日吉大社滋賀県大津市

春の日吉大社1 春の日吉大社2 春の日吉大社3 春の日吉大社4 春の日吉大社5 春の日吉大社6 春の日吉大社7 春の日吉大社8 春の日吉大社9 春の日吉大社10
  • 崇神天皇7年創祀と伝わる、全国の日吉・日枝・山王神社の総本宮
  • 平安京の表鬼門を守り、比叡山延暦寺の護法神として崇敬された大社
  • 国宝の西本宮本殿・東本宮本殿、山王七社、神猿、紅葉で知られる坂本の古社

日吉大社とは、滋賀県大津市坂本にある神社である。比叡山の麓に鎮座し、全国約3800社にのぼる日吉神社、日枝神社、山王神社の総本宮として知られる。創祀は崇神天皇7年と伝わり、神代より比叡山に鎮まる大山咋神への信仰を起源とする。のちに天智天皇7年(668)、大津京鎮護のため、大和国三輪山から大己貴神が勧請されたとされ、現在の西本宮の信仰につながった。日吉大社は、西本宮の大己貴神、東本宮の大山咋神を中心に、山王七社をはじめ約40の社を祀り、これらの神々を総称して日吉大神と呼ぶ。延暦7年(788)に伝教大師最澄が比叡山に延暦寺を開くと、日吉大社は天台宗の護法神、山王権現としても崇敬され、神仏習合の中心的な信仰を形成した。平安京遷都後は都の表鬼門にあたることから、方除け、厄除け、災難除けの神として尊ばれた。現在も国宝の西本宮本殿・東本宮本殿、重要文化財の社殿群、山王鳥居、神猿、山王祭、約3000本の紅葉が見どころとなっている。

日吉大社の特長
目的 日吉大神への信仰、方除け、厄除け、災難除け、家内安全、夫婦和合、縁結び、商売繁盛、平安京の表鬼門守護、比叡山延暦寺の護法、山王信仰の総本宮
特長 日吉大社、山王総本宮、日吉大神、山王権現、西本宮、東本宮、山王七社、大己貴神、大山咋神、比叡山、八王子山、平安京表鬼門、方除け、厄除け、神猿、まさる、山王鳥居、山王祭、山王神輿、日吉造、聖帝造、紅葉、坂本、延暦寺、神仏習合、天台宗護法神
他の神社との違い ・全国の日吉神社、日枝神社、山王神社の総本宮である
・比叡山の地主神と大津京鎮護の神を中心に、山王七社として複数の神々を祀る
・平安京の表鬼門に位置し、都の魔除け、方除け、災難除けの社として崇敬された
・延暦寺の護法神、山王権現として、神仏習合の歴史を色濃く残す
・西本宮本殿と東本宮本殿は、全国的にも珍しい日吉造の国宝建築である
日吉大社DATA
別称 山王総本宮、日吉さん、山王さん、日吉山王権現
所在地 滋賀県大津市
創祀 崇神天皇7年と伝わる。比叡山の地主神である大山咋神への信仰を起源とする
西本宮の創祀 天智天皇7年(668)と伝わる。大津京鎮護のため、大和国三輪山から大己貴神を勧請したとされる
祭神 西本宮は大己貴神、東本宮は大山咋神を祀る。境内の約40社の神々を総称して日吉大神と呼ぶ
山王七社 西本宮、東本宮、宇佐宮、牛尾宮、白山宮、樹下宮、三宮
主な関係者 天智天皇、伝教大師最澄、慈恵大師良源、織田信長、豊臣秀吉
社格 延喜式名神大社、二十二社、旧官幣大社、近江国二宮
主な社殿 西本宮本殿、東本宮本殿、西本宮楼門、東本宮楼門、宇佐宮、白山宮、樹下宮、牛尾宮、三宮
主な見どころ 国宝の西本宮本殿、国宝の東本宮本殿、山王鳥居、神猿舎、西本宮楼門の棟持猿、猿の霊石、山王祭、約3000本の紅葉、八王子山の奥宮
文化財指定 西本宮本殿、東本宮本殿は国宝。境内には多数の国指定重要文化財があり、境内の大部分は国の史跡に指定されている
住所 滋賀県大津市坂本5丁目1-1
電話番号 077-578-0009
参拝時間 9時~16時
開門時間 西本宮・東本宮は4月~9月が6時~16時、10月~3月が7時~16時
御祈祷受付 9時~15時30分
授与所 9時~16時
休館日 なし
入苑協賛料 大人500円、中高生300円、小学生以下無料。団体30名以上は大人450円
備考 日吉大社は、比叡山延暦寺の麓に鎮座する山王信仰の総本宮である。平安京の表鬼門にあたることから、古くから方除け、厄除け、災難除けの社として崇敬された。延暦寺が開かれて以降は、天台宗の護法神、山王権現として神仏習合の信仰を形成した。境内では猿が神の使いとされ、「神猿」は「魔が去る」「勝る」に通じる縁起のよい存在として親しまれている。毎年4月の山王祭では、山王七社の神輿が登場し、午の神事、花渡り式、宵宮落とし神事、例祭、神輿渡御などが行われる。坂本の町並み、比叡山延暦寺、西教寺、旧竹林院とあわせて巡ると、比叡山の山上と山麓に広がる神仏習合の歴史を理解しやすい。
日吉大社への交通アクセス
京阪石山坂本線「坂本比叡山口」駅から徒歩約9分

