平戸城長崎県平戸市

冬の平戸城1 冬の平戸城2 冬の平戸城3 冬の平戸城4 冬の平戸城5 冬の平戸城6 冬の平戸城7 冬の平戸城8 冬の平戸城9 冬の平戸城10 冬の平戸城11
  • 松浦氏が治めた平戸藩の居城
  • 平戸瀬戸と平戸港を見下ろす海辺の平山城
  • 現存する狸櫓と北虎口門、復元天守・櫓群が見どころ

平戸城とは、長崎県平戸市にある江戸時代の城跡である。平戸港を見下ろす亀岡の丘陵上に築かれ、平戸藩松浦氏の居城となった。慶長4年(1599)に松浦鎮信が日の岳城を築いたことに始まるが、慶長18年(1613)に焼失した。約90年後の宝永元年(1704)、松浦棟により再築が始まり、享保3年(1718)に完成した。現在は復興天守、見奏櫓、懐柔櫓、地蔵坂櫓、乾櫓などが整備され、藩政時代から残る狸櫓、北虎口門、石垣とともに平戸城の姿を伝えている。

平戸城の特長
目的 平戸藩の政庁、松浦氏の居城、平戸港・平戸瀬戸の監視、城下町支配の拠点
特長 松浦氏、松浦鎮信、松浦棟、平戸港、平戸瀬戸、復興天守、狸櫓、北虎口門、懐柔櫓、平戸城CASTLE STAY、日本100名城
他の城との違い ・平戸港を見下ろす、海に面した平山城である
・藩政時代の天守はなく、現在の天守は昭和37年(1962)に建てられた模擬天守である
・懐柔櫓は日本100名城初の常設宿泊施設「城泊」として活用されている
平戸城の石垣・土塁
石垣 現存・復元整備
土塁 一部あり
種類 野面積、打込接、石垣、櫓台、虎口、平山城、海城
石材 自然石、割石など
特長 平戸城は、平戸港を望む丘陵地を利用した海辺の平山城である。城内には石垣、櫓台、虎口が残り、北側には北虎口門と狸櫓が藩政時代の遺構として残る。狸櫓は正式には多聞櫓で、平戸城に残る藩政時代唯一の櫓である。再築時には山鹿流の思想を取り入れた縄張りが施されたとされ、平戸瀬戸や白浜港を見張るように櫓が配置された。現在の天守や一部櫓は復興・復元建物であるため、城郭遺構としては石垣、虎口、現存する狸櫓・北虎口門を中心に見るのが自然である。
平戸城DATA
別称 亀岡城、亀甲城、日の岳城
所在地 長崎県平戸市
築城 1599年。再築は1704年着工、1718年完成
築城者 松浦鎮信。再築は松浦棟
住所 長崎県平戸市岩の上町1458番地1
電話番号 0950-22-2201
開場時間 4月1日~9月30日は8時30分~18時、10月1日~3月31日は8時30分~17時
休館日 12月30日~12月31日
入館料 大人520円、高校生310円、小・中学生200円。30名以上の団体割引あり
備考 平戸城は日本100名城に選定されている。現在の天守は昭和37年(1962)に建てられた模擬天守で、史実上の天守を復元したものではない。藩政時代の建物として狸櫓、北虎口門が残る。懐柔櫓は「平戸城CASTLE STAY 懐柔櫓」として宿泊施設化されている。天守からは平戸瀬戸、平戸大橋、平戸港、遠く壱岐方面まで望むことができる。
平戸城への交通アクセス
松浦鉄道「たびら平戸口」駅 タクシー約10分

HISTORY 江戸時代中期に建て直された平戸城

平戸城は、長崎県平戸市にあった平山城です。平戸は古くから国外貿易の窓口であり、江戸時代初期まではオランダやイギリスなどヨーロッパの商館も存在しました。平戸城は一度破却された後再建されたという異色の歴史を持ちます。 そんな平戸城の歴史を紐解いていきましょう。

