墨俣一夜城岐阜県大垣市

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  • 豊臣秀吉の出世伝説で知られる城
  • 織田信長の美濃攻めに関わる前線拠点
  • 現在は大垣市墨俣歴史資料館として整備

墨俣一夜城とは、岐阜県大垣市墨俣町にある城跡伝承地である。織田信長の美濃攻めに際し、木下藤吉郎、のちの豊臣秀吉が一夜にして築いたと伝わる城として知られる。長良川・犀川などが流れる美濃国境付近に位置し、尾張から美濃へ進出するための前線拠点として重要な場所であった。現在は大垣市墨俣歴史資料館として天守風建物が建ち、墨俣一夜城伝説や豊臣秀吉、墨俣地域の歴史を紹介している。

墨俣一夜城の特長
目的 織田信長の美濃攻めにおける前線拠点、渡河地点の確保、軍事拠点
特長 秀吉出世伝説、一夜城伝承、河川交通の要衝、天守風資料館
他の城との違い ・木下藤吉郎が一夜で築いたとされる伝説で知られる
・大名の居城ではなく、美濃攻略のための前線拠点として語られる城である
・現在の天守風建物は、史実上の天守を復元したものではなく、大垣市墨俣歴史資料館である
墨俣一夜城の石垣・土塁
石垣 なし
土塁 現存遺構なし
種類 陣城、仮設城、砦、河川沿いの前線拠点
石材 該当なし
特長 墨俣一夜城は石垣を主体とする城ではなく、織田信長の美濃攻めに関わる前線拠点として伝わる城である。現在の天守風建物と石垣風の外観は、史実上の城郭遺構を復元したものではなく、歴史資料館として整備された施設である。城跡としては、石垣や天守ではなく、長良川・犀川周辺の河川地形と、美濃攻略の足がかりとなった伝承地として理解するのが自然である。
墨俣一夜城DATA
別称 墨俣城、一夜城
所在地 岐阜県大垣市
築城 1566年頃と伝わる
築城者 木下藤吉郎、のちの豊臣秀吉と伝わる
住所 岐阜県大垣市墨俣町墨俣1742-1
電話番号 0584-62-3322
開館時間 9時~17時。入館受付は16時30分まで
休館日 月曜日。祝日の場合は翌日。祝日の翌日、年末年始(12月29日~1月3日)
入館料 一般200円、団体150円、18歳未満無料
備考 現在の墨俣一夜城は、大垣市墨俣歴史資料館として建てられた天守風建物である。史実上の天守や石垣を復元したものではない。館内では、墨俣一夜城伝説、豊臣秀吉、墨俣地域の歴史に関する展示を見学できる。
墨俣一夜城への交通アクセス
JR「岐阜」駅、バス終点「墨俣」下車、徒歩約12分。

HISTORY 墨俣一夜城について

墨俣一夜城の歴史
1560年代 織田信長が美濃攻略を本格化し、尾張と美濃の国境付近に前線拠点を必要とする
1566年頃 木下藤吉郎、のちの豊臣秀吉が墨俣に一夜で城を築いたと伝わる
1567年 織田信長が稲葉山城を攻略し、美濃を支配下に置く
江戸時代以降 墨俣一夜城の伝承が広まり、秀吉出世物語の一場面として語られる
1991年 墨俣一夜城、大垣市墨俣歴史資料館が開館する
2022年 墨俣一夜城築城455年、墨俣歴史資料館開館30周年を迎える

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墨俣一夜城、秀吉が築いたとされる伝説の城

墨俣一夜城は永禄9年(1566年)、豊臣秀吉(当時は木下藤吉郎)がわずか数日で築いたという伝説の城です。織田信長が稲葉山城の斎藤氏を攻略するために築城を命じたとされるものですが、史実ではないという説もあります。大垣市墨俣町墨俣には「墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)」が建てられており、墨俣一夜城に関する展示が見学できます。

