- 八戸藩盛岡藩より独立した
- 八戸藩は、南部盛岡藩2代藩主・南部重直が後継を定めずに没したために誕生した藩です。幕府の命令によって、南部盛岡藩10万石の中から2万石を分割してもらい、南部重直の弟中里数馬(南部直房)が初代藩主となり
八戸城とは、青森県八戸市にあった江戸時代の城である。八戸藩の成立にともない藩主の居城となり、本丸と二の丸を中心に構成され、外側には堀がめぐっていた。現在、本丸跡は三八城神社や三八城公園周辺、二の丸跡は八戸市庁・南部会館・龗神社周辺にあたり、八戸藩政の中心地であった面影を今に伝えている。
| 目的 | 八戸藩の政庁、領国支配の拠点 |
|---|---|
| 特長 | 本丸・二の丸を中心とした近世城郭、八戸藩の政治的中心 |
| 他の城との違い | ・天守を中心に見せる城ではない ・現在は城跡の多くが市街地・公園・公共施設となっている ・南部会館に残る八戸城角御殿表門が、八戸城下の名残を伝えている |
| 石垣 | なし |
|---|---|
| 土塁 | 一部痕跡・発掘調査で確認 |
| 種類 | 土塁、堀 |
| 石材 | 該当なし |
| 特長 | 八戸城は石垣を主体とする城ではなく、土塁と堀によって構成された近世城郭である。八戸市の発掘調査では、本丸と二の丸から構成され、外側に堀がめぐっていたことが確認されている。現在は三八城公園や市街地として整備され、地表で明確に城郭遺構を確認できる場所は限られる。 |
| 別称 | 三八城 |
|---|---|
| 所在地 | 青森県八戸市 |
| 築城 | 1627年頃 |
| 築城者 | 南部利直 |
| 住所 | 青森県八戸市内丸一丁目14-49ほか |
| 電話番号 | 0178-43-9141 |
| 開館時間 | 見学自由 |
| 休館日 | なし |
| 入館料 | 無料 |
| 備考 | 現在の本丸跡周辺は三八城公園・三八城神社として整備されている。八戸城角御殿表門は南部会館の表門として残り、青森県重宝に指定されている。 |
八戸城は、八戸南部氏が居城とした城の1つであり、盛岡藩から八戸藩が分離した際に藩庁となった城です。天守や隅櫓などは計画だけで建築されませんでしたが、根城が廃城となった後は、八戸南部氏の拠点にもなりました。そんな八戸城の歴史を紐解いていきましょう。
| 1627年頃 | 盛岡藩主・南部利直により、八戸城の前身となる城館が整備される |
|---|---|
| 1664年 | 南部直房が八戸藩2万石を立藩し、八戸城が藩庁となる |
| 1668年 | 南部直房が八戸城に入城する |
| 1827年 | 八戸城角御殿表門が建てられたと伝わる |
| 1871年 | 廃藩置県により八戸藩が廃止される |
| 1873年 | 廃城令により八戸城が廃城となる |
| 1938年 | 本丸跡に三八城神社が創建される |
| 1958年 | 八戸城角御殿表門が青森県重宝に指定される |
| 現在 | 本丸跡周辺は三八城公園・三八城神社として整備され、八戸城角御殿表門が南部会館の表門として残る |
| 居城 | 八戸城 |
|---|---|
| 旧地域 | 陸奥国三戸郡 |
| 石高 | 2万石 |
| 譜代・外様 | 外様 |
| 主な藩主 | 南部家 |
| 推定人口 | 6万8000人(明治元年) |
盛岡藩から分割。南部直房が初代藩主となる。