平戸城の歴史
1599年 松浦鎮信が亀岡の地に日の岳城を築き始める
1600年 関ヶ原の戦い後、松浦氏が平戸藩主として存続する
1613年 日の岳城が焼失する
江戸時代前期 松浦氏は城を持たず、御館を政庁として平戸藩を治める
1691年 松浦棟が幕府の寺社奉行となる
1704年 松浦棟により、平戸城の再築が始まる
1718年 平戸城の再築工事が完成する
江戸時代 松浦氏の居城として、平戸藩の政庁となる
1775年 松浦清、静山が9代藩主となる
1779年 松浦清が藩校「維新館」を創設し、平戸城に楽歳堂文庫を設立する
1821年 松浦清が随筆集『甲子夜話』を書き始める
1871年 廃藩置県により平戸藩が廃止される
明治時代 城郭建物の多くが失われるが、狸櫓や北虎口門などが残る
1962年 現在の模擬天守が建てられる
2006年 日本100名城に選定される
2021年 懐柔櫓が城泊施設として活用され、平戸城CASTLE STAYが始まる
戦国時代の国際貿易都市 平戸
平戸は古くは平安時代より中国との貿易港の[剣先あやめ1]一つとして発展してきました。古代~中世まで中国との貿易拠点といえば博多が有名ですが、平戸も中国へ行く船が停泊する寄港地として賑わいました。
天文19年(1550年)、オランダ商船が平戸にはじて来航します。船員にミサを行うために前年に鹿児島県に上陸した宣教師フランシスコ・ザビエルも平戸におもむき、以降平戸はキリスト教布教の中心地となりました。その後、平戸にはオランダやイギリスからも商船がやってきて、次々と商館を建築していきます。
安土桃[剣先あやめ2]山時代後期から江戸幕府が開かれて鎖国が始まるまで、平戸は南蛮貿易やキリスト教布教の中心地でした。なお、現在も伝わる隠れキリシタンの祈り「オラショ」も平戸が発祥です。 平戸に建てられたヨーロッパの商館は、寛永10年(1633年)より鎖国令が始まったことにより次々と閉鎖されて行きました。最終的に残ったのはオランダ商館のみで、その後平戸より出島に移され、鎖国した日本で唯一貿易を続けるヨーロッパの国となります。
初代平戸城
ヨーロッパ・中国(明)、東南アジアとの貿易の中心地であった平戸に城が作られたのは、慶長4年(1599年)のことです。築城したのは平戸を支配していた松浦氏の当主であった松浦鎮信です。彼は天正14年(1586年)に九州の大名としてはいち早く豊臣秀吉に従順の意思を示し、所領を安堵されました。
城の建築に着手した翌年の慶長6年(1600年)に、関ヶ原の戦いが勃発します。このとき、長男の松浦久信が西軍に与しましたが、松浦鎮信は建築中の平戸城を破棄して徳川家康に従順の意思を示しました。この行ないに感心した徳川家康は、壱岐と松浦郡6万3,200石の所領を安堵します。松浦鎮信は、その後平戸城の再建築を試みますが慶長12年(1607年)に平戸は大火に襲われ、建築中の平戸城は全焼しました。
この火事で松浦氏は平戸城建築を諦め、平戸貿易の再興に力を尽し、平戸は南蛮貿易の中心として鎖国が完了するまで栄えました。
平戸城再建
火事によって全焼した建築中の平戸城が再建されたのは第4代藩主松浦重信の頃です、彼は、山鹿流兵法を生み出した儒学者山鹿素行と交流があり、彼を平戸に藩士として迎え入れたいと考えていましたが、叶いませんでした。しかし、後に山鹿高基・義昌という血族を迎え入れることができました。この縁で、元禄16年(1703年)に平戸城の再建築が許可された際、山鹿流兵法の考え方に沿って城は再建されます。ちなみに、山鹿流兵法の考えに沿って建てられたもう一つの城に、忠臣蔵[剣先あやめ3]で有名な赤穂藩の藩庁、赤穂城が挙げられます。
平戸城の再建が許されたのは、松浦氏が徳川家と婚姻を結んでいたことや東シナ海の守りを固める必要性が出てきたためといった理由が推測されています。5代藩主松浦棟の時代に元禄17年(1704年)2月に着工され、宝永4年(1707年)に完成しました。
天守は築かれず、二の丸に建てた3重3階の乾櫓が天守の代わりとなっています。 依頼明治時代まで平戸城は平戸藩の藩庁として機能しました。
平戸城は平戸瀬戸に突き出た丘陵に作られており、平戸港だけでなく対岸の九州本土までのぞめたと記録が残っています。城の三方を海が囲んで天然の堀としていました。 また、平戸城に数ある櫓の中には城の守り神である「たぬき」が住み着いているという伝説が残されており、「狸門」と名付けられていました。
明治以降の平戸城
明治維新を迎えると平戸城は廃城となり、狸櫓と北虎口門(搦手門)を残しほかの建物はすべて破棄されました。
昭和37年(1962年)になると模擬天守閣や復興の見奏櫓、乾櫓、地蔵坂櫓、懐柔櫓が再興され、平戸市の観光名所になります。なお、狸櫓と北虎口門(搦手門)は現在もそのまま残り、江戸時代の面影を今に伝えています。また、天守内は平戸藩の開藩から明治維新まで藩を治めた松浦氏の資料館です。
城内には平戸経由で日本にタバコが伝来したことを示すタバコの碑や明治天皇の祖母に当たる松浦家の子女愛子象などがあります。 平戸城が廃城となった後、城の敷地内に建てられた亀岡神社では、毎年「平戸くんち」が奉納されます。
まとめ
平戸城は赤穂藩と同様山鹿流兵法に沿って建てられた珍しい城です。江戸時代中期に作られたため天守は存在せず、城内は山鹿流平方の考えに乗っ取って縄張りも作られています。 現在、平戸城の遺構として残っているのは狸櫓と北虎口門、石垣のみです。しかし、天守内に設けられた博物館やヨーロッパからやってきた品物の到着場所だと示す石碑など、当時を偲ばせる資料をみることができます。

