松江城島根県松江市

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  • 国宝天守が現存する山陰を代表する城
  • 堀尾吉晴・忠氏父子が築いた松江藩の拠点
  • 宍道湖と堀川に守られた水の城

松江城とは、島根県松江市にある江戸時代初期の城である。関ヶ原の戦い後に出雲・隠岐を与えられた堀尾吉晴・忠氏父子が、月山富田城に代わる新たな本拠として築いた。慶長16年(1611)に完成し、江戸時代には京極氏、松平氏が城主となり、松江藩の政庁として機能した。現在は天守が国宝に指定される現存天守として残り、石垣、堀、櫓、門、城山公園、堀川めぐりとあわせて、山陰を代表する城郭景観を形成している。

松江城の特長
目的 出雲・隠岐支配の拠点、松江藩の政庁、宍道湖・堀川を活かした水運支配
特長 国宝天守、現存天守、千鳥城、石垣、堀川、宍道湖、城山公園、堀川めぐり
他の城との違い ・国宝に指定された現存天守を持つ
・月山富田城に代わる近世城郭として、松江の城下町と一体で築かれた
・宍道湖と堀川に囲まれた水の城として、城郭と水運の関係を体感できる
松江城の石垣・土塁
石垣 現存
土塁 一部現存
種類 野面積、打込接、算木積み、石垣、水堀、平山城
石材 自然石、割石など
特長 松江城の石垣は、自然石を積む野面積と、割石の角を加工して積む打込接を中心に築かれている。公式では、石垣全体の約6割が打込接で、築城5年のうち3年を石垣工事に費やしたとされる。石垣づくりには近江国穴太の石工集団・穴太衆も関わったと伝わり、城内には刻印が彫られた石も見られる。天守を支える石垣、二之丸へ上がる大手筋の石垣、堀に面した石垣を見比べることで、松江城の防御性と築城技術を確認できる。
松江城DATA
別称 千鳥城
所在地 島根県松江市
築城 1607年着工、1611年完成
築城者 堀尾吉晴、堀尾忠氏
住所 島根県松江市殿町1-5
電話番号 0852-21-4030
開館時間 天守登閣時間は4月1日~9月30日が8時30分~18時、登閣受付は17時30分まで。10月1日~3月31日が8時30分~17時、登閣受付は16時30分まで
休館日 年中無休
登閣料 大人800円、小人400円。30名以上の団体は大人640円、小人320円
備考 松江城天守は国宝で、現存12天守のひとつである。松江城跡は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。本丸開門時間は4月1日~9月30日が8時~18時30分、10月1日~3月31日が8時30分~17時30分。城山公園内には復元された南櫓・中櫓・太鼓櫓などもある。
松江城への交通アクセス
JR松江駅よりバスで約10分。

HISTORY 山陰地方唯一の現存天守松江城の歴史

松江城は慶長6年(1611年)に築城され、日本に12しか存在していない現存天守の1つです。築城当時「千鳥破風」という装飾があったため「千鳥城」という別名がついたという説があります。そんな松江城の歴史をひもといていきましょう。

