高島城長野県諏訪市

高島城DATA
別称 諏訪の浮城、島崎城、諏訪高島城
築城 1592年
住所 長野県諏訪市高島1-20-1
電話番号 0266-53-1173
開館時間 午前9時~午後5時30分(10/1〜3/31は16時30分まで)
休館日 12/26〜12/31及び11月第2木曜日
登閣料 大人310円/小人150円

別名「諏訪の浮城」と呼ばれる水城。三層三階の望楼型天守。天守をはじめ主要な建物の屋根が杮葺き。

高島城への交通アクセス
JR中央本線「上諏訪」駅から徒歩10分。

HISTORY 日本三大湖城の一つ高島城

高島城は、長野県諏訪市高島に築かれた平城です。築城時は諏訪湖に突き出した浮島に作られていたことから、「諏訪の浮城」ともよばれ、日本三大湖城の一つに数えられています。 当時としては最先端の技術を使って建てられた城は、続日本100名城(130番)にも選定されました。そんな高島城の歴史を紐解いていきましょう。

高島城が築かれる以前の諏訪
中世、現在の諏訪高島城の北方に位置する茶臼山に、諏訪郡一帯をおさめていた諏訪氏が高島城(茶臼城)を築きました。この城は、名前こそ一緒ですが山城です。諏訪氏が滅亡した後、諏訪の地は武田氏の支配下となり、この高島城は諏訪郡支配の拠点となります。
天正10年(1582年)に武田氏が滅亡すると、諏訪郡は一時期織田信長が支配しましたが、同年に本能寺の変が起って織田信長が殺されると、武田氏に滅ぼされた諏訪氏の一門である諏訪頼忠が諏訪市中洲に金子城を築き、居城としました。しかし、彼も590年(天正18年)に諏訪頼忠が武蔵国に転封となり、代わりに羽柴秀吉の配下である日根野高吉が茶臼山にあった高島城に入城します。
日根野高吉による諏訪高島城築城から江戸時代末期まで
日根野高吉は、文禄元年(1592年)~慶長3年(1598年)まで、7年近い歳月をかけて諏訪湖畔の高島村に諏訪高島城を築きます。このとき、彼は漁業権や賦役免除権を与えたうえで、彼らを小和田へ移転させました。日根野高吉は、織田信長や豊臣秀吉のもとで普請を経験したいたことから、軟弱な地盤である諏訪湖の浮城にも城を築くことができた、と伝えられています。
諏訪高島城は、木材を筏状に組んでその上に石を積むなど当時としては最新の技術が使われました。それでも、7年という短い期間で普請をおこなうのは大変だったらしく、過酷な労役に苦しんだといった記述が残る資料も複数残っています。 こうしてできあがった諏訪高島城は北から衣之渡郭、三之丸、二之丸、本丸が一直線に並ぶ「連郭式」と呼ばれる形態で、8棟の櫓、6棟の門、3重の天守などが備わっていました。 なお、江戸時代初期におこなわれた諏訪湖の干拓事業のため諏訪高島城から水城の面影わ消えてしまいましたが、それでも浮城の異名を持ち、日本三大湖城の一つにも数えられました。
諏訪高島城を築いた日根野高吉は、慶長6年(1601年)に下野国壬生藩に転封となり、譜代大名の諏訪頼水が城主として入ります。彼は、中世の頃から諏訪郡を治めていた諏訪氏の末裔であり、結果的に諏訪氏が明治維新まで諏訪家がこの地を治めることになりました。 なお、諏訪高島城は徳川家康六男の松平忠輝の幽閉場所になったところでも有名で有り、そのご縁から、たびたび流人の幽閉場所として利用されています。
明治以降の諏訪高島城
明治を迎えると、諏訪は高島県となって高島城は廃城となり、県庁として使用されました。
明治8年(1875年)になると、天守閣など大部分の建造物は破却もしくは移築され、高島城は堀と石垣たけになり、翌年に高島公園として一般に開放されました。 戦後、二の丸、三の丸は宅地となり昭和45年(1970年)には本丸に天守・櫓・門・塀が復元され観光名所となります。平成27年(2017年)には続日本百名城の1つにも選定され、現在にいたります。
まとめ
現在、諏訪高島城は城内に企画展示コーナー・情報コーナーを設けられており、諏訪藩の歴史や歴代城主の足跡を知ることができます。 また、諏訪高島城は桜の名所でもあり、毎年春になると地元の方や観光客で賑わいます。

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諏訪藩神官の末裔が治める
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諏訪藩DATA
藩庁 高島城
旧地域 信濃国諏訪郡高島
石高 3万石
譜代・外様 譜代
主な藩主 日根野氏、諏訪氏

