原城跡長崎県南島原市

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  • 島原・天草一揆の最終決戦地となった城跡
  • 有馬晴信が築いた海に囲まれた織豊系城郭
  • 世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産

原城とは、長崎県南島原市南有馬町にある安土桃山時代から江戸時代初期にかけての城跡である。キリシタン大名として知られる有馬晴信により、1598年から1604年にかけて築かれたとされる。島原半島南部、海に突き出した丘陵上に築かれ、北・東・南の三方を海に囲まれた要害であった。1618年に松倉氏が島原城を築いたことで原城は使われなくなったが、1637年に起こった島原・天草一揆では一揆勢が立てこもる主戦場となった。現在は国指定史跡であり、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として保存されている。

原城跡の特長
目的 有馬氏の居城、島原半島南部の支配拠点、海上交通の監視、島原・天草一揆の籠城拠点
特長 有馬晴信、島原・天草一揆、天草四郎、キリシタン、世界遺産、本丸、二の丸、三の丸、石垣、空堀、海城
他の城との違い ・島原・天草一揆の最終決戦地として知られる
・海に突き出た丘陵を利用した、有馬氏の織豊系城郭である
・城跡であると同時に、禁教期のキリシタン史、潜伏キリシタンの歴史を考えるうえで重要な世界遺産構成資産である
原城跡の石垣・土塁
石垣 一部現存・発掘整備
土塁 一部現存・痕跡あり
種類 野面積、石垣、空堀、曲輪、虎口、海城、織豊系城郭、一揆戦跡
石材 自然石、割石など
特長 原城跡は、有馬氏が築いた織豊系城郭であり、本丸・二の丸・三の丸などの曲輪、石垣、空堀が残る。島原・天草一揆後、幕府により城は徹底的に破却されたため、往時の石垣は崩された状態で確認される部分が多い。発掘調査では石垣、虎口、瓦、キリシタン関連遺物、人骨などが確認され、一揆の激しさとその後の破却を物語っている。原城跡の石垣は、完成した美しさを見る石垣というより、破却された痕跡と一揆戦跡としての重みを読む遺構である。
原城跡DATA
別称 原城、日暮城
所在地 長崎県南島原市
築城 1598年~1604年頃
築城者 有馬晴信
住所 長崎県南島原市南有馬町乙周辺
開館時間 原城跡は見学自由。原城跡二の丸総合案内所は9時30分~16時30分
休館日 原城跡はなし。原城跡二の丸総合案内所は年末年始、大雨等警報発令時など休業
入館料 原城跡は無料
備考 原城跡は国指定史跡で、続日本100名城にも選定されている。世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産である。原城跡二の丸総合案内所では、原城跡・周辺施設の案内、続日本100名城スタンプ、原城跡VR貸出、土日祝限定のワンコインガイド受付などを行っている。駐車場は原城温泉真砂の駐車場、大手口駐車場を利用する形で案内されている。原城跡の理解を深める施設として、有馬キリシタン遺産記念館もあわせて訪ねたい。
原城跡への交通アクセス
島原鉄道「島原港」駅からバス約50分、徒歩約12分

HISTORY 原城跡について

原城跡の歴史
1598年~1604年頃 キリシタン大名・有馬晴信により、原城が築かれたとされる
安土桃山時代~江戸時代初期 原城が有馬氏の居城として、島原半島南部の支配拠点となる
1612年 有馬晴信が処刑され、有馬氏は転封となる
1616年 松倉重政が島原へ入り、島原藩主となる
1618年 松倉氏が島原城を築いたことで、原城は使われなくなる
1637年 島原・天草一揆が起こり、一揆勢が原城に立てこもる
1638年 幕府軍の総攻撃により原城が落城し、島原・天草一揆が終結する
1638年以降 幕府により原城が徹底的に破却される
1938年 原城跡が国の史跡に指定される
2017年 続日本100名城に選定される
2018年 世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として登録される
2026年 原城跡二の丸総合案内所が新設される

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長崎県南島原市にあった原城は、島原の乱の最終決戦地となったことで知られる平山城です。多くの悲劇の舞台となったこの城は、平成30年(2018年)に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