HISTORY 日吉大社について

日吉大社の歴史
神代 比叡山は古くから神の山として崇められ、大山咋神が日枝の山、すなわち比叡山に鎮まる神として信仰された
崇神天皇7年 日吉大社が創祀されたと伝わる。比叡山の地主神である大山咋神への信仰が、東本宮の起源とされる
668年 天智天皇7年、大津京鎮護のため、大和国三輪山から大己貴神が勧請されたと伝わる。これが西本宮の起源とされる
奈良時代 日吉の神々は、比叡山麓の坂本において地域の守護神として信仰される
788年 延暦7年、伝教大師最澄が比叡山に一乗止観院を創建する。のちの延暦寺であり、日吉大社は比叡山の護法神として重視されていく
794年 延暦13年、平安京へ遷都される。日吉大社は都の表鬼門に位置することから、平安京の魔除け、災難除けの社として崇敬される
平安時代 日吉大社は、比叡山延暦寺の護法神、山王権現として信仰され、神仏習合の中心的な社となる
927年 延長5年に成立した『延喜式』に日吉神社が記され、名神大社に列せられる
973年 天禄4年、慈恵大師良源が日吉山王権現に願文を捧げた際、神猿にちなむ七猿歌を詠んだと伝わる
平安時代後期 日吉大社は朝廷、貴族、延暦寺から崇敬を受け、山王七社を中心とする信仰が整えられていく
鎌倉時代 比叡山延暦寺の勢力拡大とともに、日吉大社の神輿は山門の権威を象徴する存在となる
1264年 文永元年、延暦寺の強訴に関わる伝承として、神猿が僧兵の松明を取り上げたという話が伝えられる
室町時代 日吉大社は、天台宗の護法神、山王権現として全国に分霊され、日吉・日枝・山王信仰が広がる
戦国時代 比叡山延暦寺とともに、日吉大社も京都近郊の宗教勢力として大きな影響を持つ
1571年 元亀2年、織田信長による比叡山焼き討ちにより、日吉大社の社殿も大きな被害を受ける
1586年 天正14年、西本宮本殿が再建される。現在の西本宮本殿は、日吉造の代表的な社殿として国宝に指定されている
1595年 文禄4年、東本宮本殿が再建される。現在の東本宮本殿も日吉造の国宝建築である
安土桃山時代 焼き討ち後の復興により、西本宮、東本宮を中心とする社殿群が再建される
江戸時代 日吉大社は、比叡山延暦寺の鎮守、山王権現として幕府や諸大名から崇敬を受ける
江戸時代 日吉・日枝・山王神社の分霊は全国に広がり、城や屋敷の鬼門守護、方除けの神として信仰される
江戸時代 山王祭が坂本の重要な祭礼として発展し、山王七社の神輿を中心とする祭礼文化が受け継がれる
1868年以降 明治初年の神仏分離により、山王権現としての神仏習合の形は改められ、日吉大社は神社として整理される
明治時代 近代社格制度のもとで官幣大社に列し、国家的にも重要な神社として位置づけられる
1901年 明治34年、西本宮本殿・東本宮本殿をはじめとする社殿が旧国宝、現在の重要文化財に相当する指定を受ける
1961年 昭和36年、西本宮本殿と東本宮本殿が国宝に指定される
現代 境内の大部分が国の史跡に指定され、西本宮・東本宮を中心とする社殿群と比叡山麓の自然環境が保護される
現代 神猿は日吉大社の神の使いとして広く知られ、「魔が去る」「勝る」に通じる縁起物として親しまれる
現在 日吉大社は、山王総本宮、平安京の表鬼門を守る方除け・厄除けの大社、比叡山延暦寺と深く結びつく神仏習合の記憶を伝える神社として多くの参拝者を集めている