関ケ原古戦場岐阜県不破郡

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  • 徳川家康率いる東軍と石田三成ら西軍が激突した天下分け目の古戦場
  • 決戦地・笹尾山・徳川家康最後陣地など、合戦ゆかりの史跡が点在する地
  • 日本の政治体制を大きく変えた関ケ原の戦いを現地でたどれる史跡

関ケ原古戦場とは、岐阜県不破郡関ケ原町に広がる慶長5年(1600)の関ケ原の戦いの古戦場である。豊臣秀吉の死後、徳川家康を中心とする東軍と、石田三成らを中心とする西軍が激突し、その勝敗は江戸幕府成立へとつながる大きな転機となった。現在の関ケ原町には、決戦地、笹尾山の石田三成陣跡、徳川家康最後陣跡、岡山烽火場、大谷吉継墓、東首塚、西首塚など、合戦に関わる史跡が点在している。城ではないが、陣地、烽火場、首塚、街道、山地、平地が一体となって合戦の流れを伝える場所であり、岐阜関ケ原古戦場記念館を起点にめぐると、天下分け目の戦いの全体像を理解しやすい。

関ケ原古戦場の特長
目的 東西両軍の決戦地、天下分け目の合戦の舞台、徳川家康の天下掌握への転機、豊臣政権後の政治秩序を決定づけた戦場
特長 関ケ原の戦い、徳川家康、石田三成、小早川秀秋、大谷吉継、島津義弘、決戦地、笹尾山、徳川家康最後陣地、岡山烽火場、東首塚、西首塚、岐阜関ケ原古戦場記念館、国指定史跡
他の城との違い ・城郭ではなく、慶長5年(1600)の関ケ原の戦いの古戦場である
・天守や本丸を見る場所ではなく、陣跡、決戦地、首塚、烽火場などを歩いて合戦の流れをたどる史跡である
・徳川家康の最初陣地・最後陣地、石田三成陣地など、両軍の配置を現地で確認できる
・地形、街道、山、平地の関係から、合戦の展開と各武将の判断を読み解くことができる
関ケ原古戦場の石垣・土塁
石垣 なし
土塁 陣地跡や塚などに土壇・土塁状の遺構や整備された史跡表示が残る
種類 古戦場、陣跡、決戦地、烽火場、首塚、墓所、街道、山地、平地、合戦史跡
石材 石垣を主体とする城郭ではないため、該当なし
特長 関ケ原古戦場は、石垣や天守で構成される城跡ではなく、合戦に関わる複数の史跡が町内に点在する古戦場である。現在は決戦地、石田三成陣跡、徳川家康最後陣跡、岡山烽火場、東首塚、西首塚などが整備され、現地を歩くことで東軍・西軍の配置や戦況の変化を追うことができる。徳川家康最後陣跡には、後世に整えられた土塁や土壇があり、首実検が行われた場所として伝えられている。関ケ原古戦場では、個別の遺構だけでなく、笹尾山、松尾山、桃配山、関ケ原宿、街道、平地の広がりを合わせて見るのが自然である。
関ケ原古戦場DATA
別称 関ヶ原古戦場、関ケ原合戦場、天下分け目の地
所在地 岐阜県不破郡関ケ原町
住所 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原一帯。見学拠点は岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原894-55
電話番号 0584-47-6070(岐阜関ケ原古戦場記念館)
開館時間 古戦場の各史跡は見学自由。岐阜関ケ原古戦場記念館は9時30分~17時、入館は16時30分まで
休館日 古戦場の各史跡は見学自由。岐阜関ケ原古戦場記念館は月曜日、祝日の場合は翌平日、年末年始12月29日~1月3日
入館料 古戦場の各史跡は無料。岐阜関ケ原古戦場記念館は一般500円、高校生・大学生300円、中学生以下無料。特別展開催時は変更の場合あり
備考 関ケ原古戦場は国指定史跡で、徳川家康最初陣地、徳川家康最後陣地、石田三成陣地、岡山烽火場、大谷吉隆墓、東首塚、西首塚などが関連史跡として指定されている。現在は岐阜関ケ原古戦場記念館、関ケ原町歴史民俗学習館、笹尾山交流館、関ケ原駅前観光交流館などを拠点に史跡めぐりができる。史跡は町内に広く点在するため、徒歩だけでなくレンタサイクルを使うと回りやすい。
関ケ原古戦場への交通アクセス
JR「関ヶ原」駅から徒歩約21分。

HISTORY 関ケ原古戦場について

関ケ原古戦場の歴史
1598年 豊臣秀吉が死去し、豊臣政権内で徳川家康と石田三成らの対立が深まる
1600年 会津の上杉景勝への対応をきっかけに、徳川家康が東国へ向かう
1600年 石田三成らが挙兵し、東軍と西軍の対立が本格化する
1600年9月15日 関ケ原で徳川家康率いる東軍と、石田三成らを中心とする西軍が激突する
1600年9月15日 石田三成は笹尾山に布陣し、徳川家康は桃配山から関ケ原中央部へ本陣を進める
1600年9月15日 小早川秀秋の寝返りをきっかけに戦況が大きく変わり、西軍は崩れる
1600年9月15日 決戦地周辺で激戦が繰り広げられ、東軍が勝利する
1600年以降 関ケ原の戦いの勝利により、徳川家康の政権掌握が決定的となる
1603年 徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開く
江戸時代 関ケ原の戦いは、徳川政権成立を語る重要な合戦として記憶される
昭和時代 関ヶ原古戦場が国の史跡に指定され、関連する陣地や首塚などの保存が進められる
2020年 岐阜関ケ原古戦場記念館が開館し、合戦の全体像を体感できる展示拠点となる
現在 決戦地、石田三成陣跡、徳川家康最後陣跡、東首塚、西首塚などをめぐる古戦場として、多くの人が訪れる

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