平戸城と関連する事件を読む

バテレン追放令秀吉が出したキリスト教制限令
バテレン追放令とは 天正15年(1587年)6月19日、豊臣秀吉が筑前国箱崎で発令した、キリスト教を規制する文書である。 「バテレン」とはポルトガル語のpadreに由来し、日本におけるキリスト教宣教師

平戸城と関連する人物記を読む

フランシスコ・ザビエル日本最初の宣教師
フランシスコ・ザビエルとは 1506年4月にナバラ王国のハビエル城で地方貴族の末っ子として生まれた、スペイン出身の宣教師である。 パリ大学に留学し、ピエール・ファーブルやイニゴ(イグナデオ・デ・ロヲラ

平戸城を藩庁とする、平戸藩の歴史

平戸藩戦国時代から明治まで平戸を支配した松浦氏が治める
平戸藩とは 平戸藩とは、肥前国松浦郡と彼杵郡の一部、および壱岐国を治めた藩である。 現在の長崎県平戸市にあった藩で、関係する城として平戸城を持つ藩である。 戦国時代から平戸を支配してきた松浦氏によって
平戸藩DATA
藩庁 平戸城
旧地域 肥前国松浦郡・彼杵郡・壱岐国
石高 6万1000石
譜代・外様 外様
主な藩主 松浦家
推定人口 15万人(明治元年)

平戸城、海に面した「山鹿流築城法」の城

長崎県平戸市の平戸城は、平戸藩松浦氏の居城として知られる梯郭式の平山城です。海に面しており、海外との貿易の拠点としても知られました。現在は模擬天守が建てられており、一帯が「亀岡公園」として整備されています。