松江城の歴史
1600年 関ヶ原の戦い後、堀尾吉晴・忠氏父子が出雲・隠岐を与えられる
1600年 堀尾氏が月山富田城に入る
1607年 月山富田城に代わる新たな本拠として、松江城の築城が始まる
1611年 松江城が完成する
1611年 松江城を中心とする城下町整備が進められる
1634年 京極忠高が松江城主となる
1638年 松平直政が松江城主となり、以後、松平氏が明治維新まで松江を治める
江戸時代 松江城が松江藩の政庁として機能し、宍道湖と堀川を活かした城下町が発展する
1873年 廃城令により、城内の建物の多くが失われる
1935年 松江城天守が旧国宝に指定される
1950年 文化財保護法により、松江城天守が重要文化財となる
2006年 日本100名城に選定される
2015年 松江城天守が国宝に指定される
2020年 天守国宝指定5周年を迎える
江戸時代以前の松江城
松江城の始まりは、出雲・隠岐の守護を務めた佐々木胤清という人物が鎌倉時代に建てた「末次城」といわれています。佐々木氏は後に末次を名乗ったのでこの名がつきました。末次城は戦国時代に尼子、大内、毛利といった山陰の大名達の間で何度も所有者を変えましたが、慶長5年(1600年)に起こった関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏に隠岐・出雲24万石が与えられたことで、堀尾氏のものとなりました。堀尾忠氏は当初月山富田城に入城しましたが、この城は山城であったため城下町を形成するのには向いておらず、末次城の跡地に新たなる城を作ることを決意します。これが、松江城となりました。
江戸時代の松江城
堀尾忠氏は、慶長8年(1603年)に江戸幕府より許可を得て松江城の築城を父、梶尾吉晴と共に開始します。このとき、松江城をどこに築くかについて父子の間で意見が割れ、最後まで一致はしなかったという説があります。結局築城の地は梶尾忠氏の選定した現在の場所に決まりましたが、慶長9年(1604年)忠氏は27才の若さで休止してしまいます。堀尾忠氏の跡は嫡子の堀尾忠晴が継ぎますが、幼少だったため祖父の梶尾吉晴が後見人となり、慶長16年(1611年)に松江城は完成します。
なお、梶尾吉晴は、同年の6月に没し、寛永10年(1633年)に堀尾忠晴も嫡子を作らないまま亡くなってしまいました。そのため、梶尾氏は3代目で改易となります。その後、京極忠高が若狭国小浜藩より移封され、松江城三の丸を造営し、現在の松江城が完成します。
このときの松江城は千鳥破風と呼ばれる飾りがついていたため、「千鳥城」という別名がついたのではないかといわれています。2016年の調査で、松江城の天守に「千鳥破風」を取り付けた穴とみられる痕跡が4か所見つかりました。これにより1644年〜48年に描かれたとみられている「出雲国松江城絵図」にある、5重の外観を持つ松江城の天守の絵図が誇張ではなかった可能性が出てきたのです。なお、現在の松江城の天守は4重で千鳥破風ではなく「入り母屋破風」がついています。松江城は、元文3年(1738年)〜寛保3年(1743年)に天守の大改築が行われたという記録が残っており、その際、築城時の天守と大きく形が変わっている可能性があります。
移封された京極忠高も嫡子がなかったため、寛永14年(1637年)に彼が病没すると京極家は断絶しました。その後、寛永15年(1638年)に信濃国松本藩より松平直政が移封され、以後、松平家が明治維新まで松江藩を治め続けます。
明治以降の松江城
明治4年(1871年)に廃藩置県が行われると松江城は廃城となり、建物はすべて当時の価格で4〜5円で民間に売却されました。天守も180円で売却される予定でしたが、豪農の勝部本右衛門・元藩士の高木権八らが同額を国に寄付することで実質買取が行われ、天守の保存が決まります。その後、明治22年には当時の県知事である籠手田安定によって「松江城天守閣景観維持会」が組織され、県をあげて天守が保護されるようになりました。
昭和2年(1927年)には、天守の立つ土地を保有している松平家が天守ごと土地を県に寄付し、公園として広く市民に開放されます。
昭和10年(1935年)には、当時の国宝保存法に基づき国宝(現在の重要文化財)に指定されました。なお、天守閣は昭和25年(1950年)に文化財保護法が施行されたことにより一旦重要文化財になりますが、平成27年(2015年)に、天守が完成した際に使われた「祈祷札」が再発見されたことにより、再度国宝に認定されます。
その後、松江城は太平洋戦争中も空襲に遭うことなく終戦を迎え、昭和25年(1950年)には天守の大修理が行われ、昭和35年(1960年)には本丸一ノ門と南多聞の一部が復元されました。平成に入ると、廊下門(千鳥橋)・二の丸下段の北惣門橋・二の丸南櫓と塀・中櫓・太鼓櫓など、明治になって解体された建物が次々と復元されていきます。そして、平成18年(2006年)には日本百名城の1つに認定されました。
現在、松江城は天守内部が公開されており、江戸時代のままの姿を隅々まで見ることができます。また、1月1日は限定50名ではありますが天守から初日の出を拝めるイベントが毎年行われ、人気です。このほか、椿祭や桜の開花に合わせたお城祭など1年を通して様々な行事が行われ、松江観光の中心となっています。

松江城と関連する人物記を読む

松平直政大坂の陣で活躍した出世株
室町時代後期、中国の歴史になぞらえて戦国時代とも呼ばれた戦乱の世。この時代に終止符を打ったのが、徳川家康。家康は多くの家来に支えられ、江戸幕府を興して天下人となります。家康の孫として大坂の陣で活躍した

松江城を藩庁とする、松江藩の歴史

松江藩越前系松平家が治める
松江藩は、堀尾家・京極家・越前系松平家という3つの家によって治められました。しかし、堀尾家、京極家が立て続けに断絶するという不幸に見舞われ、松平家の統治も決して安泰とはいきませんでした。そんな松江藩の
松江藩DATA
藩庁 松江城
旧地域 出雲国松江
石高 18万6000石
譜代・外様 親藩
主な藩主 堀尾家・京極家・松平家
推定人口 30万人(明治元年)

京極忠高の病没後、将軍徳川家光の従兄弟・松平直政が入封して松平家の治世が続く。7代藩主の治郷は藩政改革を推進した名君として知られる。

水の都・松江の「千鳥城」国宝・松江城

島根県松江市にある国宝・松江城。現存12天守の一つで、千鳥が羽を広げたような入母屋破風の屋根から「千鳥城」と呼ばれています。近年では築城された際に「千鳥破風」と呼ばれる屋根の装飾があったのが由来では、との説も出てきているのだとか。ここではそんな松江城の魅力を紹介します。