墨俣一夜城
墨俣一夜城とは
墨俣一夜城は稲葉山城の戦いの際に秀吉が築城したと言われている城です。実際は砦のような規模のものだったようですが、秀吉はこれをわずか数日で完成させました。その功績が評価され、秀吉が出世街道を駆け上がったことから、墨俣一夜城は秀吉の立身出世物語の最初のエピソードとしても知られています。
当時、織田信長率いる織田家と斎藤龍興率いる斎藤家は美濃をめぐって争っていました。信長は「美濃三人衆」と呼ばれる安藤守就、稲葉一鉄、氏家直元を調略して味方につけ、永禄10年(1567年)8月、稲葉山城に向かって兵を進めました(稲葉山城の戦い)。
この稲葉山城攻略のため、信長が永禄9年(1566年)8月に藤吉郎に築かせたのが墨俣城です。わずか一日で築かれたという伝説から「墨俣一夜城」と呼ばれていますが、この話は江戸時代に入って軍記物語などで広く知られるようになったもので、『信長公記』には書かれていません。
江戸時代の軍記物語『絵本太閤記』などによれば、信長は墨俣城の築城を佐久間信盛や柴田勝家に建設を命じるも両名とも失敗します。代わって「7日で完成させる」と名乗りを上げたのは木下藤吉郎。藤吉郎は蜂須賀小六をはじめとした木曽川一帯の土豪集団「川並衆」の協力のもと、見事築城に成功しました。
藤吉郎は約2000人の手勢で3日間かけて築城を成功させました。その方法は今でいうプレハブ工法で、墨俣が川に囲まれていることを利用し、川の上流で木材を事前に加工し、夜陰に紛れて川に流して墨俣まで輸送します。現地では昼は馬防柵を作り、夜は城づくりに取り組みました。敵と戦いながらなんとか築城を成功させたのです。
こちらはあくまでも軍記物語に書かれた「伝説」ですが、昭和初期に豊臣家に仕えた前野家(愛知県江南市)で発見された『前野文書』に墨俣一夜城の築城に関する詳細な記述(『武功夜話』など)があったことから、墨俣一夜城のエピソードは真実だという主張がなされています。一方で『武功夜話』には真偽不明の記述が多く、原本が非公開である点などから偽書説も根強く、現在でも議論が続いています。
墨俣城が最後に史料に登場するのは天正12年(1584年)4月のことで、秀吉と徳川家康・織田信雄連合軍が戦った「小牧・長久手の戦い」の直前に秀吉が改修を命じています。その後、墨俣城は天正14年(1586年)6月の洪水で流され、さらに木曽川の流れが変わったことで、再建されることはなくその役割を終えました。
墨俣一夜城の見どころ①大垣市墨俣歴史資料館
昭和49年(1974年)6月、墨俣には「墨俣一夜城址公園」が整備されました。さらに平成3年(1991年)には、当時の竹下内閣の「ふるさと創世事業」による1億円を元手に、約6億6000万円を費やした「大垣市墨俣歴史資料館」が完成しました。模擬天守は4層6階で大垣城の天守を模したもの。天守の屋根には金の鯱が乗っています。
資料館では前野家文書の内容に基づき、墨俣一夜城の築城や秀吉の出世などについて展示されています。また、展望室からは岐阜城(稲葉山城)の姿が望めます。
墨俣一夜城の見どころ1 墨俣一夜城の見どころ2 墨俣一夜城の見どころ3
墨俣一夜城の見どころ②秀吉にちなんだひょうたん
模擬天守の周辺には秀吉の馬印にちなみひょうたんのオブジェが飾られています。模擬天守の前を流れる犀川には「太閤出世橋」がかかっており、橋の欄干には金色に輝くひょうたんが飾られています。また、模擬天守の付近には願掛け用の「出世ひょうたん」のコーナーや、ひょうたん型の「出世の泉」があります。出世ひょうたんに奉納されたひょうたんは、毎年10月に開催される「すのまた秀吉出世まつり」の薪能の際、願いの成就を祈ってかがり火にくべられます。
墨俣一夜城のフォトスポット
模擬天守を撮影するなら太閤出世橋の手前から、橋と資料館を撮影するのがおすすめ。春は犀川堤防に沿って植えられた約800本の桜が満開を迎え、桜と白壁の模擬天守の対比がひときわ美しく映えます。
このほか、太閤出世橋の資料館側には秀吉の像が設置されており、フォトスポットとして人気です。
墨俣一夜城の見どころ4 墨俣一夜城の見どころ5 墨俣一夜城の見どころ6
栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。