苗木城個性溢れる私の推し城2選

城と言えば、姫路城や名古屋城などの天守が建つ近世城郭をイメージする方が多いと思いますが、全国には個性的な城がたくさんあります。今回は私の推しの個性的なお城を2城紹介させていただきます。

①苗木城

苗木城は、大永6年(1526年)にこの地へ移り住んだ遠山氏によって築城されたとされています。本能寺の変の後、森長可に城を攻め取られますが、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの前に徳川家康の指示により城を奪還し、それ以降明治に至るまで約260年、12代に渡って遠山氏が統治しました。

苗木城が建てられているのは、標高約432mの高森山という岩山です。その横を木曽川が流れ、天然の水堀となっています。木曽川からの比高差は約126mもあります。まさに天然の要害です。

剥き出しの岩盤が露頭した独特の地形である上に、利用できる平地が限られている為、築城に適さない立地ですが、様々な工夫をして立地を最大限に活用しています。そのことが良くわかるのは、天守です。

山頂に築かれた天守は、2つの巨石にまたがる形で作られ、地階と一、二階の三層の造りとなっていました。二階部分は巨石の上になり、床面積は約9m×11m。山頂の限られた場所を最大限に活用する為に、岩盤に穴をあけて柱穴とし、崖から斜面に突き出すようにつくる懸け造りで天守が建てられていました。現在はその柱穴を使って、展望台が建てられています。

天守を含め城内の建物は、全て板張り、土壁でした。赤土が剥き出しになっていた為、「赤壁城」とも呼ばれていました。一万石の大名であった為、白漆喰を塗るお金が無かったという説や龍が爪で削り取ったという伝説がありますが、これはこれで、荒々しくてかっこいいと思うのは私だけでしょうか?

本丸もカッコいいのですが、私のお気に入りは、三ノ丸にある大矢倉跡です。岩山の巨岩を生かしながら、石垣が築かれていて、天然の巨石と人工の石垣のコラボレーションが、すごくカッコいいです!

②能島城

能島城は「日本最大の海賊」と称された村上海賊(村上水軍)の一族である能島村上氏の拠点です。
村上海賊は能島村上家、因島村上家、来島村上家の三家からなり、瀬戸内の制海権を握っていました。

海賊と聞くと、船を襲い、金品を略奪する西洋のパイレーツを想像してしまいますが、彼らは通行料を徴収して通行許可証を交付したり、警固料をもらって水先案内人を務めたりし、安全な航行を保障するなどしていました。

能島城は、周囲約850mの能島と周囲約250mの鯛崎島の二つの小島全体を城郭化した城です。
三方に突き出た島を三段にして曲輪としており、島の中心の最高所に本丸が置かれ、その一段下に本丸を取り囲むように二ノ丸があり、西に三ノ丸、東に矢櫃、南に東南出丸が置かれました。南にある鯛崎島は鯛崎出丸となっていました。

能島周辺の潮の流れは速く、最大10ノット(時速18km) にもなります。島周辺の海中に潜む岩礁も危険な為、潮を読み、地形を知り尽くしていないと簡単には島には近づけません。まさに天然の要塞です。

海に面した岩場は軍港として利用されていました。岩場には岩礁ピットと呼ばれる、岩礁に穿たれた柱穴の遺構が残っており、約460個見つかっています。その穴に柱を立て、船を繋いでいたと考えられています。島の北側にある船だまりと呼ばれるエリアの海蝕テラス(犬走り) にはたくさんの岩礁ピットが残っているそうです。

また直径1m、深さ2mを超える大穴が2か所見つかっています。村上海賊ミュージアムに原寸大のレプリカがありますが、かなり大きいです!しかし、その用途はまだ解明されていません。

全国には他にも個性豊かで面白くてカッコいいお城がたくさんありますので、是非たくさんのお城を巡って「推しの城」を見つけてください!

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紹介者 松木智美(日本城郭検定公式ライター) 元外資系航空会社の客室乗務員で海外旅行が好きだったが、国内全国各地も旅行したいと思い、スタンプラリー感覚で日本100名城巡りを始めた所、城にハマる。学生時代は歴史が苦手で、城や歴史の知識は全く無かったが、日本100名城と続日本100名城を制覇後には日本城郭検定1級を取得。 現在日本城郭ライターとして活動中。  公式HP・SNSはこちら
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