美濃金山城岐阜県可児市

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  • 森可成・森長可・森蘭丸ゆかりの山城
  • 石垣・瓦・破城の痕跡が残る織豊期城郭
  • 木曽川を望む東美濃の重要拠点

美濃金山城とは、岐阜県可児市にある戦国時代から安土桃山時代にかけての山城跡である。もとは烏峰城と呼ばれ、織田信長の美濃侵攻後に森可成が城主となり、金山城と改められた。以後、森長可、森蘭丸、森忠政ら森氏ゆかりの城として知られる。木曽川を望む山上に築かれ、石垣や瓦を用いた織豊期城郭として整備されたが、慶長5年(1600)に森忠政が信濃川中島へ転封となった後、破城された。現在は国指定史跡として整備され、曲輪、石垣、破城の痕跡などを見ることができる。

美濃金山城の特長
目的 東美濃支配の拠点、木曽川流域の交通・軍事拠点、森氏の居城
特長 山城、石垣、瓦、曲輪、破城の痕跡、森氏ゆかりの城
他の城との違い ・森可成、森長可、森蘭丸、森忠政ゆかりの城である
・石垣や瓦を用いた織豊期城郭の特徴が見られる
・廃城時に意図的に壊された破城の痕跡が残る
美濃金山城の石垣・土塁
石垣 現存
土塁 一部あり
種類 石垣、土塁、堀切、曲輪、虎口、破城跡
石材 自然石
特長 美濃金山城は、山上の曲輪群に石垣を用いた織豊期の山城である。本丸を中心に二の丸・三の丸などの曲輪が配置され、石垣や虎口、堀切などが残る。廃城時には石垣を崩すなどの破城が行われたと考えられており、崩された石材や城を再利用できないようにした痕跡も見どころである。石垣だけでなく、山城としての地形、防御線、破城の痕跡をあわせて見ることで、美濃金山城の特徴が伝わる。
美濃金山城DATA
別称 金山城、烏峰城、兼山城
所在地 岐阜県可児市
築城 1537年
築城者 斎藤大納言正義、妙春
住所 岐阜県可児市兼山1418-210
電話番号 0574-62-1111
開館時間 美濃金山城跡は見学自由。可児市戦国山城ミュージアムは9時~16時30分。入館は16時まで
休館日 美濃金山城跡はなし。可児市戦国山城ミュージアムは月曜日、祝日の翌日、年末年始
入館料 美濃金山城跡は無料。可児市戦国山城ミュージアムは一般210円、高校生以下無料
備考 美濃金山城跡は国指定史跡で、続日本100名城にも選定されている。麓の可児市戦国山城ミュージアムでは、美濃金山城跡と城主森氏をはじめ、市内各地の山城について学ぶことができる。
美濃金山城への交通アクセス
名古屋鉄道広見線「明智」駅下車、バス約10分、徒歩約26分。

HISTORY 美濃金山城について

美濃金山城の歴史
1537年 斎藤大納言正義、妙春が烏峰城を築く
1565年 織田信長の美濃侵攻により森可成が城主となり、金山城に改称される
1570年 森可成が宇佐山城の攻防戦で討死し、森長可が城主となる
1577年 森蘭丸が織田信長の小姓として出仕する
1582年 武田攻めの道中、織田信長が金山城に宿泊する
1582年 森長可が信濃海津城主となり、弟の森蘭丸が金山城主となる
1582年 本能寺の変で森蘭丸・坊丸・力丸が討死する
1582年 森長可が海津城から金山城へ戻り、再び城主となる
1584年 小牧・長久手の戦いで森長可が討死し、森忠政が城主となる
1600年 森忠政が信濃川中島へ転封となり、金山城は石川光吉の領有となる
1600年頃 美濃金山城の破城および金山越が始まる
2017年 続日本100名城に選定される

美濃金山城、森長可が築いた破城の跡が残る山城

岐阜県可児市に残る美濃金山城(みのかねやまじょう)は、戦国武将・森長可の居城として知られる山城です。烏峰城(うほうじょう)とも呼ばれ、織田信長の勢力拡大や羽柴秀吉の天下統一を支えた重要拠点でした。山城でありながら石垣や瓦葺きの建物が導入されるなど、近世城郭への過渡期を示す城としても高く評価されています。続日本100名城にも選定されています。