原城跡
原城跡の歴史
原城跡は肥前を治めていた有馬氏の居城です。その起源は諸説ありますが、キリシタン大名として知られる有馬晴信により、慶長4年(1599年)から慶長9年(1604年)に日野江城の支城として築かれたとされています。城は本丸、二の丸、三の丸、天草丸などの曲輪からなる梯郭式平山城で、三方向が海に囲まれた海城です。
江戸時代に入り、有馬晴信は慶長17年(1612年)の岡本大八事件により、甲斐国に流されて切腹させられました。息子の有馬直純は遺領を引き継ぎ、肥前日野江藩主(後の島原藩)を治めますが、慶長19年(1614年)に日向国延岡藩(現在の宮崎県延岡市)5万3000石に加増転封されます。しばらくは天領となった島原藩ですが、元和2年(1616年)に大和国五条藩(奈良県五條市)から松倉重政が入封。重政は島原城を築城します。この際に一国一城令の影響もあり、原城は廃城となりました。
松倉氏は重政とその息子・勝家の2代にわたり、キリシタンを徹底的に弾圧しました。さらに農民に次々と重税を課し、凶作下でも米や農作物を徴収しました。飢饉が発生したこともあり、農民やキリシタンの怒りは爆発寸前でした。こうして寛永14年(1637年)10月、島原の乱が勃発しました。
一揆勢は総大将の天草四郎時貞(益田四郎)の下、廃城となっていた原城に立て籠もりました。幕府は板倉重昌を総大将とする討伐軍を派遣しましたが、攻撃は失敗。焦った重昌は翌寛永15年(1638年)の正月に総攻撃をかけますが、一揆勢の決死の抵抗にあい4000人の兵を失い、重昌自身も戦死しました。
その後、幕府軍の総大将には老中の松平信綱が就き、九州諸藩を動員して大軍を結集します。寛永15年(1638年)2月、総勢12万ともいわれる軍勢が原城を包囲し、兵糧攻めを仕掛けました。一揆勢は籠城を続けますが、やがて兵糧が尽きます。そして2月27日からの総攻撃で原城は落城。天草四郎は討ち取られ、一揆勢はほとんどが皆殺しされ、約3万人が犠牲になったと伝えられています。島原の乱後、原城は徹底的に破壊されました。
昭和13年(1938年)、原城跡は国の史跡に指定されました。平成30年(2018年)には「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産として、ユネスコ世界文化遺産に登録されています。
原城跡の見どころ①本丸の門跡や虎口
原城跡の一番の見どころは、城の中心部である本丸です。廃城前には城主の居住する建物があったようで、島原の乱の際には天草四郎が住んでいた場所でもありました。発掘調査により、本丸門跡には四郎が最期を迎えた建物があったと推定されています。
また、本丸では島原の乱後に城が破却されたときの痕跡が残る、石垣が見学できます。破却後埋められていましたが、発掘調査によって発見されました。
このほか、発掘調査では本丸の正面玄関にあたる虎口が国内最大級だったことが明らかになっています。虎口は南北90m、東西80mにも広がっており、複雑で高い防御力を備えていました。
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原城跡の見どころ②竪穴建物群跡と空堀
本丸西側の石垣の前面からは、発掘調査から地面を掘りこんだ半地下式の竪穴建物跡が9区画発見されました。遺跡からは陶磁器や瓦、人骨などが出土しており、一揆勢が家族単位で利用したと推定されています。カマドや炉の跡がないことから、籠城中に火災を起こさないよう厳格に統制がとられていたのでは、と言われています。
本丸跡の少し手前には、島原の乱の際に防衛用として使われた空堀跡が残っています。籠城の際、戦に参加しない女性や子どもが隠れていた場所でした。
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原城跡の見どころ③天草四郎の碑と供養塔
城跡には天草四郎を偲ぶ碑や、「ほねかみ地蔵」など戦死者を弔う供養像が随所に建立されています。本丸にある天草四郎の像は、長崎平和祈念像の作者である南島原市出身の彫刻家・北村西望氏の作品。同じ敷地内には西有家町にある民家の石垣に埋もれていた石を移築したという四郎の墓があり、多くの人々が花を手向けています。
また、本丸にはフェンスの外に、有明海に浮かぶ湯島を眺める三体のキリシタン像があります。湯島は一揆勢が蜂起の前に集まった島。パンフレットなどによく登場する像ですが、作者は不明でいつのまにか置かれていたのだとか。
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原城跡の見どころ④有馬キリシタン遺産記念館
原城跡を訪れる際は、近隣の「有馬キリシタン遺産記念館」に立ち寄るのがおすすめです。原城で出土したキリシタン関連の遺物等が展示されているほか、隠れキリシタンや天草の乱について詳しく学ぶことができます。
原城跡のフォトスポット
原城跡での撮影におすすめなのは本丸跡からの撮影です。二の丸を見下ろせるほか、本丸にある天守が立っていたとされる露台跡からは天草を一望できる眺望が楽しめます。海沿いには有明海と湯島を臨むビューポイントがあります。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。