島原城長崎県島原市

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  • 松倉重政が築いた島原藩の本拠
  • 島原・天草一揆の背景と深く関わる城
  • 現在は復興天守・櫓・石垣・堀が整備された島原城跡公園

島原城とは、長崎県島原市城内にある江戸時代初期の城跡である。元和4年(1618)、大和五條から島原へ入った松倉重政が築城を始め、島原半島中央部の森岳に壮大な近世城郭を築いた。五層天守を中核に大小の櫓を配置した城で、島原藩の政庁として機能した。一方で、築城や藩政に伴う重い負担、キリシタン弾圧、飢饉などは、のちの島原・天草一揆の背景のひとつとなった。現在は島原城跡公園として整備され、復興天守、櫓、石垣、堀、キリシタン史料、郷土史料などを見学できる。

島原城の特長
目的 島原藩の政庁、島原半島の支配拠点、キリシタン集住地の統治、防衛拠点
特長 松倉重政、松倉勝家、島原・天草一揆、天草四郎、五層天守、復興天守、石垣、堀、西望記念館、観光復興記念館、日本100名城
他の城との違い ・一国一城令後に新規築城が認められた、全国的にも珍しい近世城郭である
・島原・天草一揆の背景となった松倉氏の藩政と深く関わる
・現在の天守や櫓は昭和期以降に復元・復興された建物で、藩政時代の建物そのものではない
島原城の石垣・土塁
石垣 現存・復元整備
土塁 一部痕跡あり
種類 石垣、屏風折れ石垣、帯曲輪、天守台、櫓台、水堀、連郭式平城
石材 自然石、割石など
特長 島原城は、連郭式平城として本丸・二の丸・三の丸を並べ、石垣と堀で守りを固めた城である。現在も本丸・二の丸の石垣と堀が主な遺構として残り、階段状の帯曲輪や屏風折れの石垣を見ることができる。天守や櫓は復興建物だが、石垣と堀は島原城の実際の規模を伝える重要な遺構である。城郭としては、復興天守の外観だけでなく、広い水堀、折れを持つ石垣、森岳の台地上に築かれた縄張りをあわせて見るのが自然である。
島原城DATA
別称 森岳城、高来城
所在地 長崎県島原市
築城 1618年着工、4年ないし7年後竣工
築城者 松倉重政
住所 長崎県島原市城内1丁目1183-1
電話番号 0957-62-4766
開館時間 9時~17時30分。入館は17時まで
休館日 なし
入館料 大人700円、小・中・高校生350円。天守閣、西望記念館、観光復興記念館の3館共通入館料
備考 島原城は日本100名城に選定されている。日本100名城スタンプは島原城天守閣受付に設置されている。現在の天守閣は昭和39年(1964)に復元された建物で、藩政時代の天守を現存建物として伝えるものではない。天守閣内はキリシタン史料、郷土史料、民俗史料などを展示する資料館となっている。島原駅から徒歩約10分。
島原城への交通アクセス
島原鉄道「島原」駅 徒歩約10分

HISTORY 有明海にのぞむ復興された城「島原城」

島原城は、長崎県島原市城内に築かれていた平城です。有明海をのぞめる場所、雲仙普賢岳の麓に位置するこの城は江戸時代初期、「島原の乱」の舞台になりました。そんな島原城の歴史を紐解いていきましょう。

