比叡山延暦寺滋賀県大津市

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  • 延暦7年(788)に伝教大師最澄が一乗止観院を創建したことに始まる天台宗総本山
  • 東塔・西塔・横川の三塔に堂塔が点在する、日本仏教を代表する山岳寺院
  • 根本中堂、不滅の法灯、千日回峰行、日本仏教の母山として知られる世界文化遺産

比叡山延暦寺とは、滋賀県大津市坂本本町にある天台宗総本山の寺院である。延暦寺という一つの建物があるのではなく、比叡山の山内約1700ヘクタールに点在する約100の堂塔伽藍の総称である。山内は東塔、西塔、横川の三つの地域に分かれ、それぞれに中心となる堂がある。延暦寺の始まりは、延暦7年(788)、伝教大師最澄が比叡山上に一乗止観院を創建し、自ら刻んだ薬師如来を本尊として祀ったことにある。この一乗止観院が、現在の根本中堂の前身である。延暦25年(806)には最澄により日本天台宗が開かれ、比叡山は学問と修行の道場として発展した。ここからは円仁、円珍、良源をはじめ、のちに浄土宗を開いた法然、浄土真宗を開いた親鸞、臨済宗を伝えた栄西、曹洞宗を開いた道元、日蓮宗を開いた日蓮など、日本仏教に大きな影響を与えた僧たちが学んだ。そのため延暦寺は「日本仏教の母山」とも呼ばれる。戦国時代には織田信長の焼き討ちにより大きな被害を受けたが、豊臣秀吉、徳川家康、徳川家光らの保護により復興した。平成6年(1994)には「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録され、現在も根本中堂の不滅の法灯、千日回峰行、三塔巡拝を通じて、比叡山の祈りと修行の歴史を伝えている。

比叡山延暦寺の特長
目的 天台宗の総本山、法華一乗の教えの実践、国家鎮護、仏教修行、僧侶育成、祈祷、写経、坐禅、回峰行、日本仏教各宗派の源流をたどる参拝、比叡山全体を巡る山岳信仰
特長 比叡山延暦寺、天台宗総本山、伝教大師最澄、一乗止観院、根本中堂、薬師如来、不滅の法灯、東塔、西塔、横川、三塔、法華総持院東塔、阿弥陀堂、大講堂、戒壇院、釈迦堂、にない堂、横川中堂、元三大師堂、千日回峰行、十二年籠山行、日本仏教の母山、織田信長、徳川家光、世界文化遺産
他の寺院との違い ・延暦寺は一棟の寺院ではなく、比叡山全体に点在する堂塔伽藍の総称である
・東塔、西塔、横川の三塔に分かれ、それぞれに本堂と修行の歴史がある
・伝教大師最澄が開いた日本天台宗の総本山であり、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮など後世の宗祖を輩出した
・根本中堂には、最澄以来1200年以上受け継がれてきた「不滅の法灯」が灯されている
・千日回峰行や十二年籠山行など、現在も厳しい修行が受け継がれる山岳寺院である
比叡山延暦寺DATA
別称 比叡山、叡山、山門、日本仏教の母山
正式名称 比叡山延暦寺
所在地 滋賀県大津市、京都府京都市
創建 延暦7年(788)。伝教大師最澄が比叡山上に一乗止観院を創建し、自ら刻んだ薬師如来を本尊として祀ったことに始まる
開山 伝教大師最澄
宗派 天台宗
寺格 天台宗総本山
山号 比叡山
本尊 薬師如来。根本中堂の御本尊として祀られる
中心伽藍 東塔、西塔、横川。三塔それぞれに中心となる中堂がある
主な建築 根本中堂、大講堂、阿弥陀堂、法華総持院東塔、戒壇院、文殊楼、釈迦堂、にない堂、横川中堂、元三大師堂
主な見どころ 根本中堂、不滅の法灯、東塔地区、西塔地区、横川地区、国宝殿、千日回峰行ゆかりの堂塔、琵琶湖を望む景観
文化財指定 根本中堂は国宝。大講堂、根本中堂廻廊、転法輪堂、常行堂・法華堂、戒壇院などは国指定重要文化財。平成6年(1994)に「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録
住所 滋賀県大津市坂本本町4220
電話番号 077-578-0001
巡拝時間 東塔地区は通年9時~16時。西塔・横川地区は3月~11月が9時~16時、12月~2月が9時30分~16時。巡拝受付は15時45分まで
休館日 なし。ただし暴風、降雪、法要、行事等により閉堂時間の変更や入堂制限が行われる場合あり
巡拝料 東塔・西塔・横川共通巡拝券は大人1,000円、中高生600円、小学生300円。国宝殿拝観料は別途必要
備考 比叡山延暦寺は、比叡山山内の広大な寺域に点在する堂塔の総称であり、東塔、西塔、横川の三塔を巡ることで全体像が見えてくる。東塔は延暦寺発祥の地で、総本堂である根本中堂を中心とする。西塔は釈迦堂を中心とし、にない堂、浄土院などが残る静かな修行の地域である。横川は横川中堂や元三大師堂を中心とし、源信や良源ゆかりの信仰を伝える。根本中堂は延暦7年(788)の一乗止観院を起源とし、現在の建物は寛永19年(1642)に徳川家光の命で再建された。御本尊の前には「不滅の法灯」が灯され、1200年以上にわたる祈りの継承を象徴している。京都側からは叡山ケーブル・ロープウェイ、滋賀側からは坂本ケーブルで訪れることができ、日吉大社、坂本の門前町、滋賀院門跡とあわせて巡ると、比叡山の山上と山麓の関係を理解しやすい。
比叡山延暦寺への交通アクセス
坂本ケーブル「ケーブル延暦寺」駅から徒歩約8分

