害山の山城
  • 大内氏・尼子氏・毛利氏が争った銀山支配の拠点
  • 山頂から石見銀山・大森の町並み・日本海方面を望める城跡

山吹城跡とは、島根県大田市大森町にある戦国時代の山城跡である。石見銀山の北東にそびえる標高414メートルの要害山山頂に築かれ、銀山を守る軍事拠点として機能した。石見銀山は戦国時代に大内氏・尼子氏・毛利氏が激しく争った重要な鉱山であり、山吹城はその争奪戦の表舞台となった。現在、建物は残らないが、山上には曲輪や土塁、堀切などの山城遺構が残り、山頂からは石見銀山周辺の地形を一望できる。

山吹城跡の特長
目的 石見銀山の防衛、銀山支配の軍事拠点、大森地区・銀山街道の監視
特長 石見銀山、要害山、山城、曲輪、土塁、堀切、銀山争奪戦、大内氏、尼子氏、毛利氏
他の城との違い ・石見銀山を守るための山城である
・城単体ではなく、銀山・代官所跡・大森の町並みと一体で理解する城跡である
・天守や高石垣を見せる城ではなく、銀山を見下ろす立地と山城遺構が見どころである
山吹城跡の石垣・土塁
石垣 一部石積み・痕跡あり
土塁 現存
種類 土塁、堀切、曲輪、竪堀、虎口、山城、銀山防衛城郭
石材 自然石など
特長 山吹城跡は、石垣を主体とする近世城郭ではなく、要害山の山頂地形を利用した戦国時代の山城である。山上部には主郭を中心に曲輪が配置され、尾根筋を遮断する堀切や土塁によって防御を固めていた。城の本質は、石垣や建物ではなく、石見銀山を見下ろす立地と、周囲の谷・尾根を利用した山城構造にある。山頂からの眺望により、大森の町並みや銀山、物資の搬出入に関わる地理関係を理解しやすい。
山吹城跡DATA
別称 要害山城、山吹城
所在地 島根県大田市
築城 戦国時代
築城者 不明。石見銀山支配勢力により整備
住所 島根県大田市大森町
電話番号 0854-82-1600
開館時間 山吹城跡は見学自由。石見銀山世界遺産センターは8時30分~17時30分、展示室は9時~17時。最終受付は16時30分
休館日 山吹城跡はなし。石見銀山世界遺産センターは毎月最終火曜日、年末年始
入館料 山吹城跡は無料。石見銀山世界遺産センター展示室は有料
備考 山吹城跡は世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」に関わる城跡で、国指定史跡「石見銀山遺跡」の一部である。JR大田市駅からバスで大森下車、山吹城登山口まで徒歩約30分。登山口から主郭までは徒歩約30分~45分が目安。石見銀山公園から自家用車の進入は禁止されているため、徒歩で移動する必要がある。
山吹城跡への交通アクセス
石見銀山公園駐車場より徒歩約60分。

HISTORY 山吹城跡について

山吹城跡の歴史
戦国時代 石見銀山を守る山城として、要害山山頂に山吹城が築かれる
戦国時代前期 石見銀山をめぐり、大内氏・尼子氏・毛利氏などが争う
戦国時代中期 山吹城が石見銀山争奪戦の重要拠点となる
1562年 毛利元就が石見銀山を支配下に置き、山吹城も毛利氏の銀山支配に関わる城となる
安土桃山時代 石見銀山は毛利氏・豊臣政権の支配下で重要な鉱山として扱われる
江戸時代 石見銀山は徳川幕府の直轄地となり、銀山支配の中心は代官所へ移る
1969年 石見銀山遺跡が国の史跡に指定され、山吹城跡も銀山争奪の焦点となった城跡として含まれる
2007年 石見銀山遺跡とその文化的景観が世界文化遺産に登録される