島原城の歴史
1616年 松倉重政が大和五條から島原へ入封する
1618年 松倉重政が森岳の地で島原城の築城を始める
1620年代 五層天守や多数の櫓を備えた島原城が完成する
江戸時代初期 松倉氏の藩政下で、築城負担、重税、キリシタン弾圧などが進む
1637年 島原・天草一揆が起こり、一揆勢が島原城を攻撃する
1638年 島原・天草一揆が原城で終結する
1638年 松倉勝家が一揆の責任を問われ、松倉氏が改易される
江戸時代 高力氏、松平氏、戸田氏、再び松平氏が島原藩主となり、島原城が藩政の中心となる
1873年 廃城令により島原城が廃城となる
明治時代 天守や櫓などの建物が解体され、石垣と堀が残る
1960年 西の櫓が復元される
1964年 現在の天守閣が復元され、資料館として公開される
1972年 巽の櫓が復元され、西望記念館が開館する
1996年 雲仙普賢岳噴火災害を紹介する観光復興館が開館する
2006年 日本100名城に選定される
島原城築城
島原城は、元和4年(1618年)に大和五条藩主、肥前日野江藩初代藩主であった松倉重政によって築城されました。 その当時、島原の地にはた原城・日野江城という2つの城がありましたが、幕府が出した一国一城令に従ってこれらの城を廃し、新しく島原城を作ったのです。 築城当時の島原城は、五層天守閣を中核とした連郭式平城です。本丸と二の丸がそれぞれ独立して堀に囲まれており、廊下橋形式の木橋が2つを繋いでいました。 いざとなったら木橋を落とせば本丸を独立させることができます。 破風を持たない独立式層塔型5重5階の天守の他、総石垣、櫓49棟という豪華な造りは、10万石の大名の居城に匹敵するものでした。 松倉重政の石高は4万3千石だったので、分不相応な豪華さだったことが分かります。 しかも、島原城を建てた場所は火山灰や溶岩流が積み重なってできた地層で、城を建てるには不向きな場所でした。 そのため、普請工事は困難を極めたと言うことです。
豪華すぎる城が島原の乱の引き金になる
石高に見合わない豪華な城を建てたことで、島原藩はあっという間に財政が苦しくなりました。 松倉重政は財政難を解消するために農民に重税を課し、過酷な取り立てを行いました。 この重税と過酷の取り立ては松倉重政の子息であり、第二代藩主の松倉勝家のときも継続されたため、蜂起した旧有馬氏の家臣を中心とした農民達が、一揆を起しました。 なお、島原の乱というと「天草四郎」が有名ですが、彼は肥後天草で勃発した一揆の首謀者で、後で島原の一揆に合流したのです。 また、蜂起した一気した勢が立てこもった城が「島原城」と思われがちですが、正しくは廃城となった「原城」です。 島原城は、一揆勢と戦った島原藩の兵士が籠城しました。 城は堅固なので打ち破られることはありませんでしたが、一揆勢は島原城下町を荒らして打ち壊しなどや略奪をおこなったということです。 島原の乱は結局幕府が13万人近くの討伐軍を派遣し鎮圧に成功しますが、松倉勝家は農民に反乱を起させた罪で,斬首されます。 その後、島原城は幕末まで4つの家が入れ替わって入り、藩主として島原藩を治めました。
明治時代以降の島原城
明治7年(1874年)に廃城令が明治政府より発令され、島原城も土地と建物全てが民間に払い下げられました。 明治9年(1876年)には天守閣をはじめとする全ての建物が取り壊され、本丸跡地は畑となり、三の丸は島原高校をはじめとする学校が建ち並びました。 しかし、島原の人々の間から城の復興を望む声があがり、昭和35年(1960年)に西櫓、昭和39年(1964年)には天守閣が復興されました。 なお、現在、天守閣は「キリシタン史料」「郷土史料」「民俗史料」などを展示する資料館となっています。 その後も復興は続き、昭和47年(1972年)には巽櫓が復元されました。そして、平成8年(1996年)には、雲仙普賢岳噴火災害を映像と各種資料を展示する「観光復興館」が城の敷地にたてられました。
平成18年(2006年)には、復興された城でありながら日本100名城に選出されます。 平成28年(2016年)には、城跡が長崎県指定史跡に指定されました。 現在の島原城は年間20万~30万人の観光客が訪れる島原市の観光名所になっています。 島原薪能、不知火祭という各種イベントも行われていますが、特に珍しいのが、城の堀に生えたレンコンを掘り当てる「島原城秋のレンコン堀り大会」です。 これは、島原城が畑だった頃に栽培していたレンコンが自生したもので、令和元年で15回目を数えます。 掘り当てたレンコンは持ち帰りが可能です。

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島原の乱鎖国のきっかけとなったキリシタンたちの反乱
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島原城を藩庁とする、島原藩の歴史

島原藩江戸時代最大の内乱「島原の乱」の舞台
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島原藩DATA
藩庁 島原城
旧地域 肥前国島原
石高 6万5000石
譜代・外様 親藩
主な藩主 有馬家・松倉家・高力家・松平家・戸田家
推定人口 17万5000人(明治元年)

島原城、島原の乱の舞台となった城

長崎県島原市にある島原城は、関ヶ原の戦いで武功を上げた松倉重政が島原に築城した連格式の平城です。江戸時代には「島原の乱」の舞台にもなりました。現在の天守は昭和の時代に史料などをもとに再建された復興天守。五層の壮麗な天守は島原のシンボル的存在です。

