観龍寺岡山県倉敷市

夏の観龍寺1 夏の観龍寺2 夏の観龍寺3 夏の観龍寺4 夏の観龍寺5
  • 倉敷美観地区の北側、鶴形山の上にある真言宗御室派の寺院
  • 江戸時代に妙見宮の別当寺となり、阿智神社との神仏習合の歴史を伝える寺
  • 寛延2年(1749)再建の本堂、妙見堂、山門に残る倉敷浅尾騒動の槍傷で知られる古刹

観龍寺とは、岡山県倉敷市阿知にある真言宗御室派の寺院である。山号は宝寿山、本尊は大日如来である。寛和元年(985)、現在の倉敷市西岡周辺にあった西安寺の末寺の一つとして、北斗山宝積院の名で開かれたと伝わる。その後、戦国時代に鶴形山の南麓へ移り、寛永元年(1624)に現在の鶴形山上へ移転して、宝寿山観龍寺と改称した。倉敷美観地区の北側、小高い場所に境内を構え、山門前や境内からは倉敷の町並みを望むことができる。江戸時代には、現在の阿智神社が妙見宮と呼ばれていた時代に、その別当寺として神社を管理していた。明治2年(1869)の神仏分離により妙見宮は阿智神社として独立し、妙見宮の御神体などは観龍寺へ移された。その後、明治41年(1908)に境内に妙見堂が建立され、現在も神仏習合時代の名残を伝えている。観龍寺は江戸時代に二度の火災に遭い、多くの堂宇を焼失したが、寛延2年(1749)に本堂が再建され、山門、大師堂、客殿なども江戸時代に整えられた。山門には、慶応2年(1866)の倉敷浅尾騒動の際、長州第二奇兵隊離脱兵が槍で付けたとされる傷跡が残り、幕末の動乱を今に伝えている。倉敷美観地区、阿智神社、倉敷代官所跡とあわせて巡ることで、倉敷の信仰、城下町ではない天領の町、幕末史を立体的に理解できる寺院である。

観龍寺の特長
目的 大日如来への信仰、所願成就、現世安穏、弘法大師信仰、妙見信仰の継承、阿智神社との神仏習合の歴史継承、倉敷美観地区の歴史文化保存、倉敷浅尾騒動の記憶継承
特長 観龍寺、宝寿山、真言宗御室派、大日如来、北斗山宝積院、西安寺、鶴形山、倉敷美観地区、阿智神社、妙見宮、妙見堂、別当寺、神仏習合、神仏分離、山門、倉敷浅尾騒動、長州第二奇兵隊離脱兵、槍傷、本堂、大師堂、鐘楼、鶴形山の鐘楼、時の鐘、倉敷代官所跡
他の寺院との違い ・倉敷美観地区のすぐ北側、鶴形山上にあり、町並みと一体で訪れやすい寺院である
・阿智神社が妙見宮だった時代、その別当寺として神仏習合の信仰を担っていた
・境内の妙見堂は、明治の神仏分離後に妙見宮の信仰を受け継いだ堂として残る
・山門には倉敷浅尾騒動の槍傷が残り、倉敷が幕末の動乱に巻き込まれたことを伝えている
・本堂、山門、大師堂など江戸時代再建の堂宇が残り、美観地区の町家とは異なる倉敷の宗教建築を見られる
観龍寺への交通アクセス
JR「倉敷」駅より徒歩約12分。

HISTORY 観龍寺について

観龍寺の歴史
奈良時代 備中国窪屋郡子位庄、現在の倉敷市西岡周辺に、西安寺が開かれたと伝わる
985年 寛和元年、西安寺の末寺十二坊の一つとして、北斗山宝積院が建立される。これがのちの観龍寺である
中世 宝積院は西安寺の末寺として、倉敷周辺の信仰を支える寺院の一つとなる
戦国時代 宝積院が現在の鶴形山の南麓へ移ったと伝わる
1624年 寛永元年、宝積院が現在地である鶴形山上へ移り、宝寿山観龍寺と改称する
1638年 寛永5年、観龍寺が妙見宮、現在の阿智神社の別当寺となる
江戸時代前期 観龍寺は、妙見宮を管理する別当寺として、倉敷の神仏習合の信仰を担う
1739年 元文4年、観音堂が建立され、備中西国三十三ヶ所観音霊場の第二十九番霊場となる
1744年 延享元年、火災により観龍寺の伽藍の多くが焼失する
1747年 延享4年、建物を再建するが、3か月後に再び火災に遭い焼失する
1749年 寛延2年、本堂が再々建される。現在残る本堂はこの時の建物とされる
1762年 宝暦11年、客殿が再建される。現在の旧客殿である
1768年 明和5年、山門が再建される
1772年~1781年 安永年間、諸堂が再建され、江戸時代の境内景観が整えられていく
1801年~1804年 享和年間、大師堂が再建され、新しい客殿も建てられる
1804年~1830年 文化・文政年間、教存・教戒という僧が活躍し、観龍寺は文化人にも知られる寺となる
江戸時代後期 頼山陽や菅茶山などの文化人が観龍寺を訪れたと伝わる
1866年 慶応2年、倉敷浅尾騒動が起こる。長州第二奇兵隊離脱兵を中心とする倒幕派の一団が倉敷代官所を襲撃した後、観龍寺に立てこもって休息する
1866年 倉敷浅尾騒動の際、隊員が山門の鴨居に槍で傷を付けたとされ、その傷跡が現在も残る
1869年 明治2年、神仏分離により、妙見宮が阿智神社として観龍寺から分離・独立する
1869年以後 妙見宮の御神体などが観龍寺へ移され、境内に妙見信仰が受け継がれる
1908年 明治41年、大原孫三郎の父・大原孝四郎により、観龍寺境内に妙見堂が建立される
昭和時代末期 梵鐘が改鋳され、境内の鐘楼に納められる
現代 観龍寺は、倉敷美観地区に近い寺院として、阿智神社、鶴形山、倉敷代官所跡とともに倉敷の歴史散策の一部となっている
現在 観龍寺は、宝寿山観龍寺として大日如来を祀り、妙見宮の別当寺だった歴史、江戸時代の堂宇、倉敷浅尾騒動の山門の傷跡を伝える寺院として、多くの参拝者を迎えている