1601年日根野氏が下野国壬生藩に転封、譜代大名の諏訪頼水が2万7千石で入封。再び諏訪氏が領主となり明治維新まで続く。

高島城、湖に浮かぶ「諏訪の浮城」

長野県諏訪市にあった高島城は、完成当時、周囲が湖水と湿地に囲まれていたことから「諏訪の浮城」とも称されており、日本三大湖城のひとつとされています。現在は復興天守や櫓、門、塀などが復元されています。

高島城
高島城の歴史
高島城は1592年(文禄元年)頃から1598年(慶長3年)にかけて、豊臣秀吉の家臣・日根野高吉が築いた城です。諏訪の地はそれまで諏訪氏が統治していましたが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐後、徳川家康が関東に移封になると、家康に帰順していた諏訪頼忠も武蔵国奈良梨・児玉郡蛭川、埼玉郡羽生(現埼玉県)計1万2000石の所領に移封されました。
日根野高吉は安土城や大坂城などの築城に携わった築城の名手として知られています。高島城の築城の際は水辺の軟弱な地盤の上での工事となり困難を極めたそうですが、7年がかりで完成させました。なお、高吉は築城の際、当該地にあった漁村を移転させています。
築城当時の城は連格式平城で、諏訪湖と川に囲まれた優美な水城でした。こけら葺きの独立式望楼型3重5階の天守に、野面積みの石垣を有していました。
慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いで諏訪頼忠の跡を継いで東軍に属した諏訪頼水は、その褒美に翌慶長6年(1601年)に旧諏訪領2万7千石に入ります。以降、明治維新までの約270年間、諏訪氏が10代にわたってこの地を治めることになります。
明治維新後は高島県の庁舎として利用されましたが、明治4年(1871年)の廃藩置県でほとんどの建物が破却・移築されました。天守は撤去され、明治9年(1876年)には本丸跡が「高島公園」として一般開放されています。
昭和45年(1970年)には市民の願いにより、天守や冠木門、角櫓などが復興され、今に至ります。
高島城の見どころ①復興天守
昭和45年(1970年)に鉄筋コンクリート造で建てられた3層3階の復興天守は、諏訪のシンボル的存在となっています。現在内部は1階が郷土資料室、2階が高島城資料室、3階は資料室兼展望台となっています。
特に2階の資料室では高島城の築城・藩主・藩士・藩政の4つのテーマで関連する資料が展示されており、高島城や高島藩について深く学べるようになっています。3階の展望コーナーからは諏訪湖に加え、天気が良ければ富士山を拝むことが可能です。
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高島城の見どころ②冠木門と角櫓
高島城跡には天守と同じく再建された門や建物があります。本丸の表門にあたる「冠木門」は現在は公園の入り口となっており、冠木橋で内堀を渡ってくぐります。
冠木門は木造で櫓門として再建されており、両脇の石垣の上には武者だまりが設けられています。研究によれば、築城当初は左右の柱の上に1本の貫を通した「冠木門」として建築されましたが、後に楼門に建て替えられ、名前だけ残ったのだそうです。
また、本丸には3つの櫓がありましたが、このうち角櫓が再設計により再建されており、現在茶室となっています。
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高島城の見どころ③石垣と水堀
高島城は築城当時の石垣や水堀などが残されています。石垣は野面積みで、湖近くの軟弱な地盤だったことから、石が沈まないように大木で組んだ筏の上に石垣を積むなど工夫がされています。本丸を囲む石垣の長さは約318m、高さは11mとかなり高いものです。それ以外の石垣の高さは2.4m~8.8m程度となっています。
また、本丸の東側と北側には水堀が今も残されており、水面に映る天守の姿は、まさに「浮城」の名にふさわしい風情を感じさせます。
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高島城の見どころ④庭園
高島城内の庭園も見どころの一つ。もとは本丸御殿の建物があった場所で、天守の復興とともに、当時の諏訪市長・岩本源氏の設計によって作られました。「人」の形をした池の中に「心」形の島を配置しており、諏訪市が人々の和によって発展することを祈願しているのだとか。心字池に移る復興天守も美しいですよ。
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高島城のフォトスポット
高島城の写真は復興天守と水堀、冠木門・冠木橋が一望できる本丸北側からの撮影がおすすめ。水堀は「浮城」感を出すのにぴったりなので、水堀越しの一枚は必須です。
また、高島公園は桜の名所で約90本の桜が植えられているので、春に桜と天守や水堀の組み合わせをぜひ撮影してほしいところです。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。