島原城
島原城の歴史
島原城は松倉重政が元和4年(1618年)から約7年がかりで築いた近世城郭です。重政は関ヶ原の戦いの後、大和の二見城(現奈良県五條市)の城主に就任。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣でも活躍し、元和2年(1616年)に有馬直純の転封後に天領となっていた肥前国高来郡日野江(長崎県南島原市北有馬町)の日野江城に入り、島原藩(日野江藩)藩主となりました。
日野江城は地理的・政治的に不便だったことから、重政は有明海の交通の要所だった島原の森岳に島原城を築城します。城は南北に連なる連郭式平城。天守は総塗籠の5層5階の壮麗なもので、高さは33mあったそうです。本丸・二の丸には16基の櫓、外曲輪には31基の平櫓があり、周囲は総長5,320mにも及びました。島原藩4万石に対して身分不相応な城郭ですが、実は重政は石高を過大申告し、増税して領民から搾れるだけ搾り取りました。
その姿勢は重政の息子・松倉勝家になっても変わらず、島原城の改築や、父の代で頓挫したルソン遠征の準備などのために領民に重税を課し、支払えない領民を拷問するなど暴政を敷きました。加えて親子ともどもキリシタンを弾圧したことでも知られています。
勝家が領民やキリシタンから多くの恨みを買った結果、寛永14年(1637年)には「島原の乱」が発生。島原城は一揆衆に包囲されましたが、城の守りが固かったこともあり落城せずに済みました。
その後、勝家は島原の乱の責任を取って改易され、変わって高力忠房が入りましたが、2代目の高力隆長が暴政を敷いたことでまたまた改易に。結局丹波国福知山藩(京都府福知山市)藩主の松平忠房が入城し、その後も一部の例外を除き明治になるまで松平氏が島原を治めました。譜代大名の松平氏が外様大名が多い九州に赴任することで、周辺の大名や長崎を通した海外貿易を監視する意味があったようです。
明治以降は廃城令を受けて天守や櫓は解体され、天守台だけが残され、城の跡地には学校などが置かれました。その後市民たちの熱意が実り、昭和35年(1960年)に西の櫓を、昭和39年(1964年)に天守を復元。そのほか巽の櫓や丑寅の櫓などが復元されています。
島原城の見どころ①壮麗な復興天守
現在そびえたつ天守は、昭和39年(1964年)に再建されたもの。5層5階の白亜の天守は晴れた日は青空とのコントラストがとても美しいと評判です。
天守閣の内部はミュージアムになっており、1階のキリシタン史料館では、キリシタン大名として知られる有馬晴信の時代に花開いたキリシタン文化、キリシタン弾圧時代、そして島原の乱などの史料が年代順に展示されています。
2階は郷土資料、3階は民俗資料が展示されており、5階の展望所からは島原市内や眉山、有明海を一望できます。
島原城の見どころ1 島原城の見どころ2 島原城の見どころ3
島原城の見どころ②往時の姿をとどめる御馬見所
島原城の中で唯一江戸時代の姿を残すのが「御馬見所」。幕末、最後の藩主・松平忠和の時代に藩士の訓練状況を見るために建てられたもので、もとは三の丸にありました。
明治維新後に長崎県南島原市口之津町に移築されたことで取り壊しの難を逃れ、昭和41年(1966年)に現在の天守の東北に移築されました。国の登録有形文化財にも指定されており、平屋建てで細い木を骨組みに用いた数寄屋風の建物は往時をしのばせます。
島原城の見どころ4 島原城の見どころ5 島原城の見どころ6
島原城の見どころ③復元された櫓や塀
島原城には復元した櫓のなかにさまざまな展示施設があります。昭和48年(1973年)に復元された「巽の櫓」は島原出身で長崎平和記念像の作者でもある、彫刻家の北村西望の記念館となっています。
昭和35年(1960年)に復元した三重櫓・西の櫓の内部には国内の城の絵やこけしなどを展示。昭和55年(1980年)に復元された「丑寅の櫓」内は民具資料館になっています。
このほか丑寅の櫓とともに復元された長塀も見どころのひとつ。丸や三角の矢狭間のある瓦葺の白壁塀はとても美しいですよ。
島原城の見どころ7 島原城の見どころ8 島原城の見どころ9
島原城の見どころ④夜の島原城を探索。城キャンも
島原城は夜のイベントの豊富さで知られています。2024年度は10回目となる「島原城 夜の陣」を土曜日を中心に開催中。普段は入れない夜の島原城を懐中電灯で照らしながら探検できます。ライトアップされた城内をBGMが流れるなか進んでいくと、最上階に到達。影絵「キャッスルモンスター」は必見です。また、日付限定で脱出ゲームが開催されることもありますよ。
このほか島原城ではキャンピングカーで泊まる「城キャン」が可能。島原城内にRVパークがあり、城のライトアップを眺めながらキャンピングカーでのキャンプが楽しめます。
おすすめ撮影スポット
島原城のおすすめ撮影スポットは、城の南東です。東堀通りから城と屏風折れの石垣を堀越しに撮影すると綺麗ですよ。また、西の櫓の前にある芝生広場は天守の全景を撮るのに最適のスポットです。
島原城の見どころ10 島原城の見どころ11 島原城の見どころ12
栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。

島原城のコラム

城好きによる紹介コラム