松江城
松江城の歴史
松江城は慶長16年(1611年)、江戸幕府の許可を得て松江藩2代藩主の堀尾忠晴の時代に建てられた平山城です。初代藩主の堀尾忠氏は島根県安来市の月山富田城に入城しましたが、統治のし辛さから松江城の築城を決定。途中で忠氏は急死したため忠氏の父・堀尾吉晴が6歳で跡を継いだ忠晴の後見役となり、城の整備を進めました。その後、忠晴に跡継ぎがいなかったため堀尾氏は断絶し、その後を京極氏が継ぎました。その後に松平直政が入城し、明治時代まで松平氏が松江藩主を務めています。
松江城は1935年に国宝に指定されましたが、国宝指定基準の変更により重要文化財に変更されてしまいます。その後は長らく重要文化財のままでしたが、2012年に天守近くの松江神社で発見された祈祷札がきっかけとなり天守の完成時期が判明。2015年に国宝に再指定されました。
松江城の見どころ①千鳥のような天守
松江城の天守は4重5階・地下一階の構造で、大部分が黒い「雨覆い板」で覆われています。「千鳥城」の由来となった東西南北にある入母屋破風はとても美しいですよ。
最上階は「天狗の間」と呼ばれており、四方が拝める望楼式で手すりを巡らせています。天守の頂上には木彫り銅板張りの鯱が2頭飾られており、現存する木造の鯱としては日本一の大きさを誇ります。
江戸初期の築城ラッシュの際に建てられた松江城は、木材不足のため大きな心柱が手に入らなかったことから、短い通し柱を活用して天守を支えています。天守の柱308本の柱のうち96本が通し柱です。
松江城の建造時期は戦が落ち着いた江戸初期ですが、石落としや鉄砲狭間など、城では戦に備えた工夫があちこちで見られます。石垣に囲まれた地下には籠城戦を想定して作られた井戸があります。天守内の井戸で現存しているのは松江城のものだけ。なかなか見られない光景です。
松江城の見どころ1 松江城の見どころ2 松江城の見どころ3
松江城の見どころ②石垣
松江城の石垣は全体の6割が石を加工して隙間を減らして積む打込接ぎ(うちこみはぎ)です。このほか、自然石を積み上げた野面積みが見られます。
松江城の石垣は当時の有名な石垣築成集団・穴太衆(あのうしゅう)が手がけたものです。石垣には築城の際の目印として五芒星や扇などさまざまな刻印が刻まれているので、見つけてみるのも楽しいですよ。
また、「馬溜り」の高さ13mの石垣は迫力満点。松江城で一番高い城壁で、上に建つ塀の狭間から敵を鉄砲や矢で狙い撃ちできるようになっています。
なお、松江城の石垣には築城の際に何度積み上げてもうまくいかない部分があったそうで、人柱や祟りなどの伝説が残されています。
松江城の見どころ4 松江城の見どころ5 松江城の見どころ6
松江城の見どころ③縁結びの「ハートスポット」
島根県といえば縁結びでおなじみの出雲大社ですが、松江城にも縁結びのスポットがあります。それが「ハート」の形をした石。天守に向かって行く階段(本坂)の途中、左側の石垣の中にあり、ひそかな縁結びスポットとして女性を中心に人気です。
また、天守1階にある柱にはハートの木目があり、縁結びのご利益があると口コミで人気ですよ。
二の丸上の段には松江神社があり、松平直政をはじめとした人々たちが祀られています。こちらの絵馬はハート型で縁結びが祈願できるようになっています。
松江城の見どころ④レトロ建築「興雲閣」
松江市が松江市工芸品陳列所として1903年に建てた「興雲閣」。明治天皇の行在所として使うために建てられた豪華絢爛な建物で、島根県の指定有形文化財です。
淡いグリーンの木造2階建て・擬洋風建築の建物は瓦葺きの屋根をはじめ、和のテイストが混じった不思議な雰囲気。洋風の列柱に真っ赤な絨毯の対比は美しく、レトロな撮影スポットとして人気です。なかの喫茶店「亀田山喫茶室」では、クラシカルな雰囲気を楽しみながら休憩できますよ。
松江城を巡るなら武者ガイドにお任せ
松江城には武者姿の「まつえ時代案内人」がおり、「天下一やさしいお城ガイド」を合言葉に松江城を案内してくれます。当日参加OKのものもあるので、ホームページをチェックしてみましょう。ただし、服装の関係などから猛暑の7月~9月はガイドを中止する可能性があるので要注意です。
松江城のおすすめ撮影スポット
松江城の撮影スポットとしておすすめなのが本丸広場。春は桜祭りが開催されており、桜と松江城の対比が美しいですよ。光の関係から午前中の撮影がおすすめです。
興雲閣も淡いグリーンの外観、レトロな内観で写真撮影スポットにぴったり。赤じゅうたんの階段の踊り場や2階の窓や柱を入れての撮影がおすすめです。
松江城の見どころ7 松江城の見どころ8 松江城の見どころ9
栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。

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