HISTORY 比叡山延暦寺について

比叡山延暦寺の歴史
767年 神護景雲元年、伝教大師最澄が近江国滋賀郡三津で生まれる。生年には異説もある
780年 宝亀11年、最澄が近江国分寺の行表のもとで得度する
785年 延暦4年、最澄が奈良の東大寺戒壇院で具足戒を受け、正式な僧侶となる。その後、比叡山に入り修行を始める
788年 延暦7年、最澄が比叡山上に一乗止観院を創建し、自ら刻んだ薬師如来を本尊として祀る。これが現在の根本中堂の前身となる
804年 延暦23年、最澄が遣唐使として唐へ渡り、天台教学、密教、禅、戒律を学ぶ
805年 延暦24年、最澄が帰国し、比叡山を拠点に天台教学の布教と僧侶育成を進める
806年 延暦25年、最澄により日本天台宗が開かれる。比叡山は天台宗の根本道場となる
822年 弘仁13年、最澄が入寂する。その後、比叡山には大乗戒壇が認められ、天台宗の僧侶を育てる中心地となる
823年 弘仁14年、嵯峨天皇より「延暦寺」の寺号が下賜されたとされる
平安時代前期 円仁、円珍らにより天台教学と密教が発展し、比叡山は日本仏教の中心的な学問と修行の場となる
966年 康保3年、良源、すなわち元三大師が天台座主となり、比叡山の伽藍復興と教団整備を進める
平安時代中期 比叡山は多くの学僧を集め、天台教学、浄土教、密教、戒律の研究と修行が行われる
985年 寛和元年、横川の僧・源信が『往生要集』を著し、日本の浄土教思想に大きな影響を与える
平安時代後期 比叡山は朝廷や貴族から保護を受ける一方、強大な寺院勢力として政治にも影響力を持つようになる
鎌倉時代 比叡山で学んだ法然、親鸞、栄西、道元、日蓮らが新しい仏教を展開し、延暦寺は日本仏教各宗の源流となる
鎌倉時代 延暦寺は、学問と修行の山であると同時に、政治的・軍事的な力を持つ大寺院としても存在感を強める
室町時代 比叡山は幕府や朝廷と関わりながら、天台宗の総本山として寺勢を保つ
戦国時代 戦国大名や京都周辺の政治情勢と関わり、延暦寺は大きな寺院勢力として警戒される
1571年 元亀2年、織田信長により比叡山焼き討ちが行われ、山内の堂塔伽藍は大きな被害を受ける
1580年代 豊臣秀吉の時代に延暦寺の復興が進められる
江戸時代初期 徳川家康が延暦寺を保護し、比叡山の復興が本格化する
1634年 寛永11年、徳川家光が上洛の途中で比叡山に参詣し、根本中堂再建のきっかけとなる
1642年 寛永19年、徳川家光の命により現在の根本中堂が竣工する
江戸時代 延暦寺は幕府の保護を受け、根本中堂を中心とする堂塔が整えられ、天台宗総本山として寺勢を回復する
明治時代 神仏分離や廃仏毀釈の影響を受けるが、延暦寺は天台宗総本山として存続する
1899年 明治32年、根本中堂が旧国宝、現在の重要文化財に相当する指定を受ける
1953年 昭和28年、根本中堂が国宝に指定される
1987年 昭和62年、比叡山開創1200年を迎える
1994年 平成6年、延暦寺が「古都京都の文化財」の構成資産としてユネスコ世界文化遺産に登録される
2016年 平成28年、根本中堂の大改修が始まる。建物全体を覆う素屋根の中で、屋根や木部などの保存修理が進められる
2021年 令和3年、伝教大師最澄の1200年大遠忌を迎える
現在 比叡山延暦寺は、天台宗総本山、日本仏教の母山、世界文化遺産として、東塔・西塔・横川の三塔に多くの参拝者を迎えている

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