近江八幡山城跡滋賀県近江八幡市

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  • 豊臣秀次が近江支配の拠点として築いた城
  • 近江八幡の城下町と八幡堀を生んだ山城
  • 現在は石垣と曲輪跡が残り、山頂から琵琶湖と旧城下町を一望できる

近江八幡山城跡とは、滋賀県近江八幡市にある安土桃山時代の城跡である。天正13年(1585)に豊臣秀次が近江43万石の領主となり、八幡山に築いた。山頂に本丸を置き、二の丸、西の丸、北の丸、出丸を配した山城で、山麓には居館や城下町が整備された。秀次は安土城下の人々を移し、楽市楽座を施行し、八幡堀を琵琶湖とつなぐことで、近江八幡が商いの町として発展する基礎を築いた。現在は八幡山ロープウェーで山上へ登ることができ、石垣、曲輪跡、村雲御所瑞龍寺門跡、琵琶湖や旧城下町の眺望を楽しめる。

近江八幡山城跡の特長
目的 豊臣秀次の居城、近江支配の拠点、城下町・八幡堀整備の中心
特長 豊臣秀次、八幡山、石垣、曲輪、八幡堀、近江商人、村雲御所瑞龍寺門跡、ロープウェー
他の城との違い ・豊臣秀次が近江43万石の領主として築いた城である
・安土城下の人々を移し、近江八幡の町づくりの起点となった
・山上の城郭と山麓の居館・城下町・八幡堀を一体で見る城跡である
近江八幡山城跡の石垣・土塁
石垣 現存
土塁 一部あり
種類 野面積、石垣、曲輪、堀切、山城、山麓居館
石材 自然石など
特長 近江八幡山城跡は、八幡山山頂部に本丸・二の丸・西の丸・北の丸・出丸を配した山城で、現在も山上に石垣が残る。石垣は自然石を用いた野面積を基調とし、曲輪の縁や虎口周辺に城郭の構造を感じることができる。山頂の城郭部分だけでなく、山麓には秀次の居館や家臣団屋敷があったと考えられ、金箔瓦や礎石群の出土も確認されている。石垣と曲輪、山麓居館、八幡堀をあわせて見ることで、秀次が築いた城と町の全体像が理解しやすい。
近江八幡山城跡DATA
別称 八幡山城、近江八幡城、八幡城
所在地 滋賀県近江八幡市
築城 1585年
築城者 豊臣秀次
住所 滋賀県近江八幡市宮内町ほか
電話番号 0748-32-0303
営業時間 八幡山ロープウェーは9時~17時。上り最終は16時30分。季節・行事により延長あり
休業日 年中無休。ただし2月頃に点検整備による運休期間あり
料金 八幡山ロープウェーは大人片道540円・往復950円、小人片道270円・往復480円
備考 八幡山ロープウェーは山麓から山頂まで約4分で結ぶ。山頂には村雲御所瑞龍寺門跡があり、山頂遊歩道から琵琶湖、西の湖、旧城下町を望むことができる。JR近江八幡駅からバスで「八幡堀(大杉町)八幡山ロープウェー口」下車、徒歩約5分。
近江八幡山城跡への交通アクセス
JR琵琶湖線「近江八幡」駅からバス約12分徒歩5分、八幡山ロープウェー。

HISTORY 近江八幡山城跡について

近江八幡山城跡の歴史
1582年 本能寺の変後、安土城が焼失し、近江支配の拠点が再編される
1585年 豊臣秀次が近江43万石の領主となり、八幡山城を築く
1585年以降 豊臣秀次が安土城下の人々を移し、近江八幡の城下町を開く
安土桃山時代 楽市楽座が施行され、八幡堀が琵琶湖と結ばれ、商業都市としての基礎が築かれる
1590年 豊臣秀次が尾張清洲へ移封され、京極高次が八幡山城主となる
1595年 豊臣秀次が高野山で自害させられ、八幡山城は廃城となる
江戸時代 城は失われるが、八幡堀と城下町は近江商人の町として発展する
1961年 八幡山ロープウェーが開業する
現在 山頂部には石垣と曲輪跡が残り、本丸跡には村雲御所瑞龍寺門跡が建つ

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