岐阜城岐阜県岐阜市

  • 斎藤道三・織田信長ゆかりの山城
  • 信長が「天下布武」を掲げた天下統一の拠点
  • 金華山山頂から長良川と岐阜の町を見下ろす

岐阜城とは、岐阜県岐阜市にある中世から戦国時代にかけての山城跡である。かつては稲葉山城、井ノ口城とも呼ばれ、戦国時代には斎藤氏の居城となった。永禄10年(1567)に織田信長が攻略すると、地名を「岐阜」と改め、天下統一を目指す拠点として整備した。現在は金華山山頂に復興天守が建ち、山麓の信長居館跡とともに、戦国時代の岐阜城の姿を伝えている。

岐阜城の特長
目的 美濃支配の拠点、斎藤氏の居城、織田信長の天下統一拠点
特長 金華山の山城、復興天守、山上石垣、信長居館跡、長良川を望む立地
他の城との違い ・金華山全体を城域とする大規模な山城である
・織田信長が「天下布武」を掲げた拠点として知られる
・山上の城郭と山麓の居館跡が一体となって機能した
岐阜城の石垣・土塁
石垣 現存・発掘確認
土塁 一部あり
種類 野面積、石垣、土塁、曲輪、山城、居館跡
石材 チャート、砂岩など
特長 岐阜城は、金華山の急峻な地形を利用した山城で、山上部には石垣や曲輪の痕跡が残る。近年の発掘調査では、織田信長の時代の天守台とみられる石垣も確認されており、岐阜城が信長期の城郭構造を考えるうえで重要な城であることが分かってきた。山麓には信長居館跡があり、石垣や庭園遺構などから、軍事拠点だけでなく政治・外交の場としても機能したことがうかがえる。
岐阜城DATA
別称 稲葉山城、井ノ口城、金華山城
所在地 岐阜県岐阜市
築城 鎌倉時代と伝わる
築城者 二階堂行政と伝わる
住所 岐阜県岐阜市天守閣18
電話番号 058-263-4853
開館時間 3月16日~10月16日は9時30分~17時30分、10月17日~3月15日は9時30分~16時30分。入場は閉館15分前まで
休館日 年中無休。ロープウェーは定期点検等による運休あり
入場料 大人200円、小人100円
備考 現在の天守は1956年に建てられた復興天守で、史実上の天守を正確に復原したものではない。岐阜城跡は国指定史跡で、山頂の天守閣だけでなく、山麓の織田信長公居館跡を含む金華山一帯が史跡範囲となっている。なお、岐阜城資料館は改修工事に伴い休館中。
岐阜城への交通アクセス
JR岐阜駅・名鉄岐阜駅からバス15分。バス停下車、徒歩3分の岐阜公園内から金華山ロープウェー3分、金華山ロープウェー山頂駅から徒歩8分。

HISTORY 岐阜城について

岐阜城の歴史
鎌倉時代 二階堂行政が稲葉山に城を築いたと伝わる
戦国時代 斎藤道三が稲葉山城を本格的に整備し、美濃支配の拠点とする
1556年 長良川の戦いで斎藤道三が討死し、斎藤義龍が稲葉山城を継ぐ
1567年 織田信長が稲葉山城を攻略し、城と町の名を岐阜と改める
1567年 織田信長が岐阜城を居城とし、「天下布武」を掲げる
1576年 織田信長が安土城へ本拠を移す
1600年 関ヶ原の戦いの前哨戦で岐阜城が落城する
1601年 徳川家康により岐阜城が廃城となる
1956年 現在の復興天守が建てられる
2011年 岐阜城跡が国の史跡に指定される
2017年 続日本100名城に選定される

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稲葉山城の戦い織田信長が美濃を制覇
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織田信長天下統一前に斃れた武将
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竹中半兵衛とは 竹中半兵衛とは、竹中重治の通称で、羽柴秀吉を支えた戦国時代の武将 美濃国の国人領主・竹中重元の子として生まれ、若くして菩提山城主となった 斎藤龍興に仕えたのち、稲葉山城を少数で奪取した

岐阜城、信長が築いた天下布武の城

岐阜城は岐阜県岐阜市の中心部、金華山の山頂に築かれた山城で、日本100名城にも選ばれています。かつては「稲葉山城」と呼ばれており、斎藤道三の居城でした。現在は山頂に復興天守が建てられており、展望台からは信長が見下ろしたであろう眺望を楽しめます。

