- 二本松藩飢饉や人口の減少に苦しんだ
- 二本松藩は、福島県二本松市一帯を治めていた藩です。幕末史が好きな方ならば、二本松の戦いの舞台となった藩、というイメージが強いかもしれません。二本松藩は江戸時代初期にいくつかの家が藩主になった後で、最終
二本松城とは、福島県二本松市にある中世から近世にかけての城跡である。別名を霞ヶ城といい、白旗ヶ峰一帯に築かれた平山城であった。江戸時代には二本松藩丹羽氏の居城として整備され、石垣や城門を備えた近世城郭となった。戊辰戦争で城内の建物は焼失したが、現在は霞ヶ城公園として整備され、再建された箕輪門や本丸石垣、天守台などが城の面影を伝えている。
| 目的 | 二本松藩の政庁、丹羽氏の居城、奥州街道沿いの防衛拠点 |
|---|---|
| 特長 | 平山城、箕輪門、本丸石垣、天守台、戊辰戦争の舞台 |
| 他の城との違い | ・「霞ヶ城」の別名で知られる ・本丸石垣や天守台から二本松市街を一望できる ・戊辰戦争で落城し、二本松少年隊の悲話を伝える城である |
| 石垣 | 現存・修築復元 |
|---|---|
| 土塁 | 一部あり |
| 種類 | 野面積、打込接、石垣、土塁、堀、曲輪 |
| 石材 | 安山岩など |
| 特長 | 二本松城は白旗ヶ峰の地形を活かした平山城で、本丸周辺や箕輪門周辺に石垣が残る。城内では時期や場所によって積み方の異なる石垣を見ることができ、本丸跡には修築復元された石垣と天守台が整備されている。箕輪門周辺の石垣と城門は、二本松藩十万石の城としての威容を現在に伝えている。 |
| 別称 | 霞ヶ城、白旗城 |
|---|---|
| 所在地 | 福島県二本松市 |
| 築城 | 室町時代 |
| 築城者 | 畠山氏 |
| 住所 | 福島県二本松市郭内3丁目 |
| 電話番号 | 0243-55-5122 |
| 開園時間 | 霞ヶ城公園は見学自由 |
| 休園日 | なし |
| 入園料 | 無料 |
| 備考 | 現在は霞ヶ城公園として整備されている。園内には再建された箕輪門、二階櫓、多聞櫓、本丸石垣、天守台、二本松少年隊群像などがある。日本100名城スタンプは二本松駅観光案内所またはにほんまつ城報館に設置されている。 |
二本松城は、福島県二本松市にあった平城です。日本百名城の1つに数えられており、現在は桜の名所としても有名です。しかし、江戸時代末期、二本松の戦いと呼ばれる戦場となった城でもあります。そんな二本松城の歴史を紐解いていきましょう。
| 室町時代 | 畠山氏により二本松城の前身となる城が築かれる |
|---|---|
| 1585年 | 伊達政宗が二本松城を攻め、二本松氏との攻防が続く |
| 1586年 | 二本松城が開城し、二本松氏が滅亡する |
| 江戸時代初期 | 蒲生氏・加藤氏の支配を経て、二本松城が近世城郭として整備される |
| 1643年 | 丹羽光重が二本松へ入封し、以後、丹羽氏の居城となる |
| 江戸時代 | 二本松藩丹羽氏の政庁として機能する |
| 1868年 | 戊辰戦争で二本松城が落城し、城内の建物が焼失する |
| 1982年 | 箕輪門・二階櫓・多聞櫓が再建される |
| 2007年 | 二本松城跡が国の史跡に指定される |
二本松城と関連する事件を読む
| 藩庁 | 二本松城 |
|---|---|
| 旧地域 | 陸奥国南部安達郡 |
| 石高 | 10万石 |
| 譜代・外様 | 外様 |
| 主な藩主 | 松下家、加藤家、丹羽家 |
| 推定人口 | 3万7000人(明治元年) |
加藤嘉明の会津入封に伴って、娘婿の松下重綱が立藩。その後、加藤家・丹羽家が続いた。
福島県二本松市にある「二本松城」は、中世から続く日本100名城に認定された城です。「霞ヶ城」や「白旗城」とも呼ばれ、現在は「霞ヶ城公園」として整備され、桜の名所として人気を博しています。