三戸城青森県三戸郡
三戸城DATA
別称 |
留ヶ崎城 |
築城 |
1539年 |
住所 |
青森県三戸郡三戸町梅内城ノ下34 |
電話番号 |
0179-22-2739 |
開館時間 |
午前9時~午後4時 |
休館日 |
月曜日(月曜日が祝日の場合、その翌日)、12月~3月 |
登閣料 |
大人210円、大学生・高校生110円、小中学生60円 |
三戸城は南部氏の居城の一つ。
三戸城への交通アクセス
青い森鉄道三戸駅からバス約10分、徒歩約15分。
三戸城について
三戸城と関連する事件を読む
- 九戸政実の乱秀吉の天下統一最後の戦い
- 天正19年(1591年)3月、天下統一をほぼ成し遂げていた豊臣秀吉の前に立ちふさがった最後の敵、それが南部氏の九戸政実(くのへまさざね)です。南部家当主とそれを支持する秀吉に対して反乱を起こし、秀吉率いる6万5000の大軍にわずか5000の兵で立ち向かいました。「九戸政実の乱」や「九戸一揆」と呼ばれる、この無謀ともいえる秀吉への反抗はなぜ起きたのでしょうか。
三戸城を居城とする、盛岡藩の歴史
- 盛岡藩何度も飢饉に襲われた
- 盛岡を含む北奥羽は室町時代初期から南部氏によって支配されており、江戸時代も一度も国替えや移封が行われず、南部氏によって治められた珍しい地域です。盛岡は決して稲作に適した地域ではなく、江戸時代を通じて70回以上の飢饉に見舞われました。そんな盛岡藩の歴史を紐解いていきましょう。 盛岡藩を明治まで治め続けた南部氏について 盛岡藩は、鎌倉時代に東北に移り住み、室町時
盛岡藩DATA
居城 |
三戸城 |
旧地域 |
陸奥国北部 |
石高 |
20万石 |
譜代・外様 |
外様 |
主な藩主 |
南部氏 |
推定人口 |
12万人(明治元年) |
南部信直の長男・利直が立藩。かつては津軽も支配していたが、津軽為信(大浦為信)の離反により領土を失う。その後、幕末まで確執が続く。