岐阜城
岐阜城の歴史
岐阜城の起源は鎌倉時代末期にさかのぼります。鎌倉幕府の執事・二階堂行政が築いた砦がその前身とされており、のちに稲葉山城と呼ばれるようになりました。
稲葉山城は一度は廃城になりましたが、戦国時代に美濃守護代の斎藤利永が城を修築しました。その後、天文年間(1532年〜1555年)に斎藤道三が城を修復して入城し、稲葉山城を拠点に、美濃国を支配して城下町の整備を進めました。天文23年(1554年)に長男の斎藤義龍に家督を譲ると、道三と義龍と間で争いが起き、弘治2年(1556年)4月の「長良川の戦い」で道三は討ち死にしました。その後、義龍やその跡を継いだ息子の斎藤龍興が稲葉山城に住みました。
ところが斎藤龍興は酒色に溺れて政務を顧みようとしなかったため(諸説あり)、永禄7年(1564年)3月、家臣の竹中重治(竹中半兵衛)らが稲葉山城を攻め、約半年間占領しました。
その後、龍興らは稲葉山城に戻りますが、美濃をめぐる斎藤氏と織田氏の争いはますます激化し、ついに永禄10年(1567年)、織田信長が稲葉山城を攻略しました。龍興は伊勢長島に逃亡し、稲葉山城は信長のものになりました。
信長は城と町の名前を中国の古代王朝にちなんで「岐阜」「岐阜城」と改めました。さらにこのころから「天下布武」の朱印を用いており、本格的に天下統一をめざしていきます。
また、信長は岐阜で楽市楽座を導入し、経済発展を促しました。天正4年(1576年)になると信長は安土城に移り、岐阜城は嫡男の織田信忠の居城となります。天正10年(1582年)、本能寺の変で信長が討たれ、信忠も自害すると、信長の三男の信孝が入城。天正11年(1583年)に秀吉に敗れて開城したあとは、池田元助や池田輝政、豊臣秀勝を経て織田秀信が岐阜城に入りました。
秀信は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍につきましたが、東軍に攻め落とされ、岐阜城は落城しました。その後、徳川家康は岐阜城の廃城を決定し、城郭の建物は失われていきました。岐阜に代わって加納城が築城され、天守や櫓などは加納城に移築されています。
その後、明治43年(1910年)に模擬天守が完成しましたが、昭和18年(1943年)2月に火事で焼失。現在の模擬天守は昭和31年(1956年)に鉄筋コンクリートで再建されたものです。昭和50年(1975)には隅櫓が復元され、岐阜城資料館となりました。
平成23年(2011年)には山麓から山上にかけた一帯が「岐阜城跡」として国の史跡に指定されました。平成27年(2015年)には「『信長公のおもてなし』が息づく戦国城下町・岐阜 」の構成遺産として日本遺産に認定されています。
岐阜城の見どころ①模擬天守
岐阜城の模擬天守は3層4階で、加納城御三階櫓の図面や古文書などを参照して作られました。内部は資料展示室となっており、織田信長をはじめとした美濃・岐阜の歴史などに関する展示は見ごたえがあります。岐阜城山上の石垣の模型、木造織田信長坐像(複製)などもありますよ。
4階の展望台からは360度の大パノラマが楽しめます。北に日本アルプス、東に恵那山、西に伊吹山から養老山脈、南西に長良川と美濃平野の市街地を望めます。信長が天下を見据えたとされる景色を楽しみましょう。
岐阜城の見どころ1 岐阜城の見どころ2 岐阜城の見どころ3
岐阜城の見どころ②随所に残る巨石と石垣
岐阜城は発掘調査などにより巨石や石垣が確認されています。斎藤道三の時代以降のものや織田信長の時代のものがほとんどで、毎年金華山で行われている発掘調査ではさまざまな石垣が発見されています。
一ノ門跡や二ノ門跡、本丸や二の丸の石垣、野面積みの天守台など、見学できる石垣も多くあります。マップ「史跡岐阜城跡石垣発見伝」を参照しながら巡るのがおすすめです。
岐阜城の見どころ4 岐阜城の見どころ5 岐阜城の見どころ6
岐阜城の見どころ③岐阜城資料館
復興天守の東側、山上にある「岐阜城資料館」は、彦根城を参考にしつつ隅櫓を模して作られたもの。稲葉山城・岐阜城の歴史や発掘成果や関連史料、武具や刀剣などが展示されています。トリックアートで写真撮影できるコーナーは人気を博しています。
岐阜城の見どころ④信長公居館跡
金華山の西麓の千畳敷下・槻谷には、信長をはじめとした歴代当主の居館跡があります。斎藤氏時代に作られ、信長が大規模に改修した館は「信長公居館跡」として整備されています。庭園跡や石垣、門跡などが残っており、当時の信長の暮らしや政務の様子を想像させてくれます。
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岐阜城のフォトスポット
岐阜城の模擬天守と金華山を撮影するなら岐阜公園からがおすすめ。岐阜城と月を一緒に撮るなら、長良川公園や長良川の右岸堤防から望遠で狙いましょう。また、天守4階の展望台は必須のフォトスポット。毎年、特定期間に開催される「岐阜城パノラマ夜景」では、最長20時半まで模擬天守に入城できるため、美しい夜景が撮影できます。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。