- 明石藩西国諸国への抑えとして造られた
- 明石藩は明石城を藩庁とし、播磨国明石郡と播磨国美嚢郡(現在の兵庫県明石市、神戸市西区、神戸市垂水区、兵庫県三木市)を治めた藩です。明石城が西国への抑えに建てられた城であるのと同様、明石藩は西国諸国への
明石城とは、兵庫県明石市にある江戸時代初期に築かれた近世城郭である。元和4年(1618)に2代将軍・徳川秀忠が西国諸藩への備えとして小笠原忠政に築城を命じ、翌元和5年(1619)に築城が始まった。天守は建てられなかったが、本丸四隅には三重櫓が配され、城の威容を示した。現在は明石公園として整備され、現存する巽櫓・坤櫓、高石垣、堀、天守台などが城の姿を伝えている。
| 目的 | 西国諸藩への備え、山陽道・明石海峡の監視、明石藩の政庁 |
|---|---|
| 特長 | 現存三重櫓、巽櫓、坤櫓、高石垣、天守台、明石公園 |
| 他の城との違い | ・天守は建てられず、三重櫓が城の象徴となった ・現存する巽櫓と坤櫓が国指定重要文化財に指定されている ・本丸南側には長大な高石垣が残り、明石海峡や淡路島を望む眺望も楽しめる |
| 石垣 | 現存 |
|---|---|
| 土塁 | 一部あり |
| 種類 | 打込接、切込接、野面積、石垣、土塁、水堀、天守台、平山城 |
| 石材 | 花崗岩など |
| 特長 | 明石城は、本丸南側に長さ約380メートル、高さ20メートルを超える高石垣を備えた近世城郭である。天守は建てられなかったが、坤櫓の北側には天守台が設けられている。石垣は場所によって積み方や加工度が異なり、自然石を用いた野面積、割石を用いた打込接、加工石を整えて積む切込接などを見ることができる。現存する巽櫓・坤櫓と高石垣が一体となった景観が、明石城最大の見どころである。 |
| 別称 | 喜春城、錦江城 |
|---|---|
| 所在地 | 兵庫県明石市 |
| 築城 | 1619年 |
| 築城者 | 小笠原忠政、のちの小笠原忠真 |
| 住所 | 兵庫県明石市明石公園1-27 |
| 電話番号 | 078-912-7600 |
| 開園時間 | 明石公園は見学自由。サービスセンター窓口は8時45分~17時 |
| 休園日 | 明石公園は無休 |
| 入園料 | 無料 |
| 備考 | 巽櫓は春期の3月~5月、坤櫓は秋期の9月~11月の土日祝日に特別公開される。公開時間は10時~16時。雨天・荒天時は文化財保護のため公開中止となる場合がある。明石城は日本100名城にも選定されている。 |
明石城は、兵庫県明石市にある平城です。2代将軍、徳川秀忠の命によって築城され、宮本武蔵が作庭した樹木屋敷があったことでも知られています。 そんな明石城の歴史を紐解いていきましょう。
| 1617年 | 小笠原忠政、のちの忠真が信濃松本から明石へ移り、船上城に入る |
|---|---|
| 1618年 | 徳川秀忠が西国諸藩への備えとして、小笠原忠政に明石城の築城を命じる |
| 1619年 | 明石城の築城が始まる |
| 1619年 | 石垣、土塁、堀の普請が行われ、同年末に本丸御殿が完成する |
| 1620年 | 本丸に4つの三重櫓が完成する |
| 江戸時代 | 明石藩の政庁として機能し、城下町とともに発展する |
| 1873年 | 廃城令により明石城が廃城となる |
| 1883年 | 城跡が明石公園として整備され始める |
| 1957年 | 巽櫓と坤櫓が国の重要文化財に指定される |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
| 藩庁 | 明石城 |
|---|---|
| 旧地域 | 播磨国明石郡 |
| 石高 | 8万石 |
| 譜代・外様 | 親藩 |
| 主な藩主 | 小笠原氏・松平氏(戸田)・大久保氏・松平氏(藤井)・本多氏・松平氏(越前) |
| 推定人口 | 8万2000人(明治元年) |
元姫路藩池田家の所領で小笠原忠真が10万石で立藩。譜代が続いた後、親藩の越前松平家が入封。
兵庫県明石市の中心に位置し、JR明石駅から徒歩数分という立地の良さを誇る明石城は、元和4年(1618年)に小笠原忠政が築いた城です。幕府の命による「天下普請」の一環として建てられ、西国諸藩の抑えとなる拠点の城でした。現在は「明石公園」として整備され、全国に12基のみ現存する三重櫓の巽櫓・坤櫓が国の重要文化財に指定されています。