苗木城岐阜県中津川市

  • 木曽川を見下ろす岩山に築かれた山城
  • 巨岩と石垣を組み合わせた独特の城郭
  • 天守跡の展望台から恵那山・木曽川・中津川市街を一望できる

苗木城とは、岐阜県中津川市にある戦国時代から近世にかけての山城跡である。木曽川右岸の岩山に築かれ、天然の巨岩を城郭構造に取り込んだ独特の石垣で知られる。戦国時代には遠山氏の居城となり、江戸時代には苗木藩遠山氏の居城として明治維新まで続いた。現在は建物は残らないが、石垣、曲輪、門跡、天守跡などがよく残り、天守跡には展望台が設けられている。

苗木城の特長
目的 遠山氏の居城、苗木藩の政庁、木曽川流域の軍事・交通拠点
特長 巨岩を活かした山城、石垣、曲輪、天守跡展望台、木曽川を望む立地
他の城との違い ・天然の巨岩をそのまま城郭構造に取り込んでいる
・岩の上や岩を囲うように石垣を積む、地形に合わせた独特の石垣が見られる
・1万石ほどの小藩ながら、明治維新まで城持ち大名として続いた点も珍しい
苗木城の石垣
石垣 現存
種類 野面積、打込接、切込接、巨岩利用の石垣など
石材 自然石、花崗岩など
特長 苗木城の石垣は、天然の巨岩を利用し、岩の上や岩を囲い込むように積まれている点が大きな特徴である。限られた岩山の平場を活用するため、地形に合わせて石垣を築き、時代や場所によって異なる積み方が見られる。天守台や大矢倉跡周辺では、巨岩と人工的な石垣が一体化した、苗木城ならではの迫力ある城郭構造を確認できる。
苗木城DATA
別称 霞ヶ城、赤壁城、高森城
所在地 岐阜県中津川市
築城 1526年頃
築城者 遠山氏
住所 岐阜県中津川市苗木
電話番号 0573-66-8181
開館時間 苗木城跡は見学自由。苗木遠山史料館は9時30分~17時。入館は16時30分まで
休館日 苗木城跡はなし。苗木遠山史料館は月曜日、祝日の翌日、年末年始
入館料 苗木城跡は無料。苗木遠山史料館は一般330円、中学生以下無料
備考 苗木城跡は国指定史跡で、続日本100名城にも選定されている。城跡入口付近には苗木遠山史料館があり、苗木遠山家や苗木城に関する資料を展示している。天守跡には展望台が設けられ、恵那山、木曽川、中津川市街を見渡すことができる。
苗木城への交通アクセス
JR「中津川駅」からバス約12分、徒歩約30分。

苗木城へはJR中津川駅から北恵那交通バスで約15分、「苗木」下車後徒歩約30分です。春や秋には土日祝日に直行バスも登場します。

車の場合はいくつか無料駐車場がありますが、「苗木遠山史料館」近くの有料駐車場が便利です。駐車場から本丸までは徒歩20分程度。山道を歩くため、歩きやすい靴で訪れることをおすすめします。また、冬は積雪や凍結に注意しましょう。

HISTORY 苗木城について

苗木城の歴史
1526年頃 遠山氏により苗木城が築かれたとされる
戦国時代 遠山氏の居城として、木曽川流域と東美濃の支配拠点となる
1582年 本能寺の変後、東美濃一帯の情勢が変化し、苗木城も周辺勢力の争奪に関わる
1600年 関ヶ原の戦いの前後に遠山友政が苗木城を回復する
江戸時代 苗木藩遠山氏の居城として、明治維新まで続く
17世紀中頃 近世城郭としての苗木城の姿が完成したと考えられる
1871年 廃藩置県により苗木藩が廃止され、城の建物が取り壊される
1981年 苗木城跡が国の史跡に指定される
2017年 続日本100名城に選定される
2026年 苗木城が築城500年を迎える

苗木城を藩庁とする、苗木藩の歴史

丸に二つ引

遠山家の家紋「丸に二つ引」

苗木藩DATA
藩庁 苗木城
旧地域 美濃国恵那郡
石高 1万石
譜代・外様 外様
主な藩主 遠山家

苗木城、巨岩の上に築かれた天空の城

岐阜県中津川市に残る苗木城は、岩山を利用して築かれた全国でも珍しい山城です。天守や櫓の代わりに巨岩をそのまま城の一部として活用した縄張りは「天空の城」としても人気を集めています。現在は続日本100名城に選ばれています。