平戸城
平戸城の歴史
平戸城は慶長4年(1599年)に松浦鎮信(法印)が築城を開始した日の岳城がもとになっています。鎮信は豊臣秀吉の九州平定に加わったことで所領を安堵され、領国の支配強化などの目的で亀岡山に日の岳城を建てました。しかし、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際、徳川家康に疑われたことから鎮信は城の一部を破却。その後も建築を進め、12年以上かけて城を完成させました。
ところが慶長18年(1613年)、なんと鎮信は自ら放火して城を焼き払ってしまいます。松浦氏は豊臣氏との関係が深かったため、徳川幕府に動向を疑われた鎮信が、忠誠を示すために燃やしたと言われています。
その後、城は再建されることはなく、松浦氏は約90年間、平戸港を挟んで向かい側の山腹に「御館」呼ばれる館を立て、そこで執務を行いました。なお、御館の跡地には後に旧藩主松浦氏の私邸が建てられ、現在は松浦史料博物館となっています。
元禄15年(1702年)、第4代藩主松浦重信(鎮信)は平戸城の再建を願い出ます。そして息子で第5代藩主の松浦棟の時、元禄17年(1704年)に平戸城の再建工事がスタート。江戸時代中期に城の再建が許可されることはかなり珍しいことでしたが、当時の将軍・徳川綱吉と松浦氏の関係が良好だったことや、棟が綱吉の外様大名登用策の結果、寺社奉行に出世したことなどが理由として挙げられています。
城は重信と親交のあった軍学者・山鹿素行の理論に基づく「山鹿流築城法」にしたがって築城され、享保3年(1718年)に完成しました。このとき天守は建てられず、二の丸の3重3階の乾櫓が天守の代用となりました。
明治維新後は廃城令で廃城となり、多くの建物が解体されました。しかし、昭和37年(1962年)に模擬天守が建てられたほか、見奏櫓、乾櫓、地蔵坂櫓、懐柔櫓などが復元されました。令和元年(2019年)10月から天守などの大改修が行われ、令和3年(2021年)4月にリニューアルオープンしています。
平戸城の見どころ①模擬天守
昭和37年(1962年)に建てられた3層5階の鉄筋コンクリート製の模擬天守は、内部が歴史資料館になっています。令和3年(2021年)のリニューアルオープンにより展示を一新しており、デジタル技術を使い、さまざまな体験ができるミュージアムに生まれ変わりました。
館内ではパネルやデジタル映像などを駆使し、城や南蛮貿易、平戸の歴史などを分かりやすく展示しています。さらに石垣パズルや切って答える歴史クイズ「刀でAnswer!」、デジタル書道体験など、年齢を問わず楽しめるアトラクションも用意されています。
最上階の5階から360度の絶景が楽しめます。天気が良ければ壱岐や対馬の方向まで見渡すことができ、平戸城が「海に浮かぶ城」であることを実感できますよ。
平戸城の見どころ1 平戸城の見どころ2 平戸城の見どころ3
平戸城の見どころ②狸櫓と二の丸北虎口門
平土城のなかで唯一江戸時代から残る建物が狸櫓です。正式には多聞櫓ですが、修理した際、藩主の寝床に小姓に化けた狸がやってきて「このまま住まわせてくれ」と懇願したことからその名がつけられました。
また、二の丸御殿への通用門だった二の丸北虎口門も江戸時代から残る遺構です。狸櫓と地蔵坂櫓とつながる櫓門で、現在の木門は復元されたものです。
平戸城の見どころ4 平戸城の見どころ5 平戸城の見どころ6
平戸城の見どころ③再建された櫓
平戸城には乾櫓や地蔵坂櫓、見奏櫓といった再建された櫓が並んでいます。なかでも急な坂の上にある見奏櫓は、内部で休憩できるスペースが設けられています。展示ラウンジでオランダとの交流品を見学したあとは、休憩ラウンジはオランダ絵画を鑑賞しながら一休みしましょう。窓からの平戸湾の眺めも美しいですよ。
平戸城の見どころ7 平戸城の見どころ8 平戸城の見どころ9
キャッスルステイができる「懐柔櫓」も
本丸東にある懐柔櫓は、令和の改修により「平戸城CASTLESTAY懐柔櫓」として一棟貸切できる城泊施設になりました。日本100名城に選ばれた城のなかに常設の城泊施設があるのは懐柔櫓が初めてです。櫓からは美しい平戸の海が堪能できます。殿様気分で宿泊してみてはいかがでしょうか。(※城泊は事前予約制)
平戸城のフォトスポット
平戸城の天守は近くからの撮影はもちろん、本丸から石垣を入れて撮影するのもおすすめ。遠くからは平戸大橋手前の道路公園や、崎方公園の展望台からも城を望むことができます。また、平戸城の天守や見奏櫓から平戸湾や平戸の街並みを撮影するのもおすすめです。
平戸城の見どころ10 平戸城の見どころ11 平戸城の見どころ12
栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。