美濃金山城
美濃金山城の歴史
美濃金山城の前身は、天文6年(1537年)頃に斎藤道三の養子である斎藤正義によって築かれた烏峰城とされています。木曽川を見下ろす標高276mの古城山に築かれた城は、東美濃支配の拠点として整備が進められたと考えられています。
斎藤正義は勢力を拡大しますが、天文17年(1548年)に久々利氏に討たれました。その後、しばらく城主は不在だったようですが、永禄8年(1565年)、織田信長が美濃攻略を進める中で、城は織田方の支配下に入ります。
その後、城は信長の重臣である森可成に与えられ、この時城の名が「金山城」に改称されました。
元亀元年(1570年)の宇佐山城の戦いで可成が浅井・朝倉連合軍に敗れて討ち死にすると、代わって息子の長可が城主となりました。ちなみに長可は、信長の小姓として有名な森蘭丸(乱丸)の兄で、勇猛果敢な武将として知られ、「鬼武蔵」の異名を持っていました。
長可は金山城を大規模に改修し、石垣や瓦葺き建物を取り入れた先進的な城へと発展させたほか、城下町も形成しました。その後、城主は弟の蘭丸が継ぎ、長可は川中島に転封となりました。
天正10年(1582年)、本能寺の変で信長が討たれると、森氏も大きな転機を迎えます。森蘭丸をはじめとする兄弟たちは信長とともに討死しましたが、森長可は生き延びました。このため蘭丸に代わって再び金山城の城主となっています。
長可はその後、羽柴秀吉に従い、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いで死去。美濃金山城は弟の忠政が家督を継いで城主となり、城は森氏の本拠として機能し続けました。
忠政は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に属し、その功績によって戦後川中島松代藩へ移封されました。代わって金山城は犬山城主の石川光吉が兼任支配することとなりました。
慶長6年(1601年)頃、城は破却され、美濃金山城はその役割を終えることとなります。元和元年(1615年)に同地は尾張藩領となり、城跡はお留山となりました。
明治時代に入ると城跡一帯は国有林となりますが、昭和28年(1953年)に兼山町に払い下げられました。平成25年(2013年)に国史跡に指定され、平成29年(2017年)には続日本100名城に選定されています。
江戸時代初期に廃城となった美濃金山城ですが、2006年(平成18年)から令和元年(2019年)までの発掘調査などにより、その実態が明らかになってきました。
調査では石垣、瓦、建物礎石、陶器や古銭等が発掘されており、美濃金山城が織豊期の城郭として高い技術が導入されていたことが分かってきています。
美濃金山城の見どころ①石垣の随所に残る破城の跡
江戸時代初期に廃城となった美濃金山城ですが、現在でも城を再利用できないよう故意に破壊した「破城」の跡が残っています。美濃金山城の石垣は野面積みですが、壊された石垣付近には大きな石が転がっています。
石垣の角は強度を保つために算木積みで積まれていますが、破城の際は石垣を壊すため天辺と角が叩き壊されてる様子が見学できます。特に二の丸や三の丸の石垣や左近屋敷の石垣は壊された跡が分かりやすいのでじっくり見学しましょう。
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美濃金山城の見どころ②本丸跡
本丸跡は城の中心部にあたり、木曽川や中山道、城下町などを一望できます。現在は建物こそ残っていませんが、発掘調査で確認された礎石や石垣を見ることができます。
本丸の矜持、礎石跡の多さから、御殿のように大きな建物があったのではと言われています。茶碗の出土などから茶室もあったのではないか、と推察されている場所です。
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美濃金山城の見どころ③米蔵跡の石垣
美濃金山城では各所に石垣が残されていますが、忘れてほしくないのが米蔵跡の石垣です。米蔵跡は山のふもとにあり、高さ5m〜7m、長さ約40mにもなる野面積みの石垣を望むことができます。
美濃金山城の見どころ④戦国山城ミュージアム
登城前に立ち寄りたいのが戦国山城ミュージアムです。森氏や美濃金山城に関する資料、発掘成果などが展示されており、城の歴史を理解してから散策できます。城の模型を見学してから散策すると、よりイメージがつかめますよ。
また、2025年には愛知県犬山市の瑞泉寺に移設されていた、美濃金山城の城門がミュージアムに戻ってきました。国内最古級といわれる木曽ヒノキ製の門は一見の価値ありです。
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美濃金山城のおすすめフォトスポット
人気撮影スポットは本丸跡周辺です。木曽川と可児盆地を一望できる景色は美しく、戦国武将の視点を感じることができます。また、石垣と木曽川を組み合わせた構図も人気があります。また、破城跡はなかなか残されていないので、見つけたらぜひ写真に収めたいところです。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。