苗木城
苗木城の歴史
苗木城は大永6年(1526年)に遠山昌利が築城したと言われています(諸説あり)。遠山氏は元は源頼朝の家臣・加藤景廉までさかのぼることができ、建久6年(1195年)に「遠山」姓を名乗るようになりました。中世の遠山氏の居館・城は植苗木(岐阜県中津川市福岡)にあり、木曽・飛騨地方に勢力を持っていました。遠山氏は美濃に勢力を拡大しようとしますが、応仁の乱後から小笠原氏が進出しました。
その後、小笠原氏が衰退すると、遠山氏は美濃に進出し、その拠点として苗木城が活躍しました。また、遠山氏は織田氏と密接な関係を築いていたため、苗木城は対武田氏の防衛拠点としても機能しました。
苗木城は木曽川を見下ろす高森山(標高約432m)に建てられましたが、高森山は天然の巨岩が点在する険しい岩山でした。利用できる土地の少なさから、遠山氏は岩そのものを防御施設として利用し、岩に穴をあけ、清水の舞台のような「懸造(崖など高低差が大きい土地に、長居柱や貫で床下を固定してその上に建物を建てる)」にするなど、自然の地形を有効に生かして築城しています。
元亀3年(1572年)、武田信玄の西上作戦が始まると、東美濃の諸城は次々と武田方に攻められました。苗木城も武田軍の侵攻を受け、一時は武田方に降りました。
天正10年(1582年)6月、本能寺の変後の混乱の中で、当時の城主・遠山友忠は羽柴秀吉から森長可に従うように命じられますがこれを拒否。その後、森長可と争い城を追われ、苗木城は森氏の支配下に入りました。友忠は徳川方に身を寄せます。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに先立ち、友忠の跡を継いだ息子の遠山友政が苗木城を攻略して旧領回復に成功。18年ぶりに苗木城へ戻り、初代苗木藩1万521石の藩主となりました(後に1万石に減少)。その後、明治時代に至るまでの約260年、遠山氏は12代に渡り同地を治め、城を維持し続けました。幕末時点で1万石の大名は全国に53家でしたが、このうち城を維持していたのは苗木藩だけでした。
ただし、藩の財政は厳しいものだったようで、城の壁は白漆喰ではなく赤土の壁だったと言われています。これについては、「漆喰を塗って城壁にした際、木曽川から龍が現れて嵐を起こし、城壁をはぎとってしまったため、赤壁だった」という伝説が残っています。このため苗木城は「赤壁城」と呼ばれるようになったとされていますが、実際は財政難で漆喰代を捻出できなかったようです。
明治4年(1871年)に苗木城は廃城となりました。昭和56年(1981年)4月、国の史跡に指定されたのち、天守展望台や馬洗岩周辺などが整備され平成29年(2017年)には続日本百名城に選ばれました。
苗木城の見どころ①天守展望台
苗木城を代表するスポットが天守展望台です。かつて天守が存在した場所に木造の展望台が整備されています。
天守は山頂にある2つの巨石の間をまたぐように、支柱を立てた懸造りで建てられていました。当時の大きさは幅9m、高さ11m。3層の建物でしたが、内部の下2階は狭く使用できなかったようです。木造展望台は2階部分の床面までを想定し、支柱の穴を再利用する形で建てられました。
展望台からは、眼下に恵那山や木曽川、中津川市街地を360度見渡せる絶景が楽しめます。
苗木城の見どころ1 苗木城の見どころ2 苗木城の見どころ3
苗木城の見どころ②大矢倉跡
苗木城では天然岩盤の上に櫓を築いていました。三の丸にある大矢倉跡はその代表例で、自然の巨岩の上に石垣が巧みに組み合わさった様子が見学できます。草木に覆われた様子は「岐阜のマチュピチュ」と称されるほど幻想的です。
石垣は年代により異なる技法で積まれており、打込接や切込接を見ることができます。ちなみに、苗木城跡の石垣は全部で6種類の異なる技法で積まれているので、石垣に注目しながらの散策がおすすめです。
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苗木城の見どころ③馬洗岩
天守の南にそびえる巨大な岩が馬洗岩です。名前の由来は、城が敵に攻められて水が断たれた際に、武将が岩の上に馬を乗せて米で馬を洗い、水があるように見せかけた、という伝説から。
周囲約45mにも及ぶ巨石は圧倒的な存在感があり、苗木城の見どころの一つです。
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苗木城の見どころ④苗木遠山史料館
登城前に立ち寄りたいのが苗木遠山史料館です。遠山氏や苗木藩の歴史を紹介する施設で、城の復元模型や発掘資料などが展示されています。城の構造を理解してから登城すると、より楽しめますよ。
苗木城のおすすめフォトスポット
苗木城を引きで撮影する場合は、B1駐車場の展望デッキがおすすめ。B1駐車場から足軽長屋跡までの散策道からも、恵那山を背景に城のたたずむ姿が撮影できます。本丸口門から三の丸の大矢倉跡を見下ろすのもおすすめです。さまざまな撮影スポットがあるので、のんびり撮影を楽しみましょう。秋から冬の早朝には運が良ければ雲海に浮かぶ城が拝め、「天空の城」にふさわしい幻想的な風景です。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。

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