三戸城青森県三戸郡

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  • 三戸南部氏の本拠となった城
  • 河岸段丘上に築かれた天然の要害
  • 石垣・土塁・堀・枡形が残る国史跡

三戸城とは、青森県三戸町にある戦国時代の城跡である。馬淵川と熊原川によって形成された河岸段丘上に築かれ、室町時代後期から江戸時代初頭まで三戸南部氏の居城であった。現在は国史跡三戸城跡城山公園として整備され、石垣や土塁、堀、枡形などの遺構が残る、南部氏の歴史を伝える重要な城跡である。

三戸城の特長
目的 三戸南部氏の居城、北奥羽支配の拠点
特長 河岸段丘上の城、石垣・土塁・堀・枡形が残る国史跡
他の城との違い ・天守を中心に見せる近世城郭ではない
・南部氏の勢力拡大を背景に整備された大規模な城郭である
・丘陵上に曲輪が段状に配置され、大手から本丸へ至る城道に防御の工夫が見られる
三戸城の石垣・土塁
石垣 現存
土塁 現存
種類 打込接、土塁、堀、枡形
石材 不明
特長 三戸城には石垣・土塁・堀・枡形などの遺構が残る。城跡内は丘陵全体に曲輪が形成され、大手側から綱門跡、鳩門跡、欅門跡、大門跡を経て本丸跡へ至る構成となっている。鍛冶屋門跡周辺では、荒く割って成形した石を積み上げる打込接の石垣が確認されている。
三戸城DATA
別称 留ヶ崎城
所在地 青森県三戸町
築城 16世紀中頃
築城者 三戸南部氏
住所 青森県三戸郡三戸町大字梅内字城ノ下
電話番号 0179-20-1117
開園時間 見学自由
休園日 なし
入園料 無料
備考 現在は国史跡三戸城跡城山公園として整備されている。園内には三戸町立歴史民俗資料館、三戸城温故館、綱門跡などがある。
三戸城への交通アクセス
青い森鉄道三戸駅からバス約10分、徒歩約15分。

HISTORY 三戸城について

三戸城の歴史
1539年 南部晴政の代に、本三戸城から三戸城へ移ったと伝わる
1590年 南部信直が豊臣秀吉から南部内七郡の領有を認められ、三戸城が正式な居城に定められる
1592年 南部信直が盛岡城の築城を開始する
17世紀初頭 南部氏の本拠が盛岡へ移り、三戸城には城代が置かれる
1684年頃 貞享年間に城代が廃止され、三戸城は古城となる
江戸時代 古城となった後も御掃除奉行が置かれ、城跡の管理が続けられる
2022年 三戸城跡が国の史跡に指定される

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