名護屋城佐賀県唐津市

冬の名護屋城1 冬の名護屋城2 冬の名護屋城3 冬の名護屋城4 冬の名護屋城5 冬の名護屋城6 冬の名護屋城7 冬の名護屋城8
  • 豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点として築いた巨大城郭
  • 全国の大名が集められ、周囲に陣跡が広がる城
  • 破却された石垣が文禄・慶長の役の記憶を伝える特別史跡

名護屋城とは、佐賀県唐津市鎮西町名護屋にある安土桃山時代の城跡である。天正19年(1591)に豊臣秀吉が文禄・慶長の役の拠点として築城を始め、諸大名の割普請により短期間で完成したとされる。玄界灘を望む丘陵上に本丸、二ノ丸、三ノ丸、山里丸、東出丸などを配置し、周辺には全国から集められた大名たちの陣跡が広がった。城として使われた期間は長くないが、豊臣政権の軍事力と動員力を示す巨大城郭である。江戸時代初期に破却されたと考えられ、現在も広範囲に崩された石垣が残る。名護屋城跡並陣跡は国の特別史跡に指定され、日本100名城にも選定されている。

名護屋城の特長
目的 文禄・慶長の役の軍事拠点、豊臣秀吉の在陣地、全国大名の統制、玄界灘・壱岐・対馬方面の監視、朝鮮半島への出兵基地
特長 豊臣秀吉、文禄・慶長の役、朝鮮出兵、割普請、特別史跡、名護屋城跡並陣跡、玄界灘、壱岐、対馬、大名陣跡、破却石垣、日本100名城、佐賀県立名護屋城博物館
他の城との違い ・藩の政庁ではなく、豊臣秀吉の朝鮮出兵のために築かれた軍事拠点である
・全国の大名が動員され、城の周囲に多数の陣跡が形成された
・築城から廃城までの期間は短いが、豊臣政権の規模と権力を示す巨大城郭である
・江戸時代初期に破却されたと考えられ、崩された石垣が広範囲に残る
名護屋城の石垣・土塁
石垣 現存。ただし江戸時代初期に破却されたと考えられ、広範囲で崩された状態が見られる
土塁 一部痕跡あり
種類 野面積、打込接、算木積、石垣、破却石垣、虎口、曲輪、平山城、陣城、大名陣跡
石材 玄武岩、花崗岩などの現地周辺の石材
特長 名護屋城の石垣は、本丸、二ノ丸、三ノ丸、山里丸、東出丸などの曲輪周辺に残る。築城は諸大名の割普請で進められ、短期間で巨大な城郭が築かれた。現在見られる石垣には、江戸時代初期の破却によって崩されたと考えられる箇所が多く、名護屋城の大きな特徴となっている。天守台には五層七階の天守があったとされるが、建物は現存しない。名護屋城では、単独の城跡としてだけでなく、周囲に広がる大名陣跡と合わせて、豊臣政権の全国動員体制を見るのが自然である。
名護屋城DATA
別称 なし
所在地 佐賀県唐津市
築城 天正19年(1591)に築城開始。文禄元年(1592)までに完成したとされる
築城者 豊臣秀吉
住所 佐賀県唐津市鎮西町名護屋
電話番号 0955-82-4905(佐賀県立名護屋城博物館)
開館時間 城跡は散策自由。佐賀県立名護屋城博物館は9時~17時
休館日 城跡は散策自由。佐賀県立名護屋城博物館は月曜日、祝日の場合は翌平日、年末年始12月29日~1月3日
入館料 城跡は無料。ただし大学生以上は清掃協力金100円。佐賀県立名護屋城博物館の常設展は無料、特別企画展は有料の場合あり
備考 名護屋城は日本100名城の87番に選定されている。名護屋城跡並陣跡は国の特別史跡で、城跡だけでなく周囲の大名陣跡も含めて保存されている。佐賀県立名護屋城博物館では、名護屋城跡と文禄・慶長の役、日本と朝鮮半島との交流史に関する展示を行っている。城跡の見学時間は、博物館から三ノ丸、本丸を往復する場合でおおよそ30~40分が目安とされる。
名護屋城への交通アクセス
JR「唐津」駅 バス約40分

HISTORY 名護屋城について

名護屋城の歴史
1591年 豊臣秀吉が文禄・慶長の役の拠点として、肥前名護屋で築城を始める
1591年 諸大名の割普請により、短期間で大規模な城郭が築かれる
1592年 文禄の役が始まる。名護屋城は朝鮮半島への出兵拠点となる
1592年 豊臣秀吉が名護屋城に在陣し、全国の大名が周囲に陣を構える
1593年 文禄の役の講和交渉が進み、名護屋城は引き続き軍事・外交の拠点となる
1597年 慶長の役が始まり、名護屋城は再び出兵拠点として機能する
1598年 豊臣秀吉が死去し、朝鮮半島からの撤兵が進む
安土桃山時代末期 出兵の終了により、名護屋城は軍事拠点としての役割を失う
江戸時代初期 名護屋城は破却されたと考えられ、石垣が広範囲に崩される
1926年 名護屋城跡並陣跡が国の史跡に指定される
1955年 名護屋城跡並陣跡が国の特別史跡に指定される
1993年 佐賀県立名護屋城博物館が開館する
2006年 日本城郭協会により、名護屋城が日本100名城